坪井 志展
「コメット・イケヤ」
これは、1966年のNHKで放送された寺山修司のラジオドラマの題名です。
『1962年1月3日午前2時、静岡県浜名郡舞阪町3229、河合楽器舞阪工場で働くピアノ旋盤工池谷薫さん(19歳)は星座表にないひとつの星を発見しました。その星は翌々日の1月5日、コペンハーゲンの国際天文台で正式に確認され、全世界に報道されました。この作品は、池谷彗星(Comet-Ikeya)の発見と、同じ日に新聞の片隅に載った失踪したサラリーマンの記事との間に因果関係をもとめた作者の空想です。「私たちが何かを発見したときには、同じ世界の中に何かを失わねばならないのではあるまいか」というのが最初の疑問でした。この作品を作るにあたっては、ステレオの空間を現実と非現実(内容的にはフィクションの世界とドキュメント、技術的にはモノラルとステレオ)が立体交差しながら心の迷路をさぐりあててゆく手法を考えました。』(ラジオドラマのノートより)
『ドラマの中で、主人公の“私”は失踪人のサラリーマンを探しつづける。盲目の少女は「古い帽子をかぶり空をさ迷う男」の詩を詠みつづけ、池谷少年は彗星を追いつづける。“私”はもしかすると失踪したサラリーマンは私自身ではあるまいか、と自問する。池谷彗星はゆっくりと軌道を残して視界から去る・・・』(寺山修司のラジオドラマCD選集Aより)
帯広公演でこの作品を上演した後、友人から「今回の芝居はちょっと難しかった」との感想をいただきました。私自身、夜空の星を見上げる事はあっても、星座に詳しいわけではないので、初めて脚本を手にした時の事を思うと解らない事だらけだった気がします。そんな中で、寺山修司さんのこのCDに出会ったのです。盲目の少女の詠む詩は、劇中の歌の歌詞そのままでした。
『何かを発見した時、何かを失わなければならない』ならば、何かを失った時には、何かを生み出してもいいのかな、そんな事を考えながら今、舞台に立っています。
自分の言葉がすくなくてごめんなさい。少しでもこの芝居を観ていただく為のお役に立てればと思い引用させていただきました。本日は、帯広劇団演研の芝居に足を運んでいただきありがとうございました。帯広には、「演研・茶館工房」という素敵な(手前味噌ですが)空間があります。これを機会に、是非こちらにも足を運んでいただければと思います。
野口 利香
子供の頃、宇宙のことを考え、宇宙には端っこが無いことをわざと考え、頭が「ワー!」ってなるのが好きでした。星もよく見ました。家の周りは外灯も無く、懐中電灯がなければ歩けないほど真っ暗だったので、星がたくさん見えました。天の川も見えました。
最近は、夜空に星がある事さえ忘れてしまいそうです。毎日、膨大な情報に振り回され、何が大事で、何がそうじゃないのか、何が本当で、何がそうじゃないのか、今一番しなければならないことは何なのか、分からなくなっています。ちょっと立ち止まって思い出してみよう、頭がワー!ってなるくらいずっとずっと端っこのない宇宙の中に自分がいることを。そうしたら、明日の仕事のことなんか気にならないさっ!
ご来場の皆様、一時このちょっと小さな宇宙空間に身をゆだねてみてください。思い出せなかった何かを、思い出すかもしれませんよ。
金田 恵美
自分たちの芝居小屋が取り壊され、北見の劇団動物園が新たにアトリエを造った際、凄く羨ましかったのを覚えています(その後演研も茶館工房を造りました)。芝居を見にお邪魔する度に、いつか此処の舞台に立てたらと思っていました。昨年この作品に取り組んだ時、稽古が本当に楽しくて。茶館工房の舞台にやっと立てた事が凄く嬉しくて。今まで出立て公演にスタッフとしてしか参加した事がなかった私は、いつしかこの芝居を北見のアトリエで公演する事が夢になりました。
色々あって札幌公演が先にはなりましたが(北見公演の夢は諦めてはいませんよ)、私の地元である札幌で舞台に立てるのはとても楽しみです。と同時に、自分たちの芝居が受け入れてもらえるのか、楽しんで頂けるのか不安でもあります。でも自分たちが楽しんで積み重ねてきた事を信じて、舞台を楽しみたいと思います。そして、もし機会がありましたら、ぜひ帯広の茶館工房と北見のアトリエ動物園に足を運んで頂けたら嬉しいです。
上村 裕子
本日は、ご来場ありがとうございます。札幌公演でなければ、出会えない、そして観てもらえない人達がいます。ホームグラウンドとは違う空間でどれだけ自分達の空気感が作り出せるのか、役者・スタッフ一同丁寧に舞台を務めさせて頂きます。私達と一緒に北に向かう汽車の旅を楽しんで頂けると嬉しいです。
富永 浩至
この作品の演研での初演は、1995年の創立20周年のときである。青年団での初演は、その一年前なので、今から15年前の作品である。その同じ年に上演した「東京ノート」で、平田さんは岸田國士戯曲賞を受賞した。その作者が我々の芝居小屋に来て、初演を観てくれた。作者に観られるという経験などなかったので、我々は大いに緊張した。作者をうならせる作品にしなければと、私などは相当気負っていたことも確かだ。結果は気負い負けだったが(笑)。
実はこの作品の上演を決めた時、偶然にも平田さんが、地元新聞社の招きを受けて、月に一度来帯し、一年間に渡りワークショップを行うことになった。毎月、土日にワークショップを受け、土曜の夜には交流会が開かれた。私はその席で、平田さんの横に陣取り、様々な話を伺った。兎に角「切れる」というのが第一印象。こんなに頭のいい人が世の中にいるのだと思った。
一年に渡ったワークショップは、グループで短い作品を創り、発表会を行うことで締めくくられた。そして発表会に合わせて、平田さんの講演も行われた。その時の話にとても感銘をうけた。最後に宮沢賢治の「告別」という詩を引用して、芸術のあり方を語ったように思うが、ここにその詩の冒頭のみを書き記しておく。
おまえのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるはせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまえは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだろう
・・・・・・・