第70回公演  「楽屋」
 作:清水邦夫  演出:片寄晴則

 


 スタッフ
  片寄晴則、富永浩至、清水匠、村上祐子、鈴木えりか
  

 キャスト
  女優A:上村裕子、女優B:野口利香、女優C:坪井志展、女優D:金田恵美   


上演にあたって

片寄 晴則

 

数々の修羅場をくぐり抜け、今日もまた華やかなスポットライトを浴び続けている女優……そして、その楽屋の闇には、死してなお、舞台に立つその日を夢見て、化粧に没頭する女優の魂達が徘徊している

 今や全国の劇団で繰り返し上演されるスタンダードとなっているこの作品には、登場する4人の女優を通して、戦前・戦後・そして現代へと続く座標軸の中で脈々と流れる芝居への『想い』や舞台に立つことへの『執念』が詰まっています。そんな『想い』は、こうして地方で芝居を続けている私たちにも、皮膚感覚で分かる気がして、上演を重ねてきました。
 私が公務員の職を辞し、自分たちの空間を求めて大通茶館を開店後、初の演出作となったのが82年の初演。以後92年の「演研芝居小屋」から「メガストーン」「演研・茶館工房」と上演拠点が変わり、ついに今回で5演目。演研の40年の歩みと共にある作品ともいえるのではないかと思っています。前回までとは違い、空間も同じ、キャスティングも同じですから、より完成度の高い舞台が求められるのは当然のことと覚悟もしております。今回こそ「楽屋」の集大成にしたいと稽古を重ねて参りました。
 ご来場のお客様の中には、この変遷を見守り続けて下さった方も多数いらっしゃることと思います。茶館工房の闇に、ひと時身を沈め、私たちの「楽屋」がどう成長したのか、徘徊する魂たちの『執念』や『想い』が変わらずにここに存在しているのかを確かめていただけると嬉しいです。そして本日もまた『観客』という役で、私たちと共に芝居創りに参加して下さった皆様に感謝の気持ちを込めて・・・
 本日はありがとうございます。


 


つぶやき

坪井 志展

 稽古場で鏡の中の自分と向き合っていると、現実はなんて醜く滑稽なのだろうと思う。でも、そんな中からも何かが生まれてくるはずだと信じ稽古を重ねています。
 この作品は、清水邦夫さんが、某劇場の楽屋の壁にアイロンの焼けた後がくっきりつけられているのを見て、書くことを思いついた。そんな強い焼け跡は、誰かが何者かに呪詛の炎を燃やして押し付けなければつかない。そんな想像をして書かれたそうです。
 今日のこの工房の楽屋の中に立ち込める女優たちのさまざまな思い、消えることのない情念のようなものを感じて頂ければ嬉しいです。

 

上村 裕子

 念願の「楽屋」とまたまた向き合う日々となりました。今思えば、「楽屋」の初演は私がまだ演研に入る前、入団後にいろいろな逸話を聞かされてきた作品なので、いつか自分も関われたらいいなと漠然と感じていたと思います。
 演劇を愛するもの達の生身の感情や裏事情が楽屋という舞台で繰り広げられ、その顛末が滑稽であり哀しくもある。そんな「楽屋」という作品を楽しんでいただけるようにと稽古に励んでいます。
 それにしても、前回上演から5年が経ち様々な変化が起きています。(えっ?私だけですか?)以前何かで「人の細胞は5年で生まれ変わる」というのを読んだことがありますが、そうするともはや、私の細胞もあの頃とは別人?ああ、だからとても体が大きくなったり、膝とか痛くなったりするのですね・・・いや、そういうことではないですね・・・
 何度も上演している大切な作品。大事な仲間たちと作り上げていく空気感を楽しんでいただけたら幸いです。
 ご来場誠にありがとうございます。

 

