上演にあたって
─花のさかりで芝居を続ける私達─
片寄 晴則
前作[花のさかりに死んだあの人」終了後、櫛の刃が欠けるように様々な事情で活動を統けられない団員が続出し、気がつくと私の周りには三人が残るだけとなってしまった。十人がひしめき合っていた狭い稽古場は、体操をしても手足がぶつかり合うこともなく、広々としている。予測していた事態とはいえ、やはり淋しい限りである。
しかし、四人居るなら芝居は出来るとばかり、女性団員のパワーは全開!どうにかたどり着いた本日の公演。夢中になって取り組んでいる彼女達の姿を見ていると、舞台の出来とは別に妙に幸せな気分に浸っている私がここに居る。
そんな訳で、今回はアトリエ公演として過去のレパートリーとはちょっと違った芝居に取り組んでみました。女の情念とか、重いテーマの芝居を多く演ってきた彼女達が、果してどこまで軽く、ひたすら軽く舞台に存在できることやら……この作品における最大の、そして唯一の課題のような気がします。ゴドーを待つかのように、はっぱとぺンが待ち続ける“オ兄サマ”は果して助けに来てくれるのだろうか……。それは舞台を観てのお楽しみ。
はっぱ 「ペン。美少女であるための条件ってなんだか知ってる?健康で快活で、ひとしく普遍性に対する欲求を抱き、困難に打ち克つ力をそなえ、その上、それぞれの身についたハイカラさをそなえていることなんだって。」
そうです。美少女であるための条件とは団員として存在するためのものでもある訳です。その条件に近づこうとしている私達は今、花のさかりだと思っています。都合で休んでいた者も、団友達も、裏方として駆けつけています。快く協力してくれている団員の配偶者達、職場の同僚の方々、そして本日ご来場下さった皆様に心から感謝致します。今後とも温かい応援をお願い中し上げます。
つ ぶ や き
部田 泰恵子
私達はいつまでもいつまでも舞台であなたを待っています。
思い出しませんか?お尻のクボミがぞくぞくしてたあの日の事、一緒に遊んだあの子の事、少女というには少し歳をとりすぎてしまったのかもしれないけれど、今日、舞台であなたと会えてよかった。
助ケテ下サイ、オ兄サマ。
上村 裕子
閉じこめられました。ホラ、川もゴーゴーと音をたてて流れてる。どうか早く迎えにきて下さい。 イイェ、はっぱは、美少女になるために跳びます。だって私、「 」(カッコ)つきの少女ですもの……
武田 雅子
家と職場と稽古場を行き来していると、ときどき行き場のない思いにかられる時がある。何かに追われ、今自分が何をすべきかわからなくなってしまう。けれど稽古場に行って、苦しみながらも前向きで瞳をキラキラ輝かせている二人の姿が私の沈んでいた気持ちを振るい立たせてくれる。
一つの目標に向かって熱中している姿は、本当にステキであり、その人達と一緒に芝居をしている私は幸せ者であり、私もステキな人間でありたいと、そんな人間でありたいと思う今日この頃です。
富永 浩至
劇団員の入れ変わりというのは、アマチュア劇団の宿命のようなものである。女性は結婚、男性は仕事、転勤などが大きな原因であるようだ。我が演研も例にもれず、創立当初からのメンバーは、実質的に主宰の片寄一人であるし、又、今年の春にも二人の劇団員が退団していった。これは、結婚と就職という喜ばしいことなのだけれど、劇団としては今まで育ってきたものが急に無となることなので大変につらいことでもある。そして今回の公演では、二人の抜けた穴を埋めるだけでも大変な所に一時休団したものもいて、実質四人という少人数で活動を続けてきたのである。またその四人の内の一人も春に結婚したばかりという厳しい中での公演である。だから今回は、確実に成長してきたであろう役者二人の頑張りをみてもらいたい。(もちろんその二人と共に稽古場を守ってきた人を忘れてはいけないのだけれど…)
休団を解き復帰してきた私には、公演にひかえ連夜稽古に励む姿に、いつもの公演の時とは違う感情が走る。さて本番!裏は一斉まかせて心配せずに思いきり舞台の上を跳ね回れ!
団友たちぶつ・ぶつ・ぶつ
村上 祐子
ひとり芝居でも、一人だけじゃ芝居は打てないもの。当日はもちろんのこと、公演にこぎつけるまでかなり表に出ない仕事があるものです。
今回は特に、団員の結婚、仕事の都合により戦力になる者が減り、かなり厳しい状態の中で頑張っているのを見ると頭が下がります。創造性に関しては全く協力できませんが、他にできることでしたら協力させていただきます。夫が稽古で遅くなっても一切文句は言いません。団員との親睦(?)を図るため飲み歩き、朝帰りしても何も言いません。
口では「亭主達者で留守がいい」などと強がっているように見せている、けなげな私です。
坪井 志展
団友になって初めての公演に参加します。数える程しか稽古を観てません。手前みそになりますが、とにかくおもしろいはずです。コロコロと飛び回る二人の役者と、スタッフの息のそろったところを是非観て下さい。
佐久間 崇
この十月二十四日で、僕は劇団「演研」を退団し、団友として籍だけは残してもらって一年を迎えようとしています。
春の「花のさかりに……」公演、そして今回の「かごの鳥」と演研の歴史にとっては、また一つのうねりだなと感じています。
この一年、僕は芝居との距離をはかるつもりでいましたが、どんな状況の下でも我が道を歩んでくれるうちの演研との距離の方が気になっています。
世の中が動き、生活が動き、当然芝居も動いて行きますが、どれ一つを取っても無駄なく、そつなく、抜け目なくなんて僕の生活信条がしっかりと根付いていることへの拘りだけは覚えているようです。
このひっかかりを思い知らせ、持続させてくれる演研は、またもう一つのうねりを僕に感じさせています。
こばやし ひさこ
暗い我が家から青空の下へ飛び出すと、ご近所には日の丸がなびいていた。明るい現代日本の祝日なのである。黒色テントが昭和三部作に始まって今も時代に対峙する姿勢をみせる時、生とは去りゆく一瞬の血のたぎる告発なのだと問いかけられる。その時、芝居という表現の、生身と素材に宙を舞う役者の肉体にいとおしさを覚える。消えゆく時間と空間のわずかな隙間で何を残して我々は消え去るのだろう。若い役者達の今の血の一滴を私は心に染みつけたいと思っている。