第13回公演
花のさかりに死んだあの人
作・清水邦夫
演出・片寄晴則

スタッフ
舞台監督 片寄晴則  照明 部田泰恵子 元木透  効果 片寄晴則  小道具 水谷茂樹  衣裳・メイク 上村裕子  
制作 坪井志展 武田雅子

キャスト
兄・富永浩至 弟・水谷茂樹 仲子・坪井志展 従妹・赤羽美佳子 妹・上村裕子 
叔母・小林寿子 仲子の弟・前本政道 
右隣の主婦・部田泰恵子 左隣の主婦・武田雅子

とき
1987年3月14日(土)開演午後7時 午後9時半 15日(日)開演午後3時 午後7時
20日(金)開演午後9時半 21日(土)開演午後3時 午後7時 22日(日)開演午後3時
ところ
シアター&喫茶大通茶館(帯広市大通南6丁目)
前売り800円  当日1000円  (コーヒー券付き)

 

上演にあたって

片寄 晴則
 暴力的なまでの勢いと突き上げる感情にのみ頼って演じて来た若手が、今度は内向的に白己の心理のザラつきを負ってゆく清水邦夫氏の、この作品を演りたいという。これは役者にとっても、演出にとっても相当辛い作業になると思った。案の上、感情の直接的な発散を封じ込められた役者達の苦しそうな顔、顔……。心理の深層を丹念に辿り、人物のこだわりがどこにあるのかを深る役創りは、表現者として確実に次の飛躍になることは解っているものの、演りたくてたまらなかった清水作品に何と苦しめられている毎日か……。
 ところで、常に付きまとう我々の活動の宿命なのだが、就職・結婚など様々な事情から、今回の公演が最後になってしまう仲間がいる。家族のように接してきた私にとって、いや私達にとって、それは言葉には尽せない淋しい現実ではあるけれど、『家族とは……血のつながりとは……人間の生き様とは……』といった作品からの問いかけを自分自身のものとして考えながら、本番の舞台はもちろん一回一回の稽古を大切にしたいと、今、切実に思っている。そして又“花のさかりで芝居を続ける私達でありたい”とも……。


つ ぶ や き

部田 泰恵子
 いつも他人の中に自分の父親を捜している。自分の中にある父親を他人の目を通して知る。小さい頃、父親を亡くした私にとって父親とは家族の一員ではなく特別なものになってしまった。一人の男でもなく、夫でもなく、父親なのである。自分の体を流れる父親の血とは関係のないところで、私の父親像はどんどんふくれあがる。何も実体のないままふくれあがる。これから先、私自身の家庭を持ち、家族ができた時私の父親は果してふくれあがるのをやめるだろうか?

こばやし ひさこ
 花のさかりのあの日々が、バラの花束なんかを抱えてドアの所に立っている。目が会うとドキドキしてテレて毎日している。
 今回、志展と水谷のサヨナラ公演だなんていうので、何か少しでも役に立てたらと、おばさんは老体にムチ打って、恥をしのんで七、八年ぶりに舞台に立つ事になってしまって、ウフッ!
 若い熱気につつまれるけいこ場で、ふと胸が熱くなる。芝居にとりつかれた、この魂の群れは、どこへ行こうと、時が経とうと、ふり返るとドアの所に花のさかりの日々が立っていて、心の花束をだきしめながら、歩いて行ける魂なのだろうと思うのである。

「お世話になった皆様へ」
坪井 志展

 “演研”という集団に人った事で知り合えた数多くの方々へ今、心からお礼が言いたい。ありがとうございました。
 いつか、きっと再び、この空間に立つことを胸に今後の生活を送ります。
たとえ実現はできなくとも、それが、私にとっての“芝居”なのだから……。
いつまでも、夢を語れる生きものでいたい。夢には、夢を合わせるように……。
またも、夢をみつづける。

赤羽 美佳子
 “家族っていいなあ”この頃つくづく思います。私は初舞台で従妹の京子ちやんになります。御来場の皆さまどうもありがとうございます。

前本 政道
 今回、畜大演劇アンサンブルから特別参加させていただきました。畜大演劇アンサンブルもよろしくお願いします。

「トオル君のお手紙」
水谷 茂樹

 ママ、あなたは愛らし過ぎます。パパ、あなたは優し過ぎます。二人のおかげで僕はいつまでたっても子供です。
マスター、コーヒーおいしかったです。友達の様なあなたが好きです。劇団の皆様、先輩をいじめないで下さい。カエルチャン、ムフフ……。テメエラなんかだーい嫌いだよ。観客の各様、いつまでも劇場に足を運んで下さい。
演研の悪 かつらぎとおる

上村 裕子
 演研では、とかく、ごっこあそびが流行る。演研のレパートリーが、一つ増える度、○○ごっこと名付けては、役者の特徴ある動きや、アクシデントのあった場面などを再現するのである。中心人物は、いつも決まっている。誰とは、言わないが……。又、失言でもしようものなら大変、先輩から後輩へと言い伝えられ、十年はそれをネタに笑われるのである。ビデオに撮っていようものなら、それこそ演研の史上に掲げられるのである。まったく、何という集団なのだろう。でも、この集団こそが、私の愛すべく集団なのである。そう温かく厳しい集団。親愛なるお母様、この魅力ある集団から、当分足を洗えそうにありません。器用には、生きられないけれど、弱輩ながら頑張っていきます。何といっても貴方の娘ですもの。

富永 浩至
 幼ない頃の記憶の中の父の存在は、ひどくよそよそしいものである。特別に何かをして遊んでもらった記憶もない。多分、あまり家にいなかったのだろう。毎朝、“ゲーゲー”という奇妙な声で目覚めていた事をはっきり覚えている。“ゲーゲー”というのは、二日酔で具合の悪い父の嘔吐の声である。幼い頃の父は、この声である。そんな父の印象も、年をとるごとに変ってはゆくが、いまだ父は父である。多分、父を父親としてではなく、一人の人間としてみることができるようになった時、自分は老い過ぎているのではないだろうか。

「贈る言葉」
武田 雅子

 今回の公演が、ちょうど春の卒業・就職・転勤のシーズンと重なり、いろいろな別れや出会いに悲しんだり喜んだりする人達が多い頃だと思う。中学を卒業する時、ある音楽教師に「人は、又会う為に別れるのだよ」と言われた。「今日の別れは、自分が自分らしくなって出会う為の別れだよ」とも言われた。
 その言葉を胸にその後の十余年、私もいろんな別れと出会いを繰り返してきた。ある時は涙を流し、ある時は満面の笑みを浮ベ……。そして今回は、どんな別れと出会いがあるのだろう。見に来てくれたお客さんと、劇団員と……。
 こうして自分の好きな芝居を通じて知り合った人達は、私の大切な大切な宝物。
 今日、ひと時のお別れとなるあなたへ。今度会う時に、あなたがあなたらしくなって今日以上の素晴らしい出会いになる事を信じて─So long─
 そして、今日の出会いをありがとう。

 

 

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