第10回 大久保真さん

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今回のゲストは、大久保真さんです。富永と大学の同期で、共に演劇サークル(畜大演劇アンサンブル)に所属していました。就職してからは、転勤先から公演毎に駆けつけてくれています。同級生同士なのでインタビューというより、友達同士が昔話をしているという感じになったかもしれません(^^;)。


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富永:どっから聞けばいいかな。多分、大久保は、松本先生(※)の次に演研の古い作品を観ていると思うんだ。第4回公演の「気をしずめてよおかあさん」。覚えてる?

(※松本道子さん。第1回目のインタビューに登場してくれました。)

大久保さん:何となく覚えてる。映画館の2階でやったような気がする。

富永:そうそう。俺は全然知らないけど、そう。(笑い)

大久保さん:あの時は、奈津さん(※)と・・・。

(※石川奈津さん。大学の演劇部「演劇アンサンブル」の1つ上の先輩。)

富永:いや、一人で来たらしいよ。

大久保さん:あ、そう。



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1977年第4回公演「気をしずめてよおかあさん」シネマアポロン2Fにて。左から宮森則子、村上祐子。


富永:奈津さんと行ったのは、演研の稽古を見学に行った時でしょ。で、どうして一人で観に行ったの?俺は誘われなかったの?

大久保さん:いや、でも、アンサンブルに案内が来ていたと思う。多分皆、用事があって、観に行けなかったんじゃないかな。

富永:そうか。で、演研の稽古を見学に行ったのは、奈津さんと二人だよね。

大久保さん:え、どうして行ったんだっけ?

富永:ほら、あのとき、新任の英語の先生が名ばかりの顧問になったんだけど、演劇のこと何も知らないから、教えてもらいなさいって言って、演研に連絡してくれたんだよ。

大久保さん:あー、そうだったか。

富永:で、奈津さんと二人で行ったじゃない。

大久保さん:そう、体操やって、輪になってエチュードをやった。

富永:輪になって?

大久保さん:そう。「あなたの心の中のお花を表現して下さい」ってやつ。イメージポーズ。で、皆で当てるの。

富永:それは当たらないでしょ、何の花かって。(笑い)

大久保さん:いや、俺、当たったの。こうやって(手を上に広げて)、「ひまわり」。(笑い)

富永:それは、類型的だね、表現が。(笑い)

大久保さん:そうそう。(笑い)

富永:で、その「気をしずめてよおかあさん」はどうだったの?劇場じゃないところで芝居を観たのは、初めてだったでしょ?

大久保さん:まず袖幕が無かった。で、暗転から、くらーい明かりが少しずつ入ってきて、人がいるのが段々分かってきて。出てたの4人かな?

富永:いや、3人でしょ。

大久保さん:あ、そうか。娘とおかあさんと老婆、それを3人で交代交代に演じるの。確か。

富永:うん。

大久保さん:そういう感じで始まって、所々で役者がお客さんに話しかけるんだよね、それで。昔はそんな芝居なかったから、こんなことやるのかって思って。それに皆レオタードだったから。よく恥ずかしくないなって思って。

富永:そうだね、当時はね。

大久保さん:そんな芝居を観たことがなかったから、観方が分からなかったね、まず。

富永:なるほど、印象は、よく分からなかったってこと。(笑い)

大久保さん:でも、観ていて役者が怖かったね。

富永:え、それはどうして?

大久保さん:何を考えて、何をしゃべっているか、分からなかったから。

富永:理解できないものへの恐怖って感じ?

大久保さん:そうそう、得体の知れないものに対するものかな。役者の肉体というものを強く感じたね。人がそこにいて、等身大で芝居をやっているんじゃなかったから、芝居を観ているというより舞踏を観ている感じかな。

富永:ああ、なるほどね。で、そのあと、片寄が転勤になって、演研は市内の劇団の合同公演で「奇跡の人」をやるんだよね。それは観た?

大久保さん:観てない。

富永:そう。それで梅津(※)が「三条(高校演劇部)の先輩が今度、喫茶店を開いて、そこを芝居の公演に使わせてくれる」って、言った時は、そこのマスターが片寄だって認識してたの?

(※旧姓、梅津怜子、現在は大久保怜子さん。当時、大谷短大演劇同好会に所属していて、畜大演劇アンサンブルと一緒に練習をしていた。)


大久保さん:それはしてたと思う。

富永:あ、そう、俺は全然、接点がなかったからさ。ほら、アンサンブルが学外公演で井上ひさしの「四谷諧談」をやった時に、最後に次回の予告編をやってさ。「僕らは非常の大河をくだる時」(作:清水邦夫)の予告編を。それを観た片寄に、芝居の捉え方を間違ってる、って言われたのを強烈に覚えているのさ。

大久保さん:ああ。

富永:なんで、たかだか数分の予告編で捉え方が間違っていると言えるのかが分からなかった。(笑い)

大久保さん:それはどこで言われたの?

