若手企画公演
作・つかこうへい  演出・片寄晴則

第55回公演「飛龍伝」

 スタッフ
  照明:坪井志展 効果:宇佐美亮 舞台監督:片寄晴則 衣裳:村上祐子 制作:上村裕子

 キャスト
  父 富永浩至  男 神山喜仁  女 金田恵美



 

上演にあたって

片寄 晴則


拝啓、佐久間孝様

 一昨年、30周年の演目の候補として、宇佐美と神山が「飛龍伝」を演りたいと挙げてきたんだよ。で、その時は日程やその他いろいろ考えて実現しなかったんだけど、意気に感じてつい演出をする約束をしてしまったんだ。いやこれが、思いの外厄介なことで…、結局『熊田の見た夢』という演出で、富永に二人をダブルキャストで挑ませることにしたよ。(結果的には宇佐美は仕事が忙しく出来なくなってしまったんだけど)十年前の再演の時は、初演に比べて、孝も富永もひどく息切れをするようになったけど人生の深みは増していた。そして今回の富永はいい親父になって独り語りに味が出て来たよ。孝のモノローグもきっと年輪を感じることができただろうなあ…
 今この作品で「あの時代」について語ることがどれだけ意義のあることなのか、又、作者の社会や時代に対する毒を含んだ笑いが理解されるのかは疑問だけど、でも、人間の愛や情熱は時代を越えて熱く心に届くよね。そう信じて稽古を重ねているよ。
 還暦が近くなって、肉体的にもキツくなってきて『引退』という文字が頭を過ぎることもあったけど、富永が次々と新しい企画を挙げてきては休ませてくれません。だから、もう少し走り続けてみようと、稽古場の孝の写真を見ながら思うこの頃です。


つぶやき

坪井 志展
 1985年7月、私は女の役で「飛龍伝」の舞台に上がっていました。もう22年も前だなんて…。
 その頃の私も、肌で感じた学生運動といえば、小学校のスケートリンク作りで、スクラムを組んでふざけながら「安保反対!」を叫びながらの『雪踏み』くらいでした。いざ役に付いたが、その状況が理解できず、映画を観、当時の事を書いた本を読みあさった記憶があります。世の中が自分たちの手で変えられると信じて行動を起こす若者が、あんなに大勢いたなんて、そして命をなくした人も、驚きと興奮が入り混じった気持ちだったと思います。
 今、この芝居が理解されるかどうか、多少不安はありますが、人と人との純粋な繋がりやぶつかり合いが、舞台に表現できれば、何かが伝わるのではないかと思っています。初演から、熊田を演じている富永を相手に若い(?)二人は、試行錯誤しながらも、キラキラした目で稽古に励んでいます。若い二人の愛と、男の友情をじっくり観て頂きたいと思っています。ちなみに、富永は同じ役を演り続けているのに、私には役は回ってきませんでした。やっぱりね。

上村 裕子
 「飛龍伝」という作品に出会ってから22年になる。学生運動という事が過去にあった、映像でそういえばそれらしい事を見たことがある…というぐらいの知識しかその頃の私にはなかった。だけど、作品を通して人の熱き思いやしがらみを感じて、何も知らない心がたくさん揺さぶられた記憶がある。
 芝居の世界に足を踏み込んでから、随分たくさんの知らない世界を覗いて来た。今の私という人間が少しは膨らみのある人間として存在しているとしたら、それはやはり芝居のお陰だとつくづく思う。
 今回は若手が何とこの「飛龍伝」をやりたいと言い出した。聞いた時「そうか…飛龍伝かぁ…これやりたいのか…」とまずは思ったような気がする。稽古を見ながら発展途上の神山、金田の姿に過去2回の「飛龍伝」が何度も重なった。年月を経て上演できることが今はなにより嬉しい。知らない世界、知らない言葉達に出会う方々もたくさんおいで下さったかもしれない。過去の「飛龍伝」を観てくださった方もいるかもしれない。ですが、どうか今の私たちの飛龍伝を観てください。
 本日は、ご来場ありがとうございます。

金田 恵美
 『飛龍伝』の稽古を進めていく中で、自分なりにその時代の事を調べたり、縁あって闘争の映画や芝居に触れる機会がありました。そこには自分が生きてきた中で感じた事のない、何ともいえない感情がありました。普段生きている中で、何かに対してそこまで熱くなった事がなかった自分には、その熱い思いを表現する事はとても難しい事でした。稽古を重ねてきて、今でもまだ何か足りなく、まだ充分ではありません。でも少しでも、あの時代を、あの熱い思いを感じて頂けたら…と思っています。

宇佐美 亮
 学生闘争の時代に生きていない。自分がそのときいたとして、一緒に騒いでいたかは疑問だ。バリケードを作ったり、ビラを配ったとしても、結局は夕ごはんのおかずや気になる子をどうやって口説くとか次の週までに出さなきゃいけないレポートなんかがよっぽど大事だったかもしれないし、そんな大事かどうかはわからないことと比べる程度なんだと思う。力だけでは何も変わらない。それにしても、理性的な人の活動もむなしく、多くの人がわけもわからずついていったことは、怖いことだ。結局今も、どっかのガキが男か女かで騒いだり、選挙がクイズみたいになったり、今もどこかで政治を理由にどんどん人が殺されていっているわけで…。腹を立ててもしょうがない、昔から変わっていないだけだから。
 パッションとファッションとごちゃ混ぜに場合によっていいところだけ使っていたころよりも、比較的無害なファッションだけ残った今のほうがましなのかもしれない。
 どちらにせよ、世界は暗く、冷たい。
如何にして変えるか?

神山 喜仁
 この公演で2回目の役者につきます。前回も若手公演でしたが、実はすでに若手とは呼べないくらいの年齢に達しつつあります。
 さて、今回の公演ですが、演研は、ここ最近、平田オリザさんの作品を中心に活動していて、私も入団したときから「静かな芝居」をしてきました。私自身、芝居となんの関わりもないところから入って来たので、芝居とはこういうものなんだと思い込んでいました。が、この芝居はそれとは正反対の「熱い芝居」。日常生活とはかけ離れたところに存在していて、なかなか役を体現できず、演出には大変迷惑をかけたと思います。しかし、この経験を無駄にせずに、生かすようにして早く「若手」の二文字を取りのぞきたいと思っています。
 今回の芝居では、お客さんに「熱さ」を伝えることができれば嬉しいです。そう出来るように、日夜稽古に精進しています。

富永 浩至
 少し古い話からしていくと、この大通茶館が開店したのは今から27年前の1980年、当時私は大学の演劇部に所属していました。その前の年に初めて学外公演をし、次の公演場所を探しているところでした。一緒に活動していた大谷短大生の一人が、高校の演劇部の先輩が今度喫茶店をやるのだが、そこを芝居の会場として貸してくれるという話を持ってきました。そんなことで、この大通茶館の柿落とし公演をしたのは、演研ではなく私が当時所属していた畜大演劇アンサンブルでした。
 さて、今我々はこの二階に新たな拠点作りをしています。そこが完成すれば、この会場を使う必要が無くなりますので、今回がこのシアター大通茶館の最終公演ということになるでしょう。そして、奇しくもあの柿落とし公演の演目も「飛龍伝」でした。「飛龍伝」で始まり、「飛龍伝」で終わるというのも、何やら因縁めいたものも感じます。しかもその時も私は同じ役でした。
 三十年近くたつと、肉体の衰えは否めませんが、それに変わる何かを身につけることが出来たのではないかと思っています。それが贅肉だけでないことを信じて、稽古を続けています。

 

 

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