出演者インタビュー 上村裕子

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出演者インタビュー、最後は上村裕子です。2回目の「楽屋」と前回に続き3度目の「楽屋」になります。全て女優A役での出演です。


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Q.まずは演劇を始めたキッカケは?

上村:もともとやりたくて、でも高校も短大も演劇部が無かったから出来なかった。

ーー もともとやりたかったのはなぜ?

上村:子供の頃から土曜の午後からやっている劇場中継を観るのが好きだったの。

---- え、藤山寛美?

上村:それもあるけど、別に劇場中継もやってたんだよね。変わっている子だって言われてたんだけど。

ーー え、どうして?

上村:昔はビデオが無かったから、遊ぼうって言われても、私、劇場中継観たいから遊ばないって。(笑い)

ーー なるほどね。



上村:それ観ていて、演劇やりたいって思っていたんだけど、高校でも演劇部が無くて。で、放送部に入って、大会があったから基礎も何も無いのに出て。その時、三条高校の朗読を聞いた時に、凄いなって。ちゃんと練習して、基礎を身につけてるとこういうふうに出来るんだって思った。

ーー うん。

上村:で、短大でも演劇部がなかったから、人形劇のサークルに入ったんだけど。

ーー 他の大学の演劇サークルに入ったりはしなかったんだ。

上村:そういうことが出来るって知らなかったんだよね。でも、ミュージカルがやりたくて、宝塚とかも好きで観てたから。柴田恭平の東京キッドブラザーズを観に行ったりしてた。

ーー ああ、ありましたね。東由多加の。

上村:それにはダンスをしなきゃと思って、札幌ではジャズバレエを始めたの。その時の先生が、劇団四季にいたという人で、研究所を開きますっていう新聞記事を見て、習いに行ったんだよね。

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※短大時代の人形劇サークルで。ティンカーベル役をやりました。



Q.演研に入った経緯は?

上村:卒業したあと、こっちに就職したんだけど、踊りを続けたくて松本バレエ(※)に入ったの。で、ミュージカルがやりたかったから、次は演劇だと思って、新聞社に電話して劇団を紹介してもらったんだけど、ここはちょっと変わっててねって言われたのが演研。(笑い)

(※松本バレエ。インタビューの一回目に出ていただいた松本道子さんのバレエ教室です。)


ーー 新聞社に電話したんだ。野口は電話帳で調べたって。あと、市役所に問い合わせたって人もいたし、でも、なんで新聞社?

上村:新聞で「十勝野」って市内の劇団の合同公演の記事を見て、演劇をやっている人たちがいると思って、そろそろ演劇もやりたいなって。

ーー なるほど、ミュージカルがやりたかったからね。まあ、踊りの次は演技だよね。(笑い)

上村:そうそう。(笑い)で、電話したら、ここはちょっとアングラっぽいんだよね、って言われたの。でも、アングラって何か分からなくて、でも面白そうだったから。

ーー 他の劇団も紹介された?

上村:いや、とりあえず、そこを教えて下さいって言って。で、背が低いのがコンプレックスだったから、大通茶館に電話した時に、身長制限があるんですかって聞いたの。(笑い)

ーー は、ははは。(爆笑)

上村:そしたら片寄が、「無いよ。一度見にくるかい。」って言ってくれて、それが2月の11日。

ーー 日付まで覚えてるんだ。

上村:建国記念日だったから。それで稽古を見にきたら「長長秋夜(じゃんじゃん・ちゅうや)」(※)をやってて、それがとっても異質で、ギョッとしたんだけども。

(※旭川出身の詩人、小熊秀雄の詩。その頃、稽古として詩の群読をやっていた。)


ーー ミュージカルとはかけ離れてるね。(笑い)

上村:そうそう。(笑い)

ーー いや、他の劇団を見に行くっていう選択もあったじゃない。

上村:片寄も、他にもあるから見に行くかい?って言われたんだけど、なんかここに入れて下さいって言ったんだよね。

ーー そういうかたくなな所があるよね。(笑い)

上村:そうね、応用がきかないから。(笑い)

ーー ここに来たからここにしよう、みたいな。

上村:そうそう、他の劇団見に行ってたら、そっちに入ってたかもね。どちらかと言えば、そっちの方のお芝居をやりたかったからね。

ーー まあ、新劇系の芝居を見ていた訳だから。

上村:小劇場の芝居は知らなかったから。

ーー ましてやアングラって言葉も知らなかった訳だから。で、入ってどうだったの?ミュージカルとはかけ離れていた訳でしょ。

上村:すごく戸惑いがあった。それこそ、あの頃、片寄は「演劇は精神のストリップだ」とか言ってたじゃない。

ーー はいはい。

上村:そういうこと自体が全然ダメだった。でも、ダメだったんだけど、すごく惹かれたというか。とても嫌だったんだけど、真逆なことにひかれるというか。でも、本当に嫌だったら辞めてるでしょ。

ーー そうだね。

上村:すごく嫌だった。精神的なところに、ずかずか入ってくるし、オープンにしろって言われるし、それこそ、自分のアイデンティティを揺さぶられるような。そんなこと人生においてなかったから、でも嫌で嫌でしょうがないのに、強烈にひかれるというか。う〜ん。

ーー 入ったとき何やってた?「楽屋」?

上村:いや、終わってた。「受付」だね。

ーー 最初の「楽屋」は観てないのね。上村も演研の芝居を観ないで入ったのね。

上村:私、一番最初に観たのが、富永の「飛龍伝」だから。

ーー あ、畜大演劇アンサンブルでやった?

上村:そう。入ってすぐ、大通茶館で公演があるから観なさいって言われて。はい、大変面白かったです。(笑い)

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※入団当時の上村裕子(写真右)。「シェルター」の稽古中。



Q.これまでやった「楽屋」について聞かせて下さい。

ーー 最初に出た「楽屋」は覚えてる?

上村:覚えてる。なんか包容力を求められたの女優Aとしての。

ーー でも、他のメンバーは内山、赤羽、平山だから、キャリアは一番上だし、

上村:でもそれは、全然出来なかったってことは覚えている。だから、その時から、5年前の「楽屋」もそうだったし、女優Aをやる上での自分の課題なんだよね。

ーー なるほど。

上村:旭川に「楽屋」を観に行ったことがあるんだけど、

ーー あー、はいはい。お風呂屋さんだったところでやったやつだね。

上村:それを観た時、片寄が言っていた女優Aの存在感とか、包容力というのは、きっとこういうことだろうなって、分かったんだよね。最初にやった「楽屋」を観ている訳ではないし、今にして思えば、まだ20代後半だったから、求められていることを分かっているような分かっていないような状態だった。

ーー メガストーンでやった「楽屋」には、どうして出なかったんだっけ?

上村:多分、仕事が忙しくて、一年に2本は出来ないって言って。あの時、秋は鐘下さんの書き下ろしが決まっていて、そっちに出たかったから。

ーー ああ、そうだったね。で、前回の「楽屋」は?

上村:う〜ん。さっき「包容力を求められた」って話をしたけど、それが出来なかったので、「楽屋」はもう一度やりたいと思っていて。5年前の「楽屋」は出来たとは思わないけど、今のメンバーで、野口や金田と同じ舞台に立ったことがあまり無かったので、それはすごく嬉しかった。

ーー はい。

上村:芝居の出来は・・・。自分ではそんな出来たって思わないじゃない。でも結構、評判が良かったから、良かったなとは思った。


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※2回目の「楽屋」。写真右から上村裕子、赤羽美佳子。演研芝居小屋にて。


Q.今回の「楽屋」への意気込みは?

上村:今は、出来る出来ないは置いといて、いろいろなことを経験してきたから、こんなイメージとかこんなことを目指しているというのが、はっきりしてきた。それが昔はあまりイメージ出来なかった。

ーー それは自分の出演している芝居の完成形がイメージ出来ないという意味?

上村:完成形というか、この場面はこんなふうにやりたいとか。

ーー ああ、演出から言われたからやっているだけで、自分でこのシーンをこんなふうにやろうというイメージは持ってなかったってことね。

上村:今は、こんなふうに作っていきたいな、この場面は、って思う。それで演出からダメが出ると、そうは見えていないんだから、また変えてみようとか。私は、今回で「楽屋」は3回目だから、その点ではステップアップしたいとは思ってる。

ーー 前回とは違って、ここをこう変えようとか、意識しているところはあるの?

上村:女優AとBは前半、劇中劇とかやるじゃない。それが、死んでいるんだけど、生きているあかしというか、そこをもっとメリハリつけてやりたいと思っている。そこはまだまだ足りないなって思っている。

 ーー 見所とかは?

上村:観てくれる人が、何がどうなのかよく分からないけど、あなたたちはお芝居が好きなのねって、思ってもらえたらいいなって思います。こんなことに一生懸命になってって、そう思ってもらいたいし、そう思ってやっています。

 

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