富永:だからファン・スポット(※)の受付で言われたんだよ。ほら、梛木さん(※)がそうやって言われたって、怒ってたでしょ。(笑い)

(※ファン・スポット、帯広市内の喫茶店。演劇アンサンブルは、ここで2度の学外公演を行った。※梛木政人さん、演劇部の2つ上の先輩。)


大久保さん:ああ、そういえば何となく思い出した。ちょっと観ただけでなんで分かるんだよって言ってたね、そういや。

富永:そうそう。(笑い)

大久保さん:皆で言ってた。(笑い)

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※演劇アンサンブルを紹介した北海道新聞十勝版の記事。写真は分かりづらいですが、左端が富永、右から2番めが大久保真さん。



富永:それで、大通茶館で「熱海殺人事件」をやった時は、片寄とはもう親しい感じだった?

大久保さんそうそう。大通茶館が開店してからは、結構毎日通ったよね。

富永:で、演劇アンサンブルで公演した後、演研は大通茶館で初めての公演、「劇的なるものへの序章」をやったんだけど、それは観てるよね。

大久保さん:観てる、観てる。

富永:その次が「楽屋」。

大久保さん:それも観てるね。次の「受付」は就職して帯広を離れたので、観てない。「シェルター」は、ビデオを送ってもらって、観たよ。

富永:あれ、その時は札幌?

大久保さん:そう。6ヶ月間札幌にいて、その後函館。

富永:函館だと遠いから観には来れないね。

大久保さん:いや、1回来たよ。

富永:え、何観たの?

大久保さん:何観たかな。「自由飛行館」(※)の連中を連れてきたんだよね。

(※劇団自由飛行館、函館の劇団です。)

富永:へー。「かごの鳥」?

大久保さん:そうそう、「かごの鳥」だ。


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※1987年、第14回公演「かごの鳥」、大通茶館にて。ペン:部田泰恵子、はっぱ:上村裕子。


富永:よく来たね、10時間くらいかかるんじゃないの?

大久保さん:交代交代で運転して。(笑い)5人で来たよ。俺の車で、後ろに3人乗って。

富永:えー、ぎゅうぎゅうだね。(笑い)「自由飛行館」は小劇場演劇をやっていたんだっけ?

大久保さん:いろんな人たちが集まって、劇団つくったんだよね。俺は、ちょうど旗揚げ公演の前に入ったんだけど、若い人向けのお芝居をやりたい人、大きなホールでやりたい人とか、時代劇だとか、いろんな人がいたからさ。(笑い)だから、まあ大きいホールと小さい所とで、年1回ずつやりましょうってことになったんだよ。

富永:それで、小さい所でやりたいというメンバーを、帯広まで誘って連れてきたんだ。

大久保さん:そうそう。当時は小さい所でやっている所がなかったからね。小劇場というのはこういう感じだよ、紹介したかったのさ。自由飛行館は、喫茶店とか、あとライブハウスとかでもやったね。そこはGLAYがやってた所だったんだけど。

富永:ああ、函館だからね。その後、釧路に転勤になったんだよね?

大久保さん:そう。平成元年だったね。

富永:もう、「駅前芝居小屋」は出来てた?

大久保さん:出来てた。

富永:で、すぐ「北芸」(※)に入ったの?

(※釧路の劇団北芸。演研、北見の動物園とともに道東小劇場ネットワークを構成していた。2013年に惜しまれながらも解散。)


大久保さん:そう、そう。

富永:それで「北芸」と親しくなって、「北芸」は演研芝居小屋で公演をして、うちらは駅前芝居小屋で公演をしたよね。


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※「薔薇十字団・渋谷組」釧路公演、駅前芝居小屋にて。上村裕子と富永浩至の二人芝居。


大久保さん:釧路公演の時は、初日終わって飲んだね。村上(※)と二人で、片寄さんにガバガバ飲ませて、次の日、片寄さん起きて来なかったんだ。(笑い)

(※村上義憲さん。北芸の劇団員。)

富永:公演の当日なのに?

大久保さん:それで凄い顔して起きてきたの。人相変わってたんだ。(笑い)それで、村上がすごく反省してた。昨日あんなに飲ませたからですよねって。

富永:ああ、そんなことあったね。(笑い)で、釧路は何年いたの?

