第1回 松本道子さん

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と言うことで、第1回目のゲストは、松本道子さんです。今も演研の芝居を観続けているお客様の中で、一番古い作品を観ている方です。モダンバレエのダンサーでもあり、ダンス教室の先生でもあります。松本先生の詳しいプロフィールはこちらからどうぞ。(※片寄や上村が習いに行っていたので、我々は松本先生とお呼びしています。)
http://www.tokachi.co.jp/feature/200812/20081201-0000067.php

富永:本日は、よろしくお願いいたします。松本先生には、うちの創立10周年の時に作った記念誌に文章を寄せていただいています。これなんですが。

松本先生:(記念誌の写真を見て)みんな若いですね。片寄さんも坊ちゃんだね。この人は誰ですか。

富永:ああ、佐久間ですね。これは、坪井、私、片寄、村上、あと上村ですね。


松本先生:(片寄の写真を指して)これ、大学生か、高校生みたい。(笑い)

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※松本先生が見ていた写真です。さて、「坊ちゃんのような片寄」はどの人でしょうか?


富永:まずはお聞きしたいのは、うちの芝居、何から観たのか覚えていますか?

松本先生:私がずっと心に残っているのは、エルパソで観た、なんでしたっけ、皆さん着物を着た・・・。

富永:ああ、「木蓮沼」。1978年にやった第3回公演ですね。

松本先生:それが一番印象に残っています。好きでしたね。

富永:その時はまだ、私は演研にはいなかったのですが。

松本先生:あれは、女性だけでした?

富永:はい、そうです。「木蓮沼」はその後、2回再演をしています。大通茶館でと、あと駅の南にあった「演研芝居小屋」のこけら落としが「木蓮沼」でした。

松本先生:あ、そこでも観ました。エルパソでもやったでしょ?

富永:はい、やりました。3回とも観てますか。

松本先生:はい、観てますね。

富永:最初、エルパソに観に行こうと思ったのは、知り合いがいたからとかいうことですか?

松本先生:いや、演劇好きで、演劇がやりたかったんです。

富永:え、そうなんですか?

松本先生:三条高校の時に、クラブ活動で、常時行ってはいなかったんですが、公演する時には誘われて、出ていました。

富永:そうですか、それ、高校生の時ですか。

松本先生:はい。演劇は観るのも、やるのも好きだったんです。寝てるだけの役をやったことがありますよ。姉妹でお姉さんがいてね、リヤカーの上に寝るところをつくって、最初っから最後まで起きないでいいからって言われて、そんな二人芝居をやったこともあります。

富永:それ高校生がやったんですか?ずいぶん前衛的な芝居ですね。

松本先生:寝たまんまで、起きなくていいからって言われてね。(笑い)


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※第3回公演「木蓮沼」(作:石澤富子)、演研10周年記念誌グラビアより。


富永:高校卒業してからは?

松本先生:ダンスの方へいったんです。東京の方へ出て。そして挫折して戻ってきたんです。(笑い)

富永:戻ってきて、すぐにバレエ教室を始めたんですか?

松本先生:あのね、挫折して向こうでやめてたんですね。で、歳だから結婚しなさいって言われて、結婚しますって言って、お見合いしたのよ。そしたら、そのお見合いが不思議で不思議でね。

富永:え、何ですか?

松本先生:相手の方が、どこも悪いところがなくて、こんな良い男性いるかしらって感じで。頭も良くて、良いところにお勤めしていて、お兄さんが舞台俳優で。一度会ったんですが、うちの姉も間違いないからって。私、このまま結婚するのかしらと思ったんです。お兄さんの演劇も観に行って。

富永:ええ。

松本先生:そしたら何がなんだか分からなくて、結婚ってこんなものなのかと思って、その人が素敵なので、なおなんでしょうね。一回会っただけで結婚を決めたらどうなるんだろうと、悶々としまして熱出しちゃったんです。(笑い)

富永:ええ。(笑い)

松本先生:そしたら、学さん(ご主人)とは帯広にいる時につき合ってたんですが、年に一回スズランを送ってきてたんです。その悶々としていた時に、ちょうどスズランが届いたんです。そうしたらかあっとなっちゃって、そして私帰るわって言って、戻ってきて結婚しちゃたんです。

富永:向こうでお見合いしてたんだけど、それを振っちゃったんですか?

松本先生:ええ、振っちゃったんです。(笑い)

富永:え、えー。

松本先生:でも、それがなかったら、今こうしてなかったでしょうね。

富永:そしてこちらで帰ってきて結婚して、それからダンス教室を開いたんですか?

松本先生:いえ、いえ。それから全部やめて、結婚したんです。結婚した当時は大変でとってもダンスなんか出来る状態ではなかったです。それから色々なことがあって、何か始めようと思ったんですが、出来ることはダンスしかないと思い、始めたんです。

富永:それはおいくつの時ですか。

松本先生:23歳で結婚して、子供が出来てすぐですから、24歳の時ですね。

富永:うちの片寄が先生のところへ習いに行っていたのは覚えています?

松本先生:それは覚えてますよ。男性が少なかったですし。今のスタジオが出来る前の時ですね。大通の15丁目にあった・・・。昔のことですからね、思い出せないなんとかですね。そんなお芝居あったでしょ。

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※松本バレエ公演、(旧)帯広市民会館大ホールにて。中央のアフロヘアが片寄。


富永:はい、「思い出せない夢のいくつか」ですね。(笑い)やっぱり木蓮沼が印象にあると言うのは、初めて演研の芝居を観たからでしょうかね。

松本先生:いや、その前にも観てますし、初めてだからということではありません。

富永:そうですか。

松本先生:エルパソでは何回か公演したの?

富永:えっと、その「木蓮沼」と、あとその前に「気を沈めてよお母さん」というのをやってまして。2回ですね。

松本先生:そうですか。あそこも結構長くありましたよね、3、4年あったの?

富永:えっと、どこですか?

松本先生:あの、エルパソの次。

富永:エルパソの次は、映画館の2階で、その次は片寄が大通茶館を開いて、ここでやってました。ここでは観ています?

松本先生:ええ、観てます。あの、駅の南の・・・

富永:ああ、演研芝居小屋ですね。

松本先生:ああ、その後でしたっけ。芝居小屋は。

富永:はい、あそこでは10年やりました。その後は、ライブハウスで、えっとメガストーンですね。あそこで4、5年やりました。で、2007年に工房をつくりました。

松本先生:40年ですか。良いですね。

富永:先生は上の工房で、踊られたことがあるじゃないですか。どうでした?

松本先生:いつも観に来ている会場だったので、違和感なくやらせてもらいました。ステージは居心地が良かったです。照明やら、裏のお仕事をすっかりお世話になりまして、心配なく進めてもらって。

富永:また、工房で踊って下さいよ。

松本先生:前に踊れなくなってキャンセルした公演があるんですけど、それを5月にやって、それが終わりになるのかなと思っているんです。

富永:そんなことを言わず、また演研でお手伝いしますので、是非やってください。


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※2009年の演研・茶館工房にて。松本道子ソロダンス公演「まばゆさの在処、その哀しみ」。


富永:では、最後になりますが、演研でこんな作品をやったら観てみたいとか、ありますか?

松本先生:いえ、ちゃんとここでないと出来ない。ここでやると味がでるという作品を選んでいるから、いいや、さすがだなと思います。こんなのをやらないで欲しいというのはやってないですものね。

富永:そうですか、ありがとうございます。本日はどうもありがとうございました。


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