第8回公演
シェルター
作・北村 想
演出・片寄晴則

スタッフ
 舞台監督 片寄晴則  照明 部田泰恵子  効果 坪井志展  小道具 佐久間孝  衣裳 種田栄子  制作 坪井志展

キャスト
 センタ・佐久間孝  サトコ・種田栄子  センジューロー・富永浩至  カノ・上村裕子

とき
1984年7月7日(土)開演午後7時 8日(日)開演午後2時 午後6時
14日(土)開演午後7時 15日(日)開演午後2時
ところ
シアター&喫茶大通茶館(帯広市大通南6丁目)
前売り600円  当日800円  (コーヒー券付き)



上演にあたって

片寄 晴則
 私達が小劇場公演に取り組んで、はや六作目。
 「演研の芝居はどうも重たくて…」我々は別に意識的にそうした訳でもないのだが、男優不在の数年間、女性の内的なものに固執しそれを凝縮してゆく作業を続けた結果、そんな評価が定着してしまったようである。しかし今回は男も居ることだし、今までとはひと味違う、ちょっとおもしろくて空間に拡散してゆく芝居をやってみようということになった。
いやはやこれが曲者。数年間染った感覚は容易に拭い去れず、軽いタッチの喜劇のはずが、一向に軽くならない。「役者がヘタタソだから」「演出が引き出してくれないから」と、勝手なことを言い合いつつ、共に頭を抱えている毎日である。北村想氏の芝居には、軽いスタイルの奥に世紀末の終末感、崩壊感覚が見え隠れして仕方がない。その絶望の果てにある虚無感の純度が濃く、透明感あふれる創作術に引かれる訳である。
 氏の作品の中で、最も完成度の高いと思われる「寿歌」。そのラストシーンで深々と降り積む雪−。軽さの果てにあの純度の濃さのかけらでも、私達の舞台から感じていただければ幸いです。


つ ぶ や き

「マイホームはシェルターに」
佐久間 孝

 私どもニューファミリーにあっては、マイホームは生涯を通しての、いわゆる一つのイベントであります。つきましては、マイファミリーでも1名の妻と1名と10分の6ケ月(11月末日デビューの予定)の子供のほかに、宿借の私を含めた核家族用にマイホームをと仮定の空想に基づき検討を進めてまいりました。その結果、頼みのサマージャンボ宝くじを買いそびれ、また、既製のマイホームでは、昨今のロン・ヤス熱愛絵図からも御推察のとおり、せっかく建てたマィホームがパアーになりますので、○○ホームあたりから核−サパイパル型という新製品でも発売されたおりに、シールタ−を買い求めることにいたしました。
 皆様方も、ぜひご検討を……。

部田 泰恵子
 キィーンと音がするような青空を感じてみたくて。
 赤いコウモリ傘で空を飛びたくて。
 今日もジャージに身をつつみ、稽古場へむかう私です。

坪井 志展
 前略 我が家のお母様、芝居でしか自己表現をできない私は、自分自身のから回りを少しでも身のあるものへと懸命なのですが……。
 さすがにあきれ返ってしまったのか、「もう観になんか行かない」と断言していましたね。私自身にもう少し、やさしさと努力があったなら……って思っています。
 毎日“家”から飛び出る事が、私にとっての安心です。
 どうか、もう少しおいて下されたい。いつか、赤い夕日の中を、私のスーパーマンが迎えに来てくれるばすですから…。
 母へ 娘より

富永 浩至
 “不純でごたまぜの芸術であるという意味で演劇は〔娼婦〕なりど呼ばれることは珍しくなかった。ところがいまや、これは別の意味であてはまる、すなわち金を取っておいて、楽しみのほうはそそくさとすませてしまうのが娼婦の常というわけだ”。
 今夜もわざわざお越し下さいましてありがとうございます。

種田 栄子
 今回、又皆様に舞台よりお目にかかることになり心臓の鼓動がドックン、ドックンと高鳴っております。
 なかなか売れず下積みの生活でしたが、これで私も昔の栄光の座に(?)返り咲きできるのではと、胸を弾ませてこの仕事にとびついたのでございます。
 名がマスコミに広まれば仕事も殺到することと心ひそかに期待をしております。又、主演女優賞と望んでおりますが…。

上村 裕子
 夜道を帰ると時々、流れ星をみたり、ウサギやキツネ、鹿に出途ったりします。演研に入って、一年半。
 社会に出て三年目。もう子供じゃあないし、よくわからないからと、逃げることも、許されなくなってきました。自分をさらけだすことが、これほどつらい作業だとは思わなかったし、芝居の世界がとても深いものだということもわかりませんでした。「一つ一つ、呑みこんで大きな人間になれたらいいネ。」
 そう言い聞かせながら、日々、稽古に通っています。

村上 祐子
 子供ができて休団し、5年も経ってしまった。このつぶやきの欄に載せる原稿用紙がまわって来ると、何故か身がすくむ。「ああ、いったい今まて何をして来たんだろう。」何時か復帰するつもりでいながら今日になってしまった。
 去年の夏、父が亡くなり死を身近に感じると、自分の人生はどうなるのだろうか、いやどう生きようかと考える事が多くなった。夫離れ、子離れを早くしよう生きがいや夢は、自分でつくらなきゃ。
 共に生きて行くと言うのならよいけれど、貴方について行きますと言うかわいい女にはなれない。毎日、仕事や家事に追われ、ただあせりが残るだけで、何もしないで終わる日々。そう、それが現実。つまらない現実。「つまらない現実」が不幸と言うのではないけれど、夢をみたい、夢をつくりたい。何かを創造してみたい。

 

 ● 第9回公演へ