第13回 松本大悟さん

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さて、このインタビューも残すところ、あと2回となりました。ラスト前のゲストは、北見の劇団動物園代表の松本大悟さんです。演研と動物園は、釧路の北芸とともに道東小劇場ネットワークを立ち上げ、道東小劇場演劇祭を開催するなどの活動をしてきました。お客様でもあり、また同じ演劇を創るものとして、演研の芝居をどのように観てきたのでしょうか。北見・アトリエ動物園でお話を聞きました。

 

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富永:まずは、ご結婚おめでとうございます。(今春、劇団員の佐藤菜美さんと入籍しました。)

松本さん:ありがとうございます。(笑い)

富永:まず、何から観出しましたかって話なのですが、演劇祭の時のブログ(※)で話してもらったんで、重複しますが、かいつまんで言うと。キッカケは中村さん(※)?

※第7回道東小劇場演劇祭のブログで座談会を企画。その中でのお話。興味のある方はこちらから。>http://enken.gotohp.jp/fesblog/blog/

(※中村聡さん。前劇団動物園代表。)


松本さん:そうそう。




松本さん:彼がバイクのツーリングで帯広まで行って。印刷の仕事をしてたんで、それで帯広の公演の情報を見たんです。それで行ったら、ちょうど公演が終わってたんです。

富永:ああ、公演はやってたんだけど、行った時間が遅かったから、もう終わっていたんだ。

松本さん:そうです。それでいつかまた来ようと思っていて、彼はまだお芝居を始める前だったんで、

富永:え?その時はまだ動物園に入ってなかったの?

松本さん:そうですよ。で、動物園に入ってから、そういえば帯広に劇団がある筈だよって言って。

富永:ああ、そうなんだ。

松本さん:それで次の年に、僕が「栄養映画館」を観たんです。それで、次の週に中村はじめ、皆を連れて行ったんです。


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※その時の松本さん(写真中央)。「栄養映画館」のゲネを観て、そのまま残って皆と食事をして、その後の公演を観ていってくれました。あ、ちなみに入場料払っていません(^^;)。


富永:なんで最初っから皆で来なかったの?

松本さん:いや、本当にやっているかどうか情報が定かではなかったし、僕がとにかく観ないとダメだって、強引に皆を連れてきたんです。

富永:ああ。ネットも無い時代だったからね。

松本さん:その当時は、うちもいろんな所に観に行くというような集団ではなかったですし。

富永:それは旗揚げしてどれくらいの話?

松本さん:えっと、旗揚げが「悪魔のいるクリスマス」で、その次が「熱海殺人事件」です。

富永:昆さん(※)が演出だったね。そして?

(※昆治彦さん。動物園初期の主力メンバー)


松本さん:で、「はるまげどん」をやって、次は「魔女物語」。

富永:ああ、そこから観てる。一年に一本くらいやってたの?

松本さん:そうです。

富永:ということは旗揚げから3年目くらいに僕らは動物園を観たんだ。中村さんはどこから参加したの?

松本さん:「熱海」です。第2回公演からですね。

富永:じゃあ、旗揚げした年に中村さんが帯広に来て、その次の年に皆で観に来たんだ。

松本さん:そうです。

富永:中村さんはどうして動物園に入ったのかな?そんなこと知らないか。

松本さん:いや、もともと昆と友達で、彼が動物園に入ったってことで、彼がやっているんなら面白いんじゃないかって、顔を出してくれたんです。

富永:ほ〜。

松本さん:昆繫がりで、中村が入って、中村の方がどっぷり浸かったってことです。

富永:なるほど。動物園の旗揚げメンバーって、高校演劇のOBが集まったってことだよね。

松本さん:僕と阿部(※)が中心になって、あと白土(※)と。

(※阿部浩二さん。大工さんで、動物園の帯広公演のあとに、演研芝居小屋の舞台の床の傾きをわざわざ北見から来て直してくれました。その節はお世話になりました。※白土まゆ子さん。動物園初期の看板女優。)


富永:え、三人は同級生?

