今回のゲストは、榊眞さんです。神奈川県在住にもかかわらず、毎回観て来てくれます。航空運賃をいれると一番高いお金を払ってうちの芝居を観てくれているお客様です。今回は孫に会いに東京へ出かけた片寄がインタビューを担当しました。
片寄:榊さんはいつから芝居を観るようになったんですか?
榊さん:私は若い頃はあんまり観てなかったんです、むしろ郷土芸能に興味を持っていたんですよ。仕事で演劇や美術関係を扱うようになって、それで観だしたんですよ。
片寄:仕事というのは?
榊さん:都の文化行政の仕事で。結局、一番演劇にハマっていったキッカケは、平田オリザさんですね。
片寄:え、そうなんですか?
榊さん:平田オリザさんと同じ会議の場で出会って、ちょっと面白い人がいるなって思って。この人のお芝居を観てみようと思い、アゴラ劇場へ行ったんです。それから小劇場演劇をいろいろと観るようになったんです。だから、かれこれ二十二、三年前から観ていますね。
片寄:あ、その都の文化行政にかかわるようになってですね。
榊さん:はい。
片寄:僕たちの所へ観に来てくださるようになったのは、平田さんが書き下ろしをしてくれたってことで、ですか?
榊さん:そうです。50歳になった時に精神保健福祉センターという所に転勤になったんですが、そこは専門家集団なんです。そこにいる人はちゃんと資格があって、そこを辞めてもどこかで仕事できるんですよ。
片寄:ええ。
榊さん:それって良いなって思って、自分も何かやろうと思って探していて、でも見つからなくて、最後に見つかったのが東洋大学の社会人大学院。そこでも演劇関係をやるつもりは全然なかったんですが、たまたま私がとったゼミの先生が何やってもいいよって言ったもんですから、それで舞台芸術関係を調べてみようかと思ったんです。
片寄:はい。
榊さん:で、その先生はもう一つ、帯広の地域調査をフィールドワークとしてご専門だったので、そのゼミをとった以上、帯広に行かざるを得ないんですよ。(笑い)
片寄:なるほど。(笑い)
榊さん:それで帯広に行って何するかを決めてなくて、ネットで調べたんですよ。で、いくつかの演劇のキーワードで検索した中に、演研があったんです。それで、なんだろうって調べていったら、平田オリザが書き下ろしをしてるっていうんで、凄い劇団があるなって思って、すぐ電話したんです。あれ、片寄さんに電話したんですよね?
片寄:そうです。演研の連絡先が大通茶館になってますから。
榊さん:で、演研さんにお世話になったんです。
※東洋大学の帯広・十勝調査団の報告書。榊さんの論文は一番最初に載っています。56ページにも及ぶ論文、目次だけ紹介します。
「はじめに」
「第1章日本の演劇状況と地域演劇 第1節日本の演劇状況、第2節地域演劇」
「第2章帯広の演劇状況 第1節概説、第2節帯広の演劇史、第3節地域劇団、第4節児童演劇、学生演劇、青年演劇、第5節市民演劇、第6節帯広と東京」
「第3章十勝伝説、ほうき座、児童劇団 第1節十勝伝説公演実行委員会、第2節ほうき座、第3節帯広児童劇団」
「第4章劇団演研 第1節概説、第2節劇団史、第3節公演まで、第4節劇団の特色」
「第5章演劇の場をめぐって 第1節小劇場、第2節演劇の場」
「おわりに」
第4章で演研を取り上げていただきました。かなり詳しく書かれています。
片寄:初めてお会いした時、良く覚えているんです。「隣にいても一人」を青年団でやることになって、僕ら観に行ったんですけど、そこで初めて会ったんです。待ち合わせの目印で、金髪のじいさんが行きますからって言って。(笑い)
榊さん:ええ。あれ、あのとき一緒にいたのが、お嬢さんですか?
片寄:そうです、娘も一緒にいたと思います。あと、坪井と上村と。
榊さん:え、なんでその時に坪井さん上村さんに会ってないんだろう?
片寄:あ、そうだ。坪井、上村は当日ギリギリに着いたんです。だから、
榊さん:ああ、そうだったんですか。なんせ金髪と若いきれいな女の子がいたということだけ記憶にあります。(笑い)
片寄:あの時、観終わったあと、僕たちは近くの居酒屋で山内さんやマチコさん(※)と飲んだんです。うちの娘は先に帰ったんですが、坪井と上村が調子よく飲んでいたので、「私、残ろうか?」って心配したんですけど、二人とも潰れるということはないから大丈夫だって言って、帰したんです。で、結局、上村が凄く酔っぱらって、腰が立たなくなって、坪井が連れてホテルまで連れて行ったんです。(笑い)
(※山内さんやマチコさん、青年団の中心俳優、山内健司さんと松田弘子さん。)
榊さん:ああ、坪井さんじゃなくて。(笑い)
片寄:はい。青年団では、山内さんが酔っぱらってみんなに介抱されるらしいんですけど、それからですよ、上村に「山内に介抱された女」っていう称号がついたのは。(笑い)
榊さん:そうですか。(笑い)
片寄:そのあとですよね、うちの芝居を観に来てくれたのは?
