第10回公演 十周年記念公演
初級革命講座飛龍伝
作・つかこうへい
演出・片寄晴則

スタッフ
舞台監督 片寄晴則  照明 種田栄子  効果 上村裕子  小道具 武田雅子  制作 坪井志展 部田泰恵子

キャスト
男・佐久間崇  父・富永浩至  女・部田泰恵子・坪井志展(ダブルキャスト)

とき
1985年5月11日7月20日(土)開演午後6時 12日21日(日)開演午後2時 午後6時
18日27日(土)開演午後6時 午後9時 19日28日(日)開演午後2時
ところ
シアター&喫茶大通茶館(帯広市大通南6丁目)
前売り700円  当日800円  (コーヒー券付き)



上演にあたって

片寄 晴則
 6年程前から、畜大演劇アンサンブルによる一連のつか作品を見続けてきた。
 溢れる若さを武器に、テンポのある笑いで一気に疾走する役者達が爽やかだった。同時に作品へのかかわりの浅さも暴露していた。なぜなら、彼らが生きる社会に対する毒気が欠落していたからである。私は、その笑いの奥底に時代や社会への悪意をたっぷり潜ませた、初期のつか氏の作品群が好きだ。「飛龍伝」は学生運動の闘士として青春を生きた男と、それを阻止することに情熱を注いだ機動隊員との、奇妙な友情とこだわりの物語である。畜大の舞台に立っていた富永浩至が、今は演研の役者として舞台に立つ。彼に代表される若手団員達にとって、60年・70年の激動の時代は一種のあこがれであり、何も起きない平和な80年に生きざるを得ない彼らには実感としてその時代なり社会なりを捕らえられない昔の出来事なのである。しかしこの80年代に生きる彼らが、社会と時代とそして人間とに、どう関わりを持ち、こだわりを持ち続けて生きてゆくべきなのか……時の壁を越えた共通点を発見するために、連日けいこに励んでいるのである。


つ ぶ や き

ナイスミドルと呼ばれたい、ってかあ
佐久間 崇

 三十代に突入して3年目となる、それに相応しい品格は無理としても、劇団の中堅(うちの集団は小世帯で大部屋はない?)として何らかの存在意義を問われる立場になってきてるようだ。家庭、職場においても然りである。
 これまで何を経験し、そしてそれを体験として蓄積させてきているか、甚だ不本意だと実に自信をもって言えてしまう。60年は幼少のみぎり、ビ−トルズには乗り遅れ、パソコンには追い越され、圧倒的な青春(60年を青春とするには各方面でのご意見はありましょうが)を送ったとは思われない。未青春児の発育を温かくいつまでも見守ってもらう訳にもまいらず、軟弱な肉体をさらけ出し、消化不良で舞台に立ってしまう今日このごろです。
 何だか分からないけれども創造(この言葉使うことすら公序良俗に反しちゃうけど)の第一線で屈強窮まる作品に悪戦苦闘している新中年軍団の私こと佐久間崇に「ナイスミドル」と一言かけてやって下さい。
 そうしてやれば、向こう10年は走って行こうという、お調子もんですから。

坪井 志展
 芝居をする行為と自分を切り離せなくなりました。舞台に立つ日を夢見て、毎日稽古場に足を運びます。でも、もしかしたら稽古場に行きたくて、舞台を夢見るのかもしれません。 集団に入り四年の月日が流れました。自己陶酔さえもできぬまま、どこかで自分を押し殺しています。回りを気付かっているふりをして、自分をかわいがっています。そろそろ私も社会の荒波を乗り越える時期が(とっくに過ぎてもいいのですが……)きたようです。
80年安保って何?世代のみなさん!
  時代と地域をみつめなおし共に創造活動を続けてゆきましょう。
 ―できれば私と手と手をとって……もう少し、もう少し走り続ければいつかきっと茜色の空が目の前を埋めつくすはずだから………。

