第14回 森田啓子さん

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演研の芝居を観続けて下さっているお客様にお話を伺うインタビューも、いよいよ今回が最終回です。最終回のゲストは、森田啓子さんです。北見・劇団動物園と同じく道東小劇場ネットワークを構成していた我々の仲間で、一昨年解散した釧路の劇団北芸の女優さんです。さてどのようなお話が聞けるでしょうか?

 

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森田さん:楽しみにしてますよ。どうですか稽古?

富永:はい、はい。頑張ってます。(笑い)

森田さん:私もやりたいと思ってましたよ、「楽屋」は。のりこさん(※)がいた時にやろうねって話も出たんですけど、

(※佐藤徳子さん。北芸の団員。このあとの※は皆さん北芸の団員の方です。)

富永:ほー、そうですか。


富永:あれ?でも、のりちゃんはやってるんじゃない?あ、あれは北芸に入る前だったか。

森田さん:そうです。あの時は、本番ギリギリで、人前で下着姿になるのは嫌だって言って、C役の子が降りたんです。

富永:え、マジですか?

森田さん:それで彼女が出たんです。

富永:でも、それは台本に書いてあるから、最初から分かっていたことじゃないですか。

森田さん:そうですよね。稽古やっている間に何か心境の変化があったのかな。で、のりこさんが「私がやることになりました」って言って。ああ、のりこさんが脱ぐんだって。

富永:でも、なかなか女の子、4人揃わないですよね。

森田さん:いや、昔、北芸も女の子たくさんいたんですよ。

富永:そうですか。

森田さん:「シンデレラ」とか、やりましたし。しょうこちゃん(※)が裏を全部やって、衣裳替えとか。「駅前通り芝居小屋」の裏玄関が更衣室になってたの。そこで着替えて、

富永:そういえば観てますね、「シンデレラ」。あそこ、舞台の奥にトイレがありましたよね。

森田さん:ありました、ありました。

富永:ああ、懐かしいな。演研も「ラブレターズ」と「薔薇十字団」と、2回公演してますからね。


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※「ラブレターズ」釧路公演出発前。片寄が機材を積めるようにと買った車の前で。この車、チンドン車と呼ばれてました(^^;)。在籍期間が短くて、名前を忘れている人もいますので、書いておきます(^^)。左から真鍋伸志、横田育香、廣原禎美、片寄晴則、平山ゆり、武田雅子。


富永:え、森田さんはいつ北芸に入ったんですか?

森田さん:年表もって来た、すぐ答えられるように。(笑い)えっと、北芸は1960年の創立なのね。

富永:僕の生まれた年ですね。(笑い)

森田さん:そうですか。私は1986年の「正午の伝説」のアンコール公演の時に足を踏み入れちゃったんです。これはカワイホールでやったんですが。

富永:はい。

森田さん:で、その年に「駅前通り芝居小屋」を作ったんです。

富永:ああ、ちょうど入った頃、小屋をつくったんですね。

森田さん:はい。

富永:僕らは旭川の「河」が「河原館」でやっているのを見て、小劇場をやろうって思ったんですが、北芸はホールでやっていたんでしょ?それは、小劇場の芝居をやるようになったのは、どうしてですか?

森田さん:そうですね。別役さんかな。加藤さん(※)とか、黒川ブック(※)とか東京で観てたからね、別役さんの芝居を。

富永:ええ。

森田さん:で、東京で観て、良いって言ってたから。それに稽古場も無かったでしょう。

富永:はいはい。

森田さん:その前は、稽古場を借りてたんです。料理学校の教室を。

富永:えー、公共のホールとかじゃなく?

森田さん:はい。で、そこが使えなくなって、それでどうするかということになって。そしたら、木材会社の社長が老朽化した建物があるから、好きに使いなよって言ってくれて。それでその建物の一部2階を残して、1階部分を劇場にしたんです。

富永:はいはい、2階に部屋がありましたね。泊まりましたもの、僕ら。

森田さん:それで、壁を塗ってあげるって、材木屋の社長が言うから、黒く塗ってもらったんです。

富永:うん。

森田さん:「カラス小屋」って呼ばれてましたよ。(笑い)


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その「カラス小屋」(「駅前通り芝居小屋」)での、記念撮影。上段、左から2番目が大久保真さん(当時北芸)、 加藤直樹さん(北芸代表)、森田啓子さん(劇団北芸)、片寄、しょうこちゃんこと小林晶子(旧姓)さん(劇団北芸)。


富永:森田さんは最初にうちの芝居、何観たか覚えてます?