松本さん:いや、僕と阿部が同級で、白土は一つ下です。まあ、学校は違ったんですけど。

富永:あ、そうなんだ。それはどうして?違う学校なのに。

松本さん:僕が2年生の時に、3年生が、市内の高校演劇部が集まって合同で卒業公演というのをやったんです。それを観ていて、卒業の時に学校関係なくやるっていうのは良いよねって思っていて。当時僕、学校でも有名だったんですよ、生意気だって。

富永:そうなの。(笑い)

松本さん:そして、他の学校では鼻持ちならない阿部ってのがいるって、有名だったんですよ。それでお互いのことを意識してたんです。

富永:あ、そう。(笑い)

松本さん:でも、卒業時の合同公演した時に、ビックリするくらい意気投合したんです。噂に聞いているより、お前、真面目に芝居に取り組んでるよなって、お互いに思って。じゃあ、演劇をやる集団を作ろうぜってことで、それが動物園の始まりですね。

富永:じゃあ、大悟も阿部ちゃんも高校卒業後、北見に就職したのかい。

松本さん:そうです、そうです。

富永:それは演劇をやるために、北見に就職したということだ。

松本さん:そうです。それでここでやっていこうと思って。それで20歳の時ですかね、自分が色んなことをやり出して、楽しくなっちゃって、中央に行きたいという気持ちが出て来るわけじゃないですか。

富永:ほー。

松本さん:そう思った時に、ちょうど東京で劇団を立ち上げているという人が、たまたま北見に帰ってきて、東京に来ないかって話をもらったんですよ。役者とかスタッフを捜してるからって。

富永:はいはい。

松本さん:で、その気になって、行こうと思って。でも、お袋や親父に大反対されたんです。

富永:いや、それはもちろんね。

松本さん:で、中村と昆が、話があるって家まで来たんです。二人とも神妙な顔をして、どうしたんですかって言ったら、まあ、ちょっと座れって言われて。それから、中村と昆に1時間ずつ説教されたんです。

富永:ああ、東京へ行くって言ったから、二人が来たんだ。

松本さん:お前、そんな中途半端な覚悟じゃあ通じないんだよ。そんなに世の中甘くないってことをガッツリ言われたんです。

富永:二人は歳上だっけ?

松本さん:もちろん。昆が6つ上で、中村が8つ上だったかな。

富永:それで説教されて?

松本さん:両親に言われても心動かなかったんですが、あの二人に言われて落ちたんです。ああ、俺、なんて夢みたいなことを考えていたんだろうって。

富永:やってもみないのに?

松本さん:その二人をはねのけて、あんた達に何が分かる、あんた達はここでくすぶってるだけだろ、俺は夢に向かっていくんだ、って言えば良かったんですけど。

富永:あ、はははは。はい、はい。(笑い)

松本さん:それはなく、諭されて。中村には、いや俺も大悟くらいの歳だったらそんな夢を見て行ったかもしれない、だから俺の本音としては行くなではなくて、行かないで欲しいし、ここで一緒に芝居がやりたいって言われたんです。

富永:なるほど。

松本さん:そのとき、彼に言われた、「世界に向かって出て行くのではなく、ここで世界を呼ばないか。」っていうのが、ここにとどまろうって思った決め手ですね。

富永:え、中村さんがそう言ったんだ。カッコいいね、中村さん。

松本さん:なるほど、そういう考えもあるのかって思いましたね。で、ここでやっていこうと決めて、それからほどなくして演研に出会ったんです。

富永:うん。

松本さん:演研と出会って、それまで自分たちがどういう方向性でやっていくか全然分かっていなかったんですが、

富永:え、最初はどこでやったの?