大久保さん:4年。その後が札幌で13年くらいいたかな。

富永:ああ、札幌は長かったね。「薔薇十字団・渋谷組」の札幌公演の時が、札幌行った年だね?

大久保さん:そうそう。「薔薇十字団」の札幌公演は、やっぱり印象に残っているね。

富永:毎週土日札幌に通ったからね、舞台作るのに。あれは本当に苦労した、あそこの倉庫によく舞台と客席つくったね。平台組んで舞台つくったらコンクリートの床が凸凹しているから、舞台がガタガタして。(笑い)

大久保さん:そうだね。水平器を持って行って、舞台をまっすぐにしたもの。大変だったよ。(笑い)

富永:俺ら次の週行って、舞台ガタつきがなかったから感動したもの。田原さんが手伝ってくれたよね、すごく助かったんだけど、あれ、田原さんとはどうやって知り合ったの?

大久保さん:いや、函館で一緒に芝居やってたんだよ。

富永:ああ、そうか。田原さんの方が先に札幌へ来てたのね。


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※1994年、「薔薇十字団・渋谷組」札幌公演のために会場を下見した時の写真。後ろに写っているのが琴似駅前劇場。この公演の様子は当時のパンフレットから知ることが出来ます。興味のある方は、こちらからどうぞ>http://enken.gotohp.jp/No.20-29/No.26'.html

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※「薔薇十字団・渋谷組」札幌公演の舞台挨拶。写真左から3人目が大久保さん。


富永:平田オリザのワークショップ(1995年に開催された)の時はいたよね?

大久保さん:いた、いた。札幌から来てたよ。

富永:大久保たちのグループが作ったあの話、「オリオリ、オリオリ」ってやつは、覚えている。(笑い)じいちゃんの葬式で、遺族が誰も知らない人が来てって、話だったでしょ。

大久保さん:そうそう。

富永:あの後、平田さんからメールが来て、あの話を使わせていただきますって。で、書いたのが「月がとっても蒼いから」。文学座でやったんだよね。

大久保さん:だけど、演研って不思議な劇団だよね。こんな劇団、どこにもないよね。

富永:え、どういうこと?

大久保さん:演研みたいな劇団で他の劇団は?って言われても思い浮かばないもの。

富永:え、どのへんが違っているの?

大久保さん:いや、なんだか分からないけど、匂いみたいなもの。独特なものがあるね。

富永:匂い?へー、そう。(笑い)

大久保さん:言葉にするのはちょっと難しいけど。

富永:それは代表の片寄による所が大きいのかな?

大久保さん:それはあると思うけど、それだけではないと思う。なんかいろいろなものが詰まっている感じ。それは、演研とずっとつき合っているからってこともあるのかもしれないけど。

富永:まあ、大久保は、函館で「自由飛行館」、釧路で「北芸」、札幌では?

大久保さん:「AGS」、その後が「超級市場」。あとは自分でプロデュースしたりしてたね。

富永:まあ、転勤先でいろいろな劇団を見てきたから、その辺はよく分かるのかもしれないね。

大久保さん:そう、プロデュースは毎回毎回、参加する人が違うから刺激的と言えばそうなんだけど、積み重ねがないからね。そういう意味でも、演研は積み重ねがあるからね。

富永:うちは作家がいないからってこともあるのかな。

大久保さん:うん、いや、でも他の劇団と何が違うんだろう。今ふと思ったことだから、真面目に考えたことがないからね。(笑い)・・・(かなり長い間)あ、分かった。

富永:え、何?

大久保さん:あの、演研の劇団員になったことがないから、外から見て感じることなんだけど、本当のところは分からないけど、コミュニティ的だなという所があるね。それが他の劇団とは違う所かな。

富永:そうだね。トップがいて、トップダウンで物事が決まっていくのとはちょっと違うね。

大久保さん:そうでしょ。まあ、劇団だから芝居で繋がっているんだろうけど、なんかそれだけじゃない感じがするんだな。

富永:でも、中心になっているメンバーがもう30年以上も一緒にやってるってのがあるんじゃない?芝居以外の付き合いもあるので、家族的な感じというか。

大久保さん:そうだね。それと、演研は照明や音響なども、全て自分たちでやっているじゃない。芝居だけじゃなくて、空間全体をつくるって感じ。舞台美術でも、照明でも専門家に任せる方が質は良くなるよね。でも、全部自分たちでやる方が、創造的だよね。クオリティよりもクリエイティブって感じだね。だから演研は、どこよりもクリエイティブな集団という感じがするね。

富永:なるほど。今日はどうもありがとうございました。

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