第5回 松井由孝さん

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今回のゲストは、松井由孝さんです。「狂言づくしの会」の事務局長、毎年人間国宝の山本東次郎さんの狂言を帯広で見せてくれています。今年で25回目になります。

 

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富永:今日は、素敵なお着物で、ありがとうございます。松井さんは、10周年記念誌の座談会に出てもらった時のお話で、「僕は演研の芝居を観せてもらったのは新しくて、『受付』からです。」って言っているんですが、その前の「楽屋」とかは観てないんですか、清水さん(※)が出てたんですが。


(※清水章子。劇団創立メンバーで、第6回公演まで在籍。第5回公演では、詩をコラージュしたオリジナル作品「劇的なるものへの序章」を構成・演出した。)


松井さん:清水さんが演研で芝居やっていた記憶は全くないですし、宮森さん(※)、

富永:あ、宮森さんも知ってたんですか。


(※宮森則子。演研創立幹事の一人。第4回公演まで在籍。)


松井さん:はい。宮森さんも芝居をやっていたというのは聞いてたんですが、一度も観たことがないんです。

富永:宮森さんとは、職場が一緒だったんですか。

松井さん:ええ、職場も一緒だったんですが、都甲さんだったり、共通する友達がいたから知っていたんです。

富永:だけど、チケットを売りに行かなかったんですね。

松井さん:その頃は、まだ知り合う前だったのかも知れません。

富永:ああ、そうですか。


松井さん:なんかすごく老け役が凄いという伝説があるくらいで、それを観てみたかったなって。それは残念です。

富永:そうですか。僕らは大先輩ですから、老け役って言われても、ピンと来ませんが。昔、若い時に老け役をやっていたんでしょうね。

松井さん:演研のお芝居は、ここ(大通茶館)で観てたじゃないですか、いつも。店の中のものを全部片付けて、ビールのカートンで客席をつくって、あの演研の人たちの努力っていうか、情熱っていうか、それにはいつも感服していたんですよね。

富永:ええ。


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※大通茶館での稽古の様子。創立当初は、女性はレオタード姿、男性はTシャツにタイツと決まっていた。


松井さん:上手く使ってたじゃないですか、この場所を。僕は佐久間さんの「飛龍伝」がすっごく印象に残っているんですよ。彼も市役所で、南商(帯広南商業高校)だったでしょ。一つか二つ後輩なんですよね。

富永:ああ、そうですか。


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※第10回公演、第31回公演(再演)「飛龍伝」。山崎役の佐久間孝。


松井さん:僕は放送をやってたんですよ。

富永:高校のときですか?

松井さん:そう、そう。ステージがあって、放送室があって、彼らはいつもステージで練習してたんですよ。放送室からステージが見えるんですが、それをいつも見ていた記憶があります。

富永:へー。

松井さん:卒業して、佐久間さんは劇団「扉」に入ったんですか。

富永:はい。え、じゃあ「扉」の芝居は観てたんですか?

松井さん:いや、観てない。僕は演研以外の地元の劇団の芝居は、観てないんです。「あかねの会」は高橋信行さんがやってたのは知ってるし、「扉」は石田昌志さんがやってたのは知ってるし、石田さんの奥さんも知ってるんですが、どうもそっちの方の芝居には足が向かないんですよ。何なんでしょうね。

富永:いやいや、分からないです。(笑い)

松井さん:もともと芝居なんて、分かっている人間ではないし。

富永:でも放送部だったんですから、そんなにかけ離れているわけではないですよね。

松井さん:でも、自分でやりはしなかったんですが、観るのは好きだったんですよね。昔の市民会館でやった芝居なんかは、結構観てますね。杉村春子さんとか。

富永:ええ。

松井さん:で、演研に通うようになって、一生懸命だなって、小劇場の芝居は、今まで接してなかったから、役者と観る側の距離が近いし、それこそ汗が飛び散っているのが見えるくらいの、距離じゃないですか。そういう面白さに惹かれたんでしょうね。

富永:はい。

松井さん:で、そのあと、駅南の芝居小屋に移ったじゃないですか。いや、こんな常設の小屋を持つなって大したもんだなって思ってて。で、あの時ですよね。これ、市の文化奨励賞をもらったのね。

富永:ええ、そうです。

松井さん:やっぱりあれね、演研がもらったんだけど、我がことのように嬉しかった。

富永:ああ、そうですか。ありがとうございます。


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※前列右から2番目が代表の片寄です


松井さん:確かあの時、公演中で、打ち上げに参加させてもらったんです。そして、片寄さんと飲み潰れて、

富永:ええ。そうです、「トイレはこちら」の再演をやってました。

松井さん:で、あの小屋で、気がついたら、あれ、ここどこだ?って思ったら、隣に誰か寝ていて、これヤバイって思ったら、片寄さんで安心したんだけど。(笑い)

富永:皆、置いて帰っちゃったんだ。(笑い)

松井さん:私も外で飲んでて、酔いつぶれるってことがなかったんですよ。あの時だけですよね。ある時から記憶がなくて、寝たのか寝かされたのか、全然覚えてなくて。

富永:あはははは。(笑い)

松井さん:やっぱりそれは嬉しかったんだと思う。それで酒をガバガバ飲んで、酔いつぶれちゃったんだと思うんですよね。

富永:へー。

松井さん:だから、うちらの「狂言づくしの会」も、その後もらったんですが、演研さんの方が嬉しかった。なんか演研のスタンスからいくと、行政のこういうものって、何となく関係ありませんっていう感じでいたじゃないですか。


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※2003年「狂言づくしの会」主催の狂言ワークショップの発表会、帯広市民文化ホールにて。片寄、富永、坪井の3人で「附子」を演じた。


富永:はい、昔そういう感じはありましたね。

松井さん:誰が推薦したか分かりませんが、そういう推薦があって、審議委員も公開していませんから、誰が審議委員になっているかも分からないんですが、演研の活動をきちっと評価して、認めてくれたってことも嬉しかったんですよね。自分としては。本当にあの時は嬉しかった。

富永:先ほどの10周年記念誌の座談会でのプロフィールに、企画集団ニュー・ホラーズ事務局長ってあるんですが、これは?

松井さん:これはね、弘文堂画廊ってあったじゃないですか。あそこの社長と知り合って、もう亡くなりましたが、「文化は土の中から」って十勝ルネッサンス運動を標榜していた方で、十勝の人は帯広に絵を見に来る、道内の人は札幌に見に来る、日本中の人は東京に見に来る、それはおかしいだろうって言って、帯広に来た展覧会を十勝管内の町村に持ち歩くという計画をしたんです。おんぼろのマイクロバスに絵を詰め込んで、絵を飾って、終わったら絵を外して、また積み込んで別の町村へ行くということをやっていたんです。

富永:え、でも仕事をしてたんですから、土日の話ですか?

松井さん:いやいや、一週間有給休暇とってさ。それで、今度は「ニュー・ホラーズ」という会をつくるって話になって、弘文堂の社長がホラ吹きだから、でも誰かが吹いたホラを、吹きっぱなしじゃなくて、実現しようと言うことで、「ニュー・ホラーズ」ってつけたんですよ。

富永:あ、そうですか。

松井さん:アメリカ行った時は、何か変な「ホラー」の団体かと思われましたよ。(笑い)

富永:なるほど。(笑い)

松井さん:で、その会は、絵描きもいて、我々みたいな鑑賞者もいたんですが、鑑賞者が展示会を企画するっていうスタンスでやったんです。それで、本別、陸別、中札内、鹿追で展示会をしたんですが、その1回目の打ち上げの時に、弘文堂の社長が「5回目は、ロサンゼルスでやるって」って吹いちゃったの。

富永:凄いな。(笑い)

松井さん:そして、その展覧会は半年に1回くらいずつやっていたので、3年目くらいの時に、

富永:もう5回目になっちゃったんですか。

松井さん:そう、なっちゃたのさ。そしてね、やるのは良いんだけど金はないしさ、でも集めるって言ったんだけど、案の定、近くになったら消えちゃったの、弘文堂の社長が。

富永:え、え。

松井さん:そして、いつも言ってたもんだから、ロサンゼルスでやるっていうのが巷には流れてたんですよ。

富永:引くに引けない感じになっていたんですか。

松井さん:そう。で、私は、社長はいなくなるし、金はないし、そんなところ行ってられないから、止めようって言ったんです。

富永:まあ、そうですよね。

松井さん:でも、画家の生命が絶たれるとか、小さな町だからそうなったら町歩けなくなるって言う人もいて。もう絵を抱えて行って、ロサンゼルスの公園でも何でも良いから、絵並べて写真だけでも撮って帰って来ないと格好がつかないって皆に言われて、

富永 はい。(笑い)

松井さん:で、そのとき、旅行会社の、ロサンゼルスの駐在の人が、日系人美術家協会の方に話をしてくれたんです。それから色々なところから協賛金や寄付をもらったり、最後、弘文堂で持っていた能勢真美の絵を売ったりして、それでなんとか行けたんですよ。

富永:そうでしたか。

松井さん:そんなんで色々なものを見たり聞いたりするのが好きだったから、演研の芝居もあらたまって観に来た感じではないんですね。都甲さんと付き合いをしていて、それで行かないかって誘われて、自分が今まで観ていた演劇にはない新鮮さがありましたね。

富永:ホールで観るのとは違いますからね。

松井さん:それに、まだ皆若かったじゃないですか。元気よかったし、良いなあと思って。当時、まだ色んな文化活動している人が頑張っていましたよね。絵描きさんやら、演劇やってる人も、音楽やってる人も、皆元気で、そういう元気さがまだ、帯広の町にはありましたよね。その中の演研の人たちが、自分には興味があって、それで観続けたんだと思います。

富永:ええ。

松井さん:演研は、古いものも再演するのだけれど、新しいところに挑戦するところがありますよね。あの姿勢っていうのが良いのかなって思います、観ている人たちにとって。

富永:ありがとうございます。

松井さん:レパートリーになっているものは、観ている人は安心するところがあると思うんですが、新しいものを見せてくれるっていうのが、良いですね。残念なのは、まあ、これは演研だけじゃないですが、若い人がついてきてくれない。帯広だけじゃなくて、道内全部がそうなんでしょうが、文化活動に若い人が興味を持たないというのは、残念ですね。

富永:昔は帯広でも、若い劇団が出来たりもしたんですが、続かないし、今、新しい劇団が出来る感じもしないですしね。

松井さん:ここでやっていて、別な所へ行ってもやるっていうなら、まだしも、初めから入って来ないじゃないですか。ちょっと寂しいですね。なんとか若い血を入れて、頑張って下さい。

富永:そうですね。今日は、どうもありがとうございました。

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