松本さん:旗揚げ公演は東急109ホール。そこは小さな所で客席との距離感が凄く気持ちよかったんですが、その後が市民会館の小ホールで、「熱海」と「はるまげどん」をやったんです。その時に演研さんを芝居小屋で観て、あの距離感。あ、これだって思ったんです。

富永:うん。

松本さん:それとあの完全暗転。外界を完全に遮断するような感じで、芝居の世界に入り込める。それを観て自分たちのお手本とする集団がここにあるって思ったんです。

富永:それで「夕焼けまつり」(※)でやるようになったんだ。

(※LIVE HOUSE夕焼けまつり。第4回公演「魔女物語2・寝られます」からアトリエ動物園が出来るまで、動物園が公演会場として使っていた。演研も1997年と1999年に北見公演をさせていただきました。)


松本さん:そうです。マスターも理解ある方だったし、この距離感だと思って、ここでやっていこうと思ったんですが、演研さんとつき合っていく中で、持ち小屋の良さっていうのを色々聞いて、いつかそうしたいと思っていたんです。

富永:はいはい。

松本さん:それでアトリエを持つことになって、持ち小屋は良いって言っていた意味が本当に分かって、稽古している場所で公演出来るっていうのは本当に良いです。今考えると「夕焼けまつり」では、公演の前日の夜中に仕込みをしていたわけだから、

富永:そうだね、僕らもメガストーンでやっていたこともあるので、それを考えるとよくやっていたと思うよ。

松本さん:空間の使い方から、お客さんとの接し方や、本当いろいろなことを演研さんから学びました。「隣にいても一人」の合同公演の時は、本当楽しかったですね。僕が演出をされたのは、「魔女物語」での中村以来だったので、まあ、あの頃は中村も演出してるって感じじゃなかったですし、


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(※第62回公演、劇団動物園との合同公演「隣にいても一人」。写真左から、松本さん、佐藤菜美さん、坪井志展。)


富永:まあ、そうだよね。演劇やったことがなくて、動物園に入ってすぐくらいでしょ。演出とかは経験が必要だからね。

松本さん:帯広へ通って来るのは大変でしたけど、色んなことが経験出来て非常に幸せでしたね。でも難しいことをやりましたよね、演研と動物園は。

富永:それはそうだね。どうしてそんな話になったんだっけ?正月に来たよね、菜美ちゃんと。

松本さん:そもそもは、その前の年に片寄さんが凄くマイナスな発言が多くて、それが気になっていて、僕らに出来る親孝行がないかって思って、やったことがないことを持ちかけたらどうだろうって思ったんですよ。で、行ったら皆さんが待ち構えていて、

富永:いやいや、待ち構えていたんじゃなくて、来るって言うから集まっていたんでしょ。いや違う、そもそも片寄家の新年会に、あんた達が押しかけただけじゃない。(笑い)

松本さん:新年早々ね。(笑い)そしたら、片寄さんに迷惑がられるかと思ったら、そんな企画なら俺が演出しないとダメだろうって言ってね。

富永:うちの片寄は、俺の遺伝子を受け継ぐのは動物園だって言ってるからね。でも最初、夕焼けまつりに片寄が観に行った時は、どうだったの?怖かった?

松本さん:いや、怖かったのは富永さんです。

富永:え、俺?

松本さん:最初の2、3年は片寄さんより富永さんが怖くて怖くて。(笑い)終わった時に、挨拶した時に、片寄さんは好々爺で、若者たちがよく頑張ったなって、にこやかなんですが、富永さんはニコリともしないで「お疲れさまでした」って、目が怖って。

富永:やな奴だね、俺。(笑い)

松本さん:でもダメ出しとか一切ないんですよ。「お疲れさまでした」っていう雰囲気が怖くて怖くて。片寄さんはにこやかなんですけど、バッツバッツ言うんですよ。あそこはああした方が良いとか。その当時は僕も役者をやっていたんで、役者目線の富永さんが怖かったんですよ、多分。それから交流するようになって、片寄さんの考え方とか芝居の観方とかが分かるようになって、片寄さんの方がどんどん怖くなりましたけどね。(笑い)でも怖い存在でしたね、演研は。