榊さん:そうです、「救いの猫・ロリータはいま・・・」が最初です。
※新人お披露目公演「救いの猫・ロリータはいま・・・」メガストーンにて。左から富永浩至、金田恵美、坪井志展、宇佐美亮、館律子。
片寄:あれは新人お披露目公演ですし、この次に「隣にいても一人」をやりますからって言ったんですけど、わざわざ観に来てくれたんですよね。
榊さん:いえ、多分、その時レポートをまとめなければならなくて、期限があったんだと思いますが、でも、やっぱり、まずは観てみないことには、と思ったんです。
片寄:初めてご覧になったときはどうでした?
榊さん:いや本当に、あの時片寄さんはイマイチだって言ってましたけど、まあ、期待値が低かったのかもしれませんが、これだけやるのって思ったんです。それで興味を持ったんです。
片寄:その頃はいろんなお芝居を観ていたんですか?
榊さん:ええ、ずいぶん観てました。それより少し前くらいですかね、美術、演劇、映画、コンサートを年間280本観てましたね。
片寄:え、そんなに。凄いですね。
榊さん:まあ、展覧会が一番多いですけどね。
片寄:「ロリータ」のあとは、演劇祭ですが、あれ、釧路まで来てくれたんですか?
榊さん:いや、行ってないです。釧路でやる前の週に大通茶館でやった「隣にいても一人」を観たんです。で、釧路は行かなくて、それから東京で、アゴラで観たんです。
片寄:あ、そうですか。あの時はずいぶん多くのお客さんを連れて、連日来てくれましたよね。とてもありがたかったです。それで、その年が明けてから、三劇団集まって道東小劇場演劇祭の反省会を阿寒でやったんですが、それに来てくれましたよね。一泊したんですが、皆酔っぱらって大変だった、
榊さん:ああ、はい。あの時は坪井さんがかなり酔っぱらって、片寄さんに怒られて、でも怒られても怒られてもめげずに酔っぱらっていたという。(笑い)
片寄:お恥ずかしい所をお見せしまして。(笑い)
※阿寒の温泉ホテルで行なった「道東小劇場演劇祭」反省会と次回演劇祭の打ち合わせ。
※終わった後は、楽しい宴会へ。
※そして、更にその後は飲み会、ここで数名が悪酔いしました(^_^;)。
片寄:それで、榊さんは、第46回公演の「ロリータ」から、この前の第69回公演まで23回公演をやっているんですが、そのうち20回観てもらっているんです。
榊さん:そんなに観てます?
片寄:はい、本当にありがたいです。それで、印象に残っていることとか、芝居とかありますか?
榊さん:芝居の印象としては「救いの猫・ロリータはいま・・・」が一番印象に残っちゃうんですね、最初に観たので。なぜか宇佐美さんと館さんの二人が、手をつないで立っていたのが絵としては印象に残っています。なぜか分からないけど。(笑い)
片寄:あのとき、その二人が新人で、あ、あと金田もあれが初舞台ですね。
※「救いの猫・ロリータはいま・・・」、写真中央が初舞台の金田、右の二人が新人の宇佐美と館。
榊さん:それと何といっても一番回数を観た「隣にいても一人」ですよ。
片寄:ええ。
榊さん:「隣に・・・」はやっぱり大塚さんの印象が強かったかな。大塚さんの芝居もそうだけど、大塚さんが大通茶館の2階で寝泊まりしていて、その窓から顔出したりしていたのを覚えています。(笑い)
※第47回公演「隣にいても一人」、大通茶館での稽古の様子。大通茶館での公演は14年ぶりだった。写真中央は客演の大塚洋氏(青年団)。
片寄:で、その次は龍昇がやって、そのあとは富永が、動物園とやった、
榊さん:あれは印象には残ってますが、ちょっと薹(とう)が立ちすぎちゃっていました。(笑い)
片寄:ははは。(笑い)
榊さん:やっぱり一番は、最初の頃の、アゴラでやった「隣」かな。演研の空間とは違う空間でやったからかな。でも気合いが入っていたんじゃないですか?