野口 利香

 5年ぶりの「楽屋」です。前回と同じキャストです。前回は釧路への転勤による休団期間を経ての舞台ということで、舞台に存在することがこれほど難しいものだったのかと思い知らされたものでした。では今回はというと…、やはり容易ではないのです。多くの課題を抱えながら、稽古場へ通う日々。もちろん、この芝居で再び舞台に立てる喜びもあります。この芝居は、4人の女優の舞台への執念を描いたものですが、自分の舞台への想いはどれほどのものなのか…。
 「楽屋」の舞台に役者で立つことには、相応の重みがあるということを再認識させられます。そして、まぎれもなく女優Bとして舞台に存在することが私の目標です。そうなることを願いながら、夜な夜な稽古場に足を運んでいます。
 本日はご来場ありがとうございます。
 4人の女優それぞれの濃密な想いを受け止めていただければ幸いです。



金田 恵美

 公演まで1ヶ月を切りました。演研40周年のブログ、出演者インタビューでも話しましたが、5年前の「楽屋」で迷いながら発していた台詞を、今回は自分の中に落として、自分の言葉として発する事ができているのでしょうか?このつぶやきを書いている今、まだ落ちきってはおらず、さすがに焦ってきました。
 私は仕事をしに帯広にきました。演研に入るにあたり、自分の中で決めていた事があります。それは、仕事に支障が出るなら芝居をやめる、若しくは仕事が忙しくて芝居と向き合えなくなるのなら、芝居をやめるというものでした。4月から仕事量が増え、この時期に舞台に立つ事を悩んだ時もありました。せっかく「楽屋」をするのだから、もっと誠心誠意向き合いたい。でも実際は、慣れない仕事に追われ続け、仕事から離れても芝居の事を考える体力が残されておらず、「楽屋」と向き合う時間は全然足りていません。いや、時間の問題ではないですね、体力と精神力の弱さをより実感した、ここ数ヶ月でした。でも、5年振りの「楽屋」は、できているかどうかは別にして、素直に楽しいと思える場所でした。女優Dには女優Dなりの思いがあり、意地があり、覚悟がある。その思いに寄り添い、思いを昇華させる事ができれば…。
 この先、自分がどう生きていくかはまだわからないけど、今は此処に居たい。「楽屋」を、この仲間と楽しみたい、そう思っています。
 本日は工房に足をお運び下さり、誠に有り難うございます。この舞台を一緒に楽しんで頂けたら嬉しいです。

 

清水 匠

 今年の1月に演研に入団して、いよいよ初めての公演を迎えることになりました。高校の部活動を引退してからしばらく演劇とは無縁の生活を送っていたので、今回久しぶりに演劇に関わることができて嬉しいです。まだまだわからないことばかりで、先輩方には迷惑をかけっぱなしですが、今回の公演をより良いものにできるように、自分のできることを精一杯やっていきたいと思います。

 

富永浩至

 学生時代、演劇サークルに所属していた私は、学外公演を大通茶館で行なったのが縁で、演研の皆さんとは随分親しくさせてもらった。他の地域に観劇に行くときには必ず誘ってもらい、帰りの車の中では、観て来た芝居の感想を話し合った。芝居の観方など、その時の経験で培われた気がする。なかでも忘れられないのは、旭川の劇団「河」だ。「河原館」という土蔵を改装した小さな劇場で観た「楽屋」は強烈だった。そしてパンフレットには、「作・演出、清水邦夫」とあった。旭川の劇団が日本を代表する劇作家の演出を受けているということに衝撃を受けた。あとで聞くと、清水邦夫が石橋蓮司や山崎努らと作った「風屋敷」が公演直前に空中分解し、未上演となっていた「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」を日本で初演したのが「河」で、その時の演出も清水邦夫だということだった。中央思考の強かった学生の頃の私に、地域でもこのような活動が出来るのだということを、「河」は教えてくれた。
 その「楽屋」の次の年、演研も「楽屋」を上演し、そして、その次の年、私は演研に入団した。もう30年以上も前の話である。

 

 

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