富永:僕らにとっての「河」(※)と同じなんだろうね。

(※旭川・劇団河。我々が大きな影響を受けた劇団です。こんなページがありました。「河」を紹介していますので、興味ある方はこちらから。>http://blog.goo.ne.jp/atusinasu/e/e0c6309e6dc46608d54c628c0a5c32bf


松本さん:そうですね。で、目指すべき存在は見つけたんですが、じゃあ何をどうしたら良いのかってことですよね。だからすごく見たんですよ、演研さんのことを。芝居だけでなく、終わった後のお客さんへの対応とか、お酒の飲み方から、僕たちに対する対応から、すっごく見てました。

富永:うん。

松本さん:それと、すごい勢いで片寄さんとは飲みました。ご自宅まで行って、平日でも平気で飲みに行きましたからね。

富永:若かったんだね。(笑い)

松本さん:道東小劇場演劇祭もそうですしね。あれをやるって企画した時の富永さんはすごいと思いましたし、本当に勢いがありましたね。

富永:いや、もう萎えてるけどね。(笑い)

松本さん:三劇団をつなげて、一つの場所でやるというのは。で、やってみたらこんなに楽しいことはないと思いましたし。

富永:まあ、今よりはお互いに若かったからね。(笑い)

松本さん:そうですね。初めて観た「栄養映画館」で、舞台の中心で裸になって立ってたじゃないですか。

富永:無茶苦茶、恥ずかしかったけどね。(笑い)


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※第19回公演「今は昔、栄養映画館」、演研芝居小屋にて。いや〜恥ずかしい、今見ても恥ずかしい。なので、もう一枚(^^;)。

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※写真右、富永浩至、左、上塚俊介。


松本さん:すっげぇ格好良かったんですよ。

富永:マジっすか!(笑い)

松本さん:これが芝居だ!って思いましたよ。(笑い)

富永:と言うことは、やっぱり印象に残っているのは「栄養映画館」?

松本さん:そうですね、インパクトっていう意味では。好きな作品という意味では「思い出せない」。あ、「走りながら」も好きです。「隣にいても」は出演したので、思い入れがちょっと別ですから。あとは「楽屋」も好きです。あ、あと「薔薇十字団」。あの時の上村さんがすごく色っぽかったです。


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※(探しました、色っぽい上村の写真)札幌公演「薔薇十字団・渋谷組」、琴似駅前劇場にて。


富永:(小声で)やせてたからね。

松本さん:いや、そういうことじゃなくて。(笑い)あとは、「夫婦」も好きですし、いや、いっぱいあります。シビレたのは札幌でやった「走りながら」。あのゲネの時、僕、車を置きにいって、遅れて会場に入ったんですけど、扉を開けた時の会場の空気感が違っていて、なんじゃこれはって思って。客席で観たんですけど、涙が止まりませんでした。あのゲネはすごかったです。あの作品は回を重ねて凄いことになっていってるんだなって思います。だから、最後の「走りながら」は観れてなくて残念です。

富永:あ、工房でやったのは観てないんだ。

松本さん:はい。何回か観てないのがあるんですよ。

富永:今後、演研に望むこととかありますか?

松本さん:動物園としては、片寄さんに演出して欲しいですね。「山もみじ」(※)とか。

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(※劇団動物園創立20周年記念公演「ホテル山もみじ別館」、岸田戯曲賞受賞作家の鈴江俊郎氏の新作書き下ろし作品。左から中村聡さん、岡歌織さん、廣部公敏さん、佐藤菜美さん。)


富永:あ、いいね。来年、片寄が時間あいてたら、頼んでみたら良いじゃない。

松本さん:それは熱望しますね。演出はうちの劇団に対してもしてもらいたいし、演研でもまた作品を創って、僕たちに見せ続けて欲しいです。

富永:うん、来年はそれでいこう。

松本さん:いや、嬉しいですね。じゃあ、ぼくも役者やろうかな。

富永:いいね。いや、今日はありがとうございました。 さあ、飲みに行こうか。


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