上演にあたって
富永 浩至
この作品は「青い鳥」という女性ばかりの劇団が上演したものである。そこの舞台のカーテンコールは、役者紹介の最後に「作、演出、一同、礼!」の声と共に舞台の役者が頭を下げるのである。つまり作者市堂令とは、個人ではなくそこの劇団の集団創作なのである。まさに台本を読むとみんなでワイワイやりながらテーマを決め。こうやったら面
白い、こうやったらよくなるといいながら創っている姿が見えてくるようである。
さて、我が劇団はというと、いつも演出の片寄から「うちの役者は演出の範疇を出ないので面
白くない。」といわれ続けているのである。それではもっと役者が自発的に作品を創っていくようにやってみようと取り上げたのがこの作品である。特に今までと毛色が違い、女性の華やかさと叙情性が強く浮き立っている芝居である。勝手が違い戸惑っているのか、なかなかワイワイというようには出来上がってこない。
一人の女の子が夏休みに“森”の中に迷い込み、全てのものをなくしてきてしまうところから始まるこの芝居は、結局自分がなくしたものは何なのか、自分は一体何なのかといういわゆる「自分の存在」探しの物語である。その「存在」探しに我々が迷い込まずに見せていくことができれば、きっと何かが見えてくるはずと思いながら、稽古を続けている毎日です。
つ ぶ や き
片寄 晴則
演出をしている時に考えるのは、まずその作品をどう創り上げるかという事であり、集団をどう動かしてゆくかという事は後から自然と付いてくる。しかし、今こうして演出を離れていると「集団」の在り方ということを、まず考えている自分がいる。“集団の姿”というものはその時の舞台に色濃く現れるものだから、今私達「演研」が、お客様にはどう写
っているのだろうかと・・・。
武田 雅子
家のそばに底無し沼とよばれる沼があった。外で遊ぶのが好きな私は、よくそこへ行き、水の中を覗いたものだった。何度覗いても、苔の生えたタニシと鮒がうようよしているだけの不気味な沼だった。
あれから十六、七年がたっただろうう現在、訪れてみると随分沼は小さく、水面
には可憐な野花が映し出されていた。
確実に時は流れている。そして歴史は作られる。その歴史を振り返り、懐かしむのもよいかもしれない。けれどそれだけではなく、今の自分がどう形成されてきたか、何にこだわって生きてきたか、ふと考えてみるのも悪くないと思う。
そんなことを考えながら紐といたアルバムの中に、沼の前でおすまししている白黒の自分がいた。
上村裕子
2才の頃の私は、雀の巣のような頭をしていた(天然パーマゆえに)。保育所に通
っていた四、五歳の頃は、とても足が速かった。黄色い長靴が大好きだったのは、小学校の頃、テニスに夢中になっていたのは、中学生の頃、感傷的になっていたのは、高校生の頃、いつの時にも私は、私なのに、別
人にさえ思えるときがある。大人になりきれない私が、なくしてきたものは、何だろう。
赤羽美佳子
赤ちゃんと散歩をしていると、通りがかりの人からよく笑顔で「可愛いですね」と声をかけられる。赤ちゃんには人の心を和やかにさせる不思議な力がある。大人の力なしでは生きていけない。みんなそうだったんだと、いろいろな色の落ち葉を眺めながらつくづく思った。
私は五歳の誕生日の日「五歳になったんだ。もう、子供じゃないんだ。」と近くのブランコに走っていった。あの絶対的な自信はどこへいったのか。ふと今頃になって赤ちゃんになりたいなと思うことがある。父に「おまえを中心に地球が回っているんじゃない。」と言われ続けて大きくなった。やさしくないなと自分で思う。寝太郎は、寝ていたからこそ知恵が出たのか?でも眠ってばかりはいられない。早く眠りから覚めたい。
鈴木奈都子
高校演劇をやっていました。お芝居とは、なんて素晴らしいものなんだろう。そう思いました。卒業後、某民間会社に就職し、約一年のブランクをおき、また芝居をはじめた。なんて下らないんだろう。素直な思いでした。けれども、又、少しずつ最初とは違った部分で惹かれてきています。この時もその時もあの時も。私は同じ私のはずです。
私が生まれてから死ぬまでに、幾度となく通り過ぎるであろう祭りのうちの一つが、今、近付いてきて通
り過ぎようとしています。
つかまえたい。もっともっとたくさんの虫を、もっともっと珍しいものを、そして何よりもまず・・・。
元木奈保
今回のこの公演にあたっては、とにかく全てのことが生まれて初めてのことで、何が何なのか、どこをどうすればいいのかという不安と、また期待で胸が一杯です。前回の演研の作品「熱海殺人事件」に魅せられて入団した新人中の新人なので、どんな自分が今回の作品の中で出てくるのか、自分でも分かりません。しかし何年、何十年かけてでも、演劇が好きで踏み入れたこの世界の中で、自分にできる限りのものをいつか出してみたいと思っております。
この作品に取り組みながら自分なりにつまずき、悩みもしました。しかし、周りの先輩たちに迷惑と期待(?)をかけられながらも、今日の日を迎えました。是非とも次に皆さんにお目にかかるときがきたら忘れないで私の成長ぶりを見て欲しいと思います。
前本政道
畜大で芝居をしてきた私が、こともあろうに勤務先もここ十勝となって、改めて演研の一員として芝居を続けることになった。三月に畜大演劇アンサンブルと演研が合同公演をした「熱海殺人事件」で「もうこれでこのメンバーとは芝居することもないんだろう。」と多少とも感傷に浸っていた自分が滑稽である。まあこれも神のいたずらとあきらめて心機一転“顔のでかい新人”としてこの集団で芝居づくりををして行こう。
ただ気掛かりなのは三月にあれだけ盛大に送別会を開いてくれたのに、入団祝いは形だけで終わってしまったことである。