森田さん:ここ(大通茶館)で観たんだよね。「かごの鳥」?いや、「檸檬」?「檸檬」って、レモンがごろごろ転がってくるんじゃなかった?

富永:そうですよ。

森田さん:それが印象深かったです。それと、こういう喫茶店がどうして劇場になるのかと思ったら、実際に見たら、あら、すごいわねって。

富永:え、1986年ですよ、「檸檬」って。

森田さん:いいんでしょ。

富永:あ、本当だ。森田さんが北芸に入った年ですね。

森田さん:私、2月に入っているから、辻褄あうわよね。

富永:はい、あいますね。(笑い)で、「かごの鳥」はその次の年です。

森田さん:印象深かったんです、レモンがごろごろ転がってきたのが。

富永:あれは、傷みの入ったレモンが、ちょうど安売りしてたんですよ、それを段ボールで買って来て。最初、テニスボールを使おうと思ってましたから。

森田さん:そうですか。

富永:だけど、観てますね。古いの。

森田さん:「かごの鳥」も、良くは覚えてないですけど、衝撃的だったことは覚えてます。私たちも小さな劇場でやってましたけど、稽古場でしたから。でも、ここは、

富永:ええ、喫茶店でしたからね。終わった後は現状復帰しなければならないんです。

森田さん:そうですよね。そういうところでお芝居をする努力というか、すごいですよねって思って。こういうことをしてまで芝居をやる人がいるんだって。

富永:ええ。

田さん:それは驚いたというか。衝撃的でした。


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※第14回公演「かごの鳥」、大通茶館にて。写真左、部田泰恵子、上村裕子。残念ながら「檸檬」の写真はありませんでした。ちなみに「檸檬」は富永初演出作品(^^;)。


富永:そうですか。森田さんは、どうして北芸に入ったんですか?

森田さん:それは、木田さん(※)がいたからです。

富永:え?

森田さん:私、高校演劇、木田さんと一緒にやってたんです。

富永:そうですか。

森田さん:全道大会にも行ったんですよ。木田さんは、高校卒業してからもずっと芝居をやっていたんです。

富永:ほー。

森田さん:で、私は顧問の先生とかと劇団をつくったんですが、一回公演しただけでポシャったんです。で、そのあと、結婚して、芝居はやめてたんです。

富永:はい。

森田さん:それが、この年に破綻するんですよ、1986年に、結婚生活が。そうすると仕事だけに生きるのはつまらないので、その時にまた芝居をやろうと思ったんです。

富永:森田さん、ずっと釧路ですか?

森田さん:はい。生まれも育ちも釧路です。一時、転勤で2年程東京にいましたけど。

富永:あ、そうですか。

森田さん:でも、いろんな芝居やりました。

富永:北芸といえば「この道はいつか来た道」ですね。

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※劇団北芸公演「この道はいつか来た道」作:別役実、演出:加藤直樹。東京・こまばアゴラ劇場にて。写真右が森田さん。


森田さん:そうですね、あれはあちこちでやりましたね。あれをやり出した頃、加藤さんが「もっと芝居を普及させよう」って言って、ぐるっと道東を回ったんです。

富永:ええ。

森田さん:根室、標茶、厚岸、それと阿寒。

富永:へー。全部、電信柱を立てたんですか?

森田さん:そうよ。

富永:頑張りましたね。え、照明とかは?

森田さん:全部持っていったんです。簡単なものですけど。

富永:はいはい。

森田さん:根室はお寺でやったんです、そこの住職さんが芝居をやっていた人だから、頼み込んで。お寺で寝泊まりしてやったんですけど、そこに照明がいっぱいあったんです。

富永:え、お寺に?

