出演者インタビュー 野口利香

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出演者インタビュー、3人目は野口利香。「楽屋」は、金田と同じく3回目と4回目に出演。3回目は女優A役、前回は女優B役でした。


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Q.まずは演劇を始めたキッカケは?

野口:中学校からの友達が、高校で演劇部に入ったので、それはちょっと面白そうだと思ったんです。

ーー あれ、稚内高校だっけ?

野口:そうです。で、新入生歓迎公演をやっていて、友達はもう入って手伝っていたんですが、練習を見にいって、面白そうだったので私も入りました。

ーー へー。大会とか出ていたの?

野口:1年の時には全道大会に行きましたよ。2年の時は、脚本を書いていた顧問の先生が転勤になって、次の顧問の先生が書くっていって書いたんだけど、ダメでした。


ーー まあ、脚本を書いた事の無い人がいきなり書いても、そう上手くはいかないよね。

野口:でも、その先生が書いたって持って来たんだけど、実はほとんど奥さんが書いてたという、(笑い)

ーー え、何、そうだったの?(笑い)

野口:先生の家に遊びに行って、奥さんとも仲良くなって、芝居の話で盛り上がって、で、分かったんです。(笑い)でも、次の年は全道大会に行きましたよ。

ーー はいはい。演出だったんだよね。

野口:え、なんで知ってるんですか?

ーー いやいや、で、卒業後は?

野口:稚内で就職しました。

ーー 稚内で芝居は?市民劇団とかに入ってたの?

野口:あんまり言いたくないですが、入ってました。でも、人が集まらなくて、公演も何年に1回とかでした。(笑い)

ーー え、稚内に何年いたの?

野口:6年。でも、1回しか公演しなかった。

ーー それも凄いね。(笑い)何やったの?

野口:いや、言っても分からないと思います。

ーー あ、そう?え、何?

野口:外国の作品で、子供向けの芝居です。

ーー それは役者で出てたの?

野口:う〜ん、

ーー いや、なんかさっきから言葉を濁すね。そのころのことはあまり話したくないんだ。(笑い)で、その後、札幌に転勤になって。

野口:札幌では、演劇鑑賞会に入りました。青い鳥が好きで、「サイコロの責任」を呼びましたよ。

ーー 札幌は何年いたの?

野口:4年でした。その後帯広です。

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※帯広へ来た当時の野口。稚内時代の写真を拒み、持ってきた写真がこれ (^^;)。



Q.演研に入った経緯は?


野口:帯広では、芝居をやろうとは思わなかったですよ、結婚したこともあって。

ーー ああ。

野口:それで、しばらく生活をしていたんですが、体調を崩したんです。で、気分も塞ぎがちになって、眠れなくなったり。それで、なにか気分転換が必要だ、何かやろうと思って。

ーー ああ、で、高校時代は演劇やってたから。

野口:電話帳で劇団を調べたんです。そしたら演研だけ載っていて。

ーー ああ、芝居小屋に電話があったからね。まあ、一つだから選べないしね。(笑い)

野口:で、電話して。その時に歳を聞かれて、35だったんですが、そんなに若くないじゃないですか。何をこの人は35にもなって、なんで芝居を始めるんだろうって思われるかなって。

ーー ああ、おばさんが来ちゃったよって?(笑い)

野口:で、芝居小屋に行ったら、待ってくれてたのが、上村さんと坪井さんだんたんです。なんか同じくらいの歳だなって。(笑い)

ーー なるほどね。

野口:若者が何人もいたら逃げ出したくなったかもしれないですが。(笑い)で、安心して、すぐに入ったんです。その時は「うしろの正面だあれ」の稽古をしていましたね。


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※入団した当時の野口利香(写真右)。隣は福澤和香子。



Q.これまでやった「楽屋」について聞かせて下さい。


野口:最初のメガストーンでやった「楽屋」は、稽古期間が短くて大変でした。私も役者は「恋愛日記」でちょっと出ただけで、後はずっとスタッフでした。「楽屋」の前の年に「忠臣蔵」をやるまで役者をやっていなかったので、実質2度目の舞台という感じでした。

ーー そうか。その時は女優Aだったよね。

野口:大変な事ばかりでした。

ーー なにか覚えている?辛い思いをして泣いたとか。(笑い)

野口:いや、それは今もです。(笑い)

ーー いやいや。(笑い)

野口:大通茶館でずっと稽古していて、会場で稽古があまり出来なくて。メガストーンを2週間押さえてあったんだけど、会場入りしてすぐ公演は無理だって言って、1週目の公演はやめて、公開稽古みたいにして、何人かお客さんに来てもらったんです。

ーー ああ、で、次の週の土曜日は小宮孝泰さんの「接見」の公演が決まってて、「楽屋」は日曜日2回公演だけだったね。そうか、それから5年経って、工房でやったんだけど、それは女優Bだったよね。

野口:そのときは稽古期間は長かったんですが、お客さんとの距離が近くなって、大変でした。(笑い)私、釧路に転勤してたじゃないですか。

ーー ああ、そうだった。いつだっけ?

野口:メガストーンで「楽屋」をやって、次の年くらいかな、で、3年くらい休んでいて。復帰した次の年に「楽屋」でした。

ーー そうか、その間キャリアを積んで、余裕を持って、って感じじゃないね。

野口:あの空間で「楽屋」をやるって、化粧をしながら演技もしなくてはいけなくて、稽古でやってみて初めて分かりました。これは大変だって、ここでやるのかって。(笑い)


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※写真左、第52回公演「楽屋」メガストーンにて。写真右、第61回公演「楽屋」演研・茶館工房にて。



Q.今回の「楽屋」への意気込みは?


野口:こうしようとかじゃなくて、前回は自分の中で怖じ気づいた感じだったので、今回は腹をくくって舞台にいられたらと思います。

ーー 根本的な所だね。(笑い)でも、自分が思っている程、他人にはそう見えないって事もあるよね。

野口:でも他の人にはどう見えていようと、そういうのがあると自分の中ではスッキリしないですよね。

ーー え、その後、演研の舞台は何に出たっけ?

野口:えっと、壷に入った「芝居」と「トイレはこちら」、前回の「あゆみ」ですね。

ーー じゃあ、キャリアは積んできてるじゃない。そんな怖じ気づいた感じは無かったでしょ。

野口:「芝居」の時は、無かったですね。

ーー 「トイレはこちらは」?

野口:ちょっとありましたね、動けないから。

ーー ああ、「芝居」は壷に入ってるから、動きが無いというか、動けないからね。(笑い)

野口:体が自由にならないんですよ。

ーー いや、皆、そんなに自由になっている訳じゃないよ。それは気にし過ぎなんじゃないの?

野口:初舞台の「恋愛日記」のときに、早くこの場からいなくなりたいという、いたたまれない感じがあって、

ーー あの役は、最初の場面、ちょっとしか出ないじゃない。(笑い)

野口:で、その時の事もあるし。それに、演研に入る時は気軽に入って、まあ歳も近くて、よかったわって感じだったんですけど、その活動を知っていくと、私は演研にいる器じゃないって。(笑い)

ーー いや、いや、そんな事はないでしょ。(笑い)

野口:だから、今回はその辺りを克服したいですね。


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