富永 浩至
 今から約五年前この大通茶館で初めて行われた芝居の公演が、この「初級革命講座・飛龍伝」であった。この公演は演研で行われたものではなく、畜大の学生劇団“演劇アンサンブル”によるものであった。演研にとって、念願であった大通茶館という自分達の拠点のこけら落としは、さぞ自分達の手で果たしたかったことだろうと思う。というのは、その公演を打たせてもらった演劇アンサンブルの一員がこの私だったからである。自分にとって三回目の学外公演になったこの芝居は、以後演研と密接な交流をできるようになるきっかけとして、またそのことによって自分自身の芝居との関わり方が変わるきっかけとして、非常に思いの深い公演でもあった。五年前にこの芝居を打った自分が、今年で十周年を迎える演研にとっての記念すべき十回目の公演に、また自分がこの芝居を打つことは、なにやら因縁めいたものを感じさせるのである。
 さて、学生運動が舞台となるこの芝居を、学生運動を経験したことのない自分が演じ、学生運動を全く知らない、また忘れてしまっているであろう人々(お客様ですね)が観る。そこにどのような関係が生まれるであろうか、お互いの胸になにが残るのであろうか。
 とりあえず、こりもせずまたこの狭い空間にわざわざ足を運んでくれた皆様方ほんとうにありがとうございます。

上村 裕子
 一月生まれの私は、新しい年を迎えると歳を一つ拾います。ケ−キのロ−ソクが一本増える毎に、年齢ばかりが先行するようで不思議です。時々、自分に問いかけてみます。誰のために生きるの?…自分のため。
 どうして芝居を続けているの?…仲間と創造することが、楽しいから。自分を掘り下げることが、つらく苦しいから。前向きに歩いていたいから…だから、芝居はやめられない。
 女はいくつもの顔を持っているというけれど、一体私は、いくつの顔を持っているのでしょう。私であって、私ではない私…………いろいろな要素を持った女でありたいと、そんなたわけたことを考えている今日この頃です。

部田 泰恵子
 “好き”でやってるはずの芝居が、気が付くと自分にとって“大切”なものへ変わってきている。 “芝居”は、ぐんぐん形を変え私の中へ図々しく入り込んできている。目から鼻から耳から。
 私の中に入り込んでいる“芝居”を自分の中で大きく成長させるには、まだまだいろんな事を吸収しなくてはいけない本当にたくさんの事を。そうして“芝居”と一緒に成長できたら、きっといい女になれる様な気分がする???
 「闘争」というコトバを身近に感じたことのない時代に育った私です。ちらちらと垣間見る60・70年の青春達に向かい尻込みすることなく、あたっていこうじゃありませんか、いいえ、あたって砕けるんじゃありません。パ−ッと花火みたいに!!

種田 栄子
 時が流れ、我々の劇団も十年目を迎えました。試演会より数えて数本の公演、年に一本、若しくは二本を上演し皆様に見て頂きました。 私も劇団員として十年。まだうら若いピチピチのギャルでしたが、ふと自分を顧みましたら、なんと〇〇歳でございます。一刻もとどまらず、それだけ世の中が変化しているのでしょう。
 演研も新しく生まれつつある芽が勢いをあげて成長しております。私もこの勢いに負けず、熱のこもった光を舞台に作りあげたいと思っております。

村上 祐子
 我が家では今、ネバ−エンディングスト−リ−ごっこが流行っている。物語の中に出てくる動物に少年が乗って空を飛ぶシ−ンがある。それを真似するのである。
 子供を芝居や映画を観に連れていくと自分なりに印象に残った所を真似して喜んでいる。ひとつでも興味を持ってくれるところがあるとうれしいものです。
 「家族で芝居を観にいける」それが子育ての第一目標でした。観客としてのマナ−を身につけ、長時間そこにいられるように少しずつ「飼育」して行く。そうすると子供を連れて色々なものを観ることができるだろうという私の魂胆である。 また芝居などとは限らず、子供に色々なものに接する機会だけはできる限り与えておいてあげたい。成長してから選択するのは彼女の自由である。
 今はすばらしい感性を養う基礎をつくって欲しい。それは短期間ではできないものだから。親はなぜか自分に無いものを子供に求めるものらしい。私には、豊かな感性が全く欠如している。

 

 

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