上演にあたって
片寄 晴則
『活発な日常活動を持続することにより地域に根ざした創造活動を!!』
を旗印に私達が集団を結成したのが1975年12月。以来30年、振りかえると多くの出逢いと雑多な出来事がありましたが、今もこうして活動し続けていられることの喜びを改めてかみ締めています。これも偏に、私たちを支えてくれている心優しい家族や友人達、そして我々の活動を温かく見守り今日もこうして会場に足を運んで下さっているお客様あってのことと、感謝の気持ちでいっぱいです。
さて今回の30周年記念連続公演の最後は、今や日本を代表する演劇人として忙しい日々を送っている、帯広三条高校出身の鐘下辰男氏に新作の書き下ろしをお願いしました。(氏が高校生の頃からの付き合いなので、依頼というよりは半ば強制に近かったのかも知れませんが・・・)書き難いだろうことは承知のうえで、どんな作品になるのか期待と不安いっぱいの私たちに届いたのは、当然のことながら「これぞ鐘下ワールド!!」というもので、それは「演研は最近はずっと平田オリザ作品に取り組んでいるのはわかっているのだから、それに添ったものになるのでは・・・」と安易に考えていた私達にとても高いハードルを突きつける脚本でした。
あれから二ヶ月間、越えられなくともせめてそのハードルに足が掛かるよう、新たな挑戦が我々を次の地平に導いてくれることを信じて、苦闘の稽古は続いています。
本日はお越し下さり、ありがとうございます。これからも私達の遅々たる歩みは続くことと思います。末永くお付き合い下さい。そして「観客」という役で一緒に舞台を創り続けていきましょう。
最後になりましたが、忙しい中、私達の無理な願いを聞き届けてくれた鐘下辰男氏に感謝します。
つぶやき
坪井 志展
いよいよ30周年記念公演の締めくくりとなりました。1月の「忠臣蔵〜保育士編」に始まり、一年間走りつづけました。勤労演劇集団にとっては、かなり過酷な年になりました。仕事で稽古に参加できなかったり、体調を崩したり・・・。演研は、こうして30年やってきたのだなぁとつくづく思います。各自が自分自身の生活の基盤を持ち、稽古場に足を運ぶ、そして作品を創り上げる。どんな過酷な条件でも、楽しむ心を無くさない。
25周年の平田オリザさんに引き続き、今回は、鐘下辰男さんに脚本を書いていただき、今までの演研とは、また一味違った舞台に挑戦することができました。作者の意図する事を、私自身どこまで表現できたか解りませんが、とにかく体当たりで稽古に取り組みました。
本日、ご来場のお客様、いつも私達をサポートしてくれている方々、そして、作家の鐘下辰男さんに心からお礼を言いたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
(最後にお願いですが、アンケート用紙に忌憚のない感想を、何か一言でも頂けたらと、思っております。)
上村 裕子
ふと思う。
私は全然自分に正直に生きていない。芝居はいつも、私に問いかける。「それは本心?」「それは望む方向?」その度にドキッとする自分がいる。こうした方が良いのではなく、自分がどうしたいかが見えなくなってしまう事がある。
『自分をさらけ出すこと、小さくまとまるのではなく常に自分を破っていくこと』
演研に入ってから、代表片寄に出逢ってから、ずっと問われてきた事です。今回、鐘下作品と関わり、改めて苦闘する日々となりました。正直な自分で舞台に立ちたい!と、今思います。
野口 利香
私はあまり過去を振り返ったりしません。日々の生活に追われてそんな余裕が無いこともありますが、振り返ると後悔したり、反省することが山のようにあるからです。いや、けして反省を怠っている訳ではありませんが。
今が一番辛いと思っていても、思い返すと今よりももっと辛いことはあった事に気が付きます。そんなことも時が過ぎると忘れてしまい、今が一番と思ってしまう。ということは今辛く大変なことも時が過ぎると全然たいしたことではなく
なってしまうのだろう。そうでないと人間何十年も生きていけないだろうし。
この芝居の登場人物は私と同い年で、あることをきっかけに高校時代の苦い思い出を突きつけられることになります。私の高校時代といえば、もちろん楽しい事も一杯ありましたが、忘れてしまいたいような事も一杯ありました。年齢を重ねることは肉体は衰えるけど、精神は洗練されていくというふうに思いたい。常にレベルアップしていると。だから私は過去は振り返らず、前だけを見つめて生きてゆきたい。
金田 恵美
気が付けばもう11月。あっという間の一年を締め括るのは鐘下氏の「いち・ご白書」。初めて鐘下氏の作品に、というかこの作品に触れた時の感想は一言『えぐい』。人の深い部分をえぐり出すような感じで、嫌な感じ反面もう一度手に取らずにはいられない、何だか不思議な魅力を持つ作品でした。それでも触れ続けていくうちにこの世界に慣れ、当たり前のように感じるから人間て不思議です。演研というフィルターを通ったこの作品が、皆様にはどのように映るのか、今から楽しみです。
宇佐美 亮
高校生の頃、自分は何をしていたのだろうか。
オレンジ色のジャージをはいて校外へクラブの練習をしに行くのがたまらなく嫌だった。テニスコートの裏から抜け出してラーメン屋に行くことや、後楽園のウィンズで警官の前を通り過ぎること、歌舞伎町の居酒屋で酒を飲んだりすること、どうしようもないつまらないことでどうしようもない人生にどうしようもない理由をつけることに躍起だった。
あの頃からもう10年が経つ。基本的に何も変わっていない自分がいる。相変わらずどうしようもないことにどうしようもない理由を求めている。あれから10年、いくつかの戦争が遠くの国で起こって人がたくさん死んだのだけれど、お構い無しに生きてきて、そんなことよりもカップヌードルを食べることのほうが大事だった。
結局何も変わらずに、変えられずに、いるわけなのだが、どうも昔よりもだいぶ臆病になってきているようだ。テニスコートの裏の破れた金網から抜け出す感覚を忘れないようにしなければと思いつつも今日もコタツに入っている。困ったものだ。
鈴木えりか
この作品を最初に本読みでふれた時、とてもショッキングでした。私の人生でこんなに感情をぶつけたことがなかったので、目の前で繰り広げられることを聞き、その強い感情にすごく引きこまれた。
稽古が進み演出がつくにつれ、この芝居の深い意味や心理が見えてきて、感情だけではなくいろんな関係を見て楽しめるような作品になってきていると思う。
2ヶ月の短い稽古で、正直「作品が出来上がるの?」という心配がみんなの中にもあったと思うけど、作品も面白いし、役者さん達も一生懸命にやって楽しんで稽古しているのが演研らしい。お客さんにもきっと楽しんで見てもらえると思います。
神山 喜仁
とうとう30周年記念連続公演もラストを迎えました。今回、私は装置担当になりました。演研の芝居でセットを組むのはこれが初めてで、演研に新たな歴史を加える一員となりました。代表からは「作るんだったら徹底的に、中途半端なものならないほうがまし」と言われ、ものすごいプレッシャーを感じました。初めは自分に余裕がなく、自分が作ったものがどうしたら良く見てもらえるか、どうやったらかっこよくなるかとかそんなことばっか考えていました。しかし作業が進むにつれ自分はスタッフだった!と気が付くことができ、考え方を変えました。役者が稽古をしている時に裏で作業をしていることが多く、芝居本体とは今までより接する機会が少ないのが残念ですが、とても貴重な体験が出来たと思っています。
富永 浩至
我々の集団が十年を迎えた時に、目標としていた旭川の劇団「河」の星野さんから「人間の記憶力にとって大切なことは、節目、節目をよくひきよせてゆくこと。その節目を大事に整理しておくこと、それが今後の飛躍のバネになる」という言葉をいただいた。あれから二十年。我々はその時々の節目を上手く整理していけたのだろうか?いささか疑問ではあるが、こうして三十年続けたわけだから、それなりの整理はなされているのだろう。
さて今回の記念すべき節目には、十勝出身の劇作家・演出家、鐘下辰男氏の新作書き下ろしに挑戦する。氏は極限状態における人間の心理を描いては日本屈指の劇作家である。多分、今までの演研の芝居とは一線を画したものだ。創立三十年にあえて新しいものに挑戦する。ちょっと格好良く言えば、三十年やってきたと言うことに安住せず、更に進化していこうと言うことである。先ほどの星野さんには、こんな言葉もいただいた。
「変わらぬもの、それは変わろうとする意志、愚直な程の歩みのなかで、少しずつにじり寄ろうとしている、何かへの変貌、変わろうとする意志だけは常に変わらぬものとしてあり続けたい」