片寄:まあ、初めての東京公演でしたから、平田さんのホームグランドでもありますし、恥はかきたくなかったので。(笑い)
榊さん:そのあと、2008年に青年団主催で、「隣にいても一人」8バージョン公演をアゴラ劇場でやりましたけど、あれに出た演研の「隣」も印象的でしたね。8バージョン全部観ると、隣にいても一人マグカップをもらえたんですよ。もちろんもらって、机のわきに置いてあります。(笑い)
片寄:僕も持ってますよ。(笑い)
榊さん:あの中で、7バージョンは、平田オリザさんが演出して青年団の役者+各地でワークショップやった役者さん、片寄さん演出の帯広編だけが演研オリジナルでしたね。
片寄:はい。
榊さん:帰りがけ、「帯広編がオリジナルだって、深みがあったね」と言うような会話が聞こえてきて、嬉しかったですね。
※2003年、「隣にいても一人」東京、こまばアゴラ劇場にて。道東小劇場演劇祭 in アゴラでの舞台。
※2008年、青年団プロジェクト公演「隣にいても一人帯広編」終了後のこまばアゴラ劇場前。写真中央で話をしているのが片寄と榊さん。
榊さん:あとは、この間の「あゆみ」と、
片寄:「反復かつ連続」、上村がやった、
榊さん:どっちだろう、いや両方ですね。演研としては、いままでにない感じで、一つのあり方かなって。芝居の善し悪しじゃなくて、演劇をやっている人というのは、自分たちの演劇だけではなく、人様の演劇をお客様に伝えるっていう役割もあるんじゃないのかなって思いました。
※第69回公演「あゆみ」「反復かつ連続」、演研・茶館工房にて。左から金田恵美、野口利香。
榊さん:演研がやる平田さんの演劇って、安心して観てられるんです。富永さんのあれ、
片寄:あ、「走りながら眠れ」。
榊さん:それから、「思い出せない夢のいくつか」って、観ていて芝居をそのまま受け止めちゃうみたいな感じで、浸っていられるんです。
片寄:はい。
榊さん:でも、浸ってばかりいてどうなのかなって。そうするとちょっと変わったものが、壷に入った「芝居」だとか、あとは、
片寄:変化球と言えば、「表に出ろいっ!」ですか?
榊さん:そうですね。そういうのもやるっていうのが、良いなって思います。
片寄:「あゆみ」と「反復かつ連続」は、演出の富永自身も不安があったようですが、観てくれた人は意外と楽しんでくれたようです。
榊さん:「あゆみ」の作者の柴さんも平田さんのところから出て来た人ですよね。他にもいろいろな人が出て来ているんですが、僕はなかなかついて行けないんですよ。一つは歳のせいだと思うんですが、
片寄:あ、それ、僕もよく分かります。(笑い)
榊さん:一番大きいのは皮膚感覚が違って来てると思うんです。でも、それを観るためには何か翻訳してくれないと、と思うんですが、「あゆみ」や「反復かつ連続」は翻訳してくれたので、良いなって思いました。
片寄:どうなんでしょう、歳のせいなんでしょうかね。
榊さん:ただ、例えば、「マームとジプシー」を扇田さん(※)がすごく押しているんです。扇田さんって僕らよりまだ上ですよね。
(※「マームとジプシー」、北海道伊達出身の劇作家、演出家の藤田貴大が主宰する演劇団体。設立が2007年と若い劇団。※扇田昭彦、演劇評論家。小劇場演劇をずいぶん紹介してくれました、ネットが無い時代の貴重な情報源でした。)
片寄:上です、上です。
榊さん:その人がそれだけ評価できるっていうのは、もちろんその人の知識や受け入れるキャパの違いもあるでしょうが、歳のことだけではないのかなって。
片寄:でも、僕なんかは、作り手としてはダメなんでしょうが、新しいことに興味が持てなくって、それよりも僕の作業はもっと深く深くやっていくことかなって。それと新しいことは、坪井とか富永は新しいことに凄く反応するので、彼らに任せています。(笑い)
榊さん:多分、歴史的に見ても、一時代を画した人がその時代を過ぎると置き去りにされているというのは、よくあることだから、
片寄:僕なんかは、一線を退いて、皆がやることを見ている方が良いかなって思っています。
榊さん:じゃあ、どうですか、毎年二本やるのはしんどいでしょうから、二年に一度とか三年に一度、片寄さんがこれまでやって来た演劇をやる、それ以外の年は、富永さんとか坪井さんが新しいものをやるっていうのはどうでしょう?
片寄:でも、さっきの「隣」の話じゃないですが、結局皆、歳とって来ちゃって、昔は歳とってからじゃないと出来ないと思っていた作品が、今は逆に若い人がいないので出来なくなっていますね。
榊さん:帯広の演劇を調べた時、北海道演劇全体も一応概略だけは調べたんですよ。札幌以外の演劇鑑賞会は新劇が中心だって話を聞いて、今の時代に新劇が中心もないだろうなって思うんですよ。札幌は大都市ということもあって、いろいろなものを観てるんでしょうけど、他はそうではない。そういう北海道の演劇土壌をみた時に、演研が帯広という地方都市でやっている意味はとても大きいと思うんですけどね。
片寄:まあ、道東小劇場の仲間の「北芸」も解散したので、うちと「動物園」だけですが、まあ「動物園」は僕らより下の世代ですから、どんどんやってくれれば良いと思うんですけど。
榊さん:ある意味、「演研」なり「動物園」があるから、五十嵐先生や新井先生(※)が活躍出来るというところも無きにしも非ずだと思うんです。だから、そういう高校演劇と連携できる地域の劇団は、やはりやり続けなければいけないと思うんです。(笑い)
(※五十嵐先生、清水高校演劇部顧問、第7回のインタビューにも登場してくれました。※新井先生、元池田高校演劇部顧問で現北見北斗高校演劇部顧問。)
片寄:ええ、まあ。(笑い)
榊さん:そういう意味でも、是非続けて下さいよ。
片寄:はい。今日はどうもありがとうございました。
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