上演にあたって
片寄 晴則
上村から再々演の企画を持ち込まれた正月。お屠蘇気分も伴って承諾はしたものの、結婚し札幌で暮らす坪井と、一児の母となった部田が、演研の舞台に復帰するなどと考えもしない、できるはずのないことだったのだが・・・。配偶者はもちろん、周りの人達の協力でいざ顔を寄せた稽古の初日。意気込みだけが先走る無残な表現とは別に、言葉には尽くせない温かなものが我々の稽古場を満たしていた。
さて、彼女達が石澤富子氏の作品に、こうも惹かれるのは何故なのだろう。多
分、日常では意識の底に眠っているはずの「女の業」を、暴力的なまでに引きずり出されることで、自分を見詰め直す。そんな作業が「役者の業」を掻き立てるからなのだろう。そして小生はそこに、登場人物達の生きた時代の戦慄を共有したいと思っている。前回から6年という歳月が流れはしたものの、役者達が、集団が成熟したとはとても思えない。ただ続けて来ただけなのだ。しかし、変わったことがただひとつ。この朽ち果
てた、新しい芝居小屋を持つ事が出来たこの事実。自分達の劇場を持つことが創立以来の夢だった!この空間は、今在籍する団員だけのものではない。演研に名を連ねた者全ての、そして、私達を応援し続けて下さった皆様全てのものです。時間が無く、未だ自分たちの空間として使い熟すまでに到っておりません。見切発車の感は否めませんが、これから、どんどんこの小屋が息づいて来ることでしょう。今後とも応援して下さい。そして、本日はようこそお越し下さいました。ありがとうございます。
つ ぶ や き
上村 裕子
この世に生を受けた時、男であるか、女であるかによって、まず第一の生きるべき道が別れる。時代が流れると全ては過去となる。同じ女に生まれても、人それぞれである。女の中に潜むさまざまな感情が自分の理解を超えると、一層興味が湧いてくる。ぬくぬくとした日常に身を置いている私にとって、この芝居は痛烈なものである。だからこそ追い求めてきたのかもしれない。こんな女達が実際はにいたのだということを肌で感じて頂けたら・・・幸福です。人が生死を繰り返すのなら、私は本当に「紅」であったのかもしれない・・・
部田 泰恵子
舞台にいるのは三人だけれど、その裏には、たくさんの人達の協力がなくては舞台は成立しないということを今回ほど実感している公演はありません。観に来て下さったお客様、そして私が心置きなく稽古場に通うために本当にお世話になった人達の暖かい手に支えられて、今私は舞台に立つことができます。
六年ぶりの再演とはいえ、作品と自分自身との距離は狭まるどころか、広がっているようにさえ感じられる私ですが、少しでも自分の中に、この国を自分達を支えてきた人間達の姿がみつけ出せれば、みつけ出すことができれば・・・となまった心と身体にムチ打っています。
坪井 志展
どんな時にでも自分を昇華する術を備えている人に、私はとっても魅力を感じています。菊・紅・麻の中に、彼女達、いえ当時の人々の生きてゆく姿を、目をそむけずに見つめていただければと思っております。
今回、小屋の柿落しの舞台に立たせていただいて、私はとっても幸せです。芝居の仲間はもとより、協力して下さった方々に、また本日のお客様に、心よりお礼を申し上げます。本当にどうもありがとうございます。
富永 浩至
六年前この芝居をやったときは七月に「シェルタ−」、すぐそのあと十一月に「木蓮沼」と短期間に三人の役者が頑張って作ったことを覚えている。当時若かった役者には表現することが、いやもしかすると理解することすら難しかった作品かもしれない。演出の片寄自身も役者
たちがそこまでできるとは思っていなかったのか、幕が下りた後の挨拶の声がかすかに震えていたことも思い出される。
さて今回は前回以上の悪条件の中の公演である。しかも身体に充分しみついた大通茶館の舞台を離れての公演である。不安でもあるが、しかし六年という歳月の中で彼女たちが成熟した「女」の部分で前回の舞台では見えなかったものを表現してくれるに違いない。この一見古ぼけた芝居小屋がかもしだす雰囲気の中で、我々と時間を共にして下さった御客様が満足してくれることを祈りながら・・・
村上 祐子
再々演ともなると演出も変わって来るのだろうか。以前はそんなふうに解りやすく演出はつけてくれなかったと、当時の自分の未熟さを棚に上げてふくれて見せたが、時が流れ年月を積み重ねて行か
なければ、見えてこない部分もあるのかもしれない。今回の役者達の六年間の歳月に期待して・・・。
武田 雅子
昨年、六年前のメンバ−で「木蓮沼」を上演したいという申し出があった。けれども、公演までたどり着けるのかどうかは自信がもてなかった。何故なら、三
人の内の一人は現役であったが、一人は 結婚して札幌へ、もう一人は子供がいるという状況だったからだ。六年間の時の流れの中で彼女達がどう変わったかを、手ごたえとしてここはこうだと明確に打ち出せるとは言い切れないが、もう一度
一緒に舞台に立ちたいという熱い思いに胸を打たれ、今日に至った訳である。前に上演している作品とはいえ、やはり試行錯誤の繰り返しではある。しかし、確実に六歳ずつ年を取った彼女達が舞台に立っているのは事実である。この三人が、御客様にどう映るのか・・・。あなたにはどう映りましたか?六年前に観客の一人として観ていた私は、訳もわからずボロボロ涙をこぼし、その半年後、演研に入団したのでした。