森田さん:お寺さんが法事の時に照明を当ててやるんですって。

富永:そんな馬鹿な。

森田さん:いや、ちゃんと調光室もあって。

富永:いやいや、ショーをやるわけじゃないんだから。(笑い)

森田さん:でも、そういう厳粛な雰囲気を出すのに、照明を使っていたらしいです。

富永:へー。

森田さん:で、私たちの公演のときも、照明をやりたかったらしいんです。

富永:あ、その住職さんが?

森田さん:そう。こういう風にやる?それともこういう風にやる?って言ってくれて。

富永:いや、機材をいっぱい持ってるから、使いたいんだね。

森田さん:そう、やりたいの。いや、そんなにいらないのって言って。でもその時は、檀家さんを集めてくれて、お客さんがいっぱいになりました。

富永:へー。

森田さん:でも、最後に「これで最後だよ」って言われて、「もうないよ」って。(笑い)

富永:そうですか。(笑い)

森田さん:標茶では、昔、お風呂屋さんだったところが、公民館になってたんです。そこでやらせてもらいました。

富永:へー。

森田さん:あ、厚岸では図書館の視聴覚室でやりましたし、

富永:それまた、照明とか仕込みづらそうなところですね。

森田さん:はい、雪を降らせられなかったんですよ。

富永:ですよね。

森田さん:阿寒町でやった時は、美術館でした。そこも不便なところで、そこでは雪を降らせる装置の糸が切れて、雪がバサッと落ちてきて。困りました。(笑い)

富永:それは大変でしたね。でも、よくやりましたね。

森田さん:のりこさんと深田君(※)と役者二人、あと手伝いの人一人でやりました。「この道・・・」はあちこち行きました。

富永:韓国も行ったじゃないですか。

森田さん:そうです、そうです。「光州平和演劇祭」に出ましたよ。

富永:そうそう、それでグランプリをとって、第6回の演劇祭はその凱旋公演みたいになってましたもの。(笑い)

森田さん:でも、演研との思い出は、やっぱり「道東小劇場演劇祭」ですね。中心になってやってもらって。

富永:最初、メガストーンでしたからね。客席からつくって。今やれって言われたら、ちょっとしんどくて出来ないかもしれませんね。(笑い)

森田さん:体力勝負でしたよね。一回目は2001年ですね。

富永:そうです。北芸は「眠っちゃいけない子守唄」でしたね。

森田さん:はい。セリフ忘れちゃったの。(笑い)


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※第1回道東小劇場演劇祭、劇団北芸の上演後のアフタートーク。写真左からゲストの鐘下辰男さん、中村聡さん(劇団動物園)、加藤直樹さん(劇団北芸)


富永:あの時のゲストは鐘下辰男氏で、彼は三条高校出身で片寄の後輩なんですよ。だから、気合いが入っていたというか、あらかじめ送っていた上演台本にいっぱい書き込みして、こんなこと話そうって、準備してたんだよね。で、そのチェックしてたセリフが無かったもんだから、

森田さん:俺の一番好きなセリフが無かったよって。(笑い)

富永:アフタートークで「言いませんでしたが、ここにこういうセリフがあるんです」って。(笑い)

森田さん:そうそう。でも、ああいう、アフタートークがあったから良かったんです。役柄の作り方とか言ってくれたじゃないですか。台本を読んだ中で、セリフの中のことだけで役作りをするんです、私の場合。背景まであまり考えない。

富永:ええ。スタニスラフスキーですね、舞台に出て来るまで、どのようなことがあったのか、今はどういう状態なのかを考えて、それから舞台に出なさいって言う。

森田さん:そんなことやってないからな、私。ちょっと考えなくちゃ。プロでやるっていうのは、大変だねって。(笑い)でも、そんな私の舞台でも観てくれる人がいるんですから、感謝ですね。本当に。

富永:そうですね。お客さんには本当に感謝です。今回インタビューをしていて、つくづくそう思います。最後ですが、何かあります?

森田さん:まずは「楽屋」ですね。本当に楽しみにしています。

富永:ありがとうございます。頑張ります。今日はありがとうございました。

 

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