三都市連続公演
走りながら眠れ 釧路・帯広・北見公演
作・平田オリザ
演出・片寄晴則

スタッフ
照明 福澤和香子 野口利香  効果 佐久間孝  衣裳 村上祐子  小道具 上村裕子  舞台監督 片寄晴則
制作 武田雅子 内山裕子  

キャスト
男・富永浩至  女・坪井志展

釧路公演
とき
1999年5月16日(土)開演午後8時
ところ
波止場の芝居小屋(釧路市港町4-3)
前売り1500 円  当日1800 円

帯広公演
とき
1999年5月22日(土)開演午後8時 23日(日)開演午後3時 午後6時
ところ
演研芝居小屋(帯広市西2条南17丁目)
前売り1000円  当日1200円  (コーヒー券付き)

北見公演
とき
1999年6月13日(日)開演午後6時
ところ
LIVE HOUSE夕焼けまつり(北見市北3条西2丁目)
前売り1500 円  当日1800 円

 

上演にあたって

片寄 晴則
 かねてより交流を続けてきた釧路の「劇団北芸」、北見の「演劇集団動物園/撥条屋演劇会」の仲間達と共に、道東小劇場ネットワークなるものを作ろう、そして、その実践として三劇団による合同公演や演劇祭を実現したいものだと話し合ってから随分になります。その間私達が91年94年に釧路、97年には北見で公演し、北芸、動物園が各々二回、帯広演研芝居小屋で公演することで交流がさらに深まり、夢も少しずつ現実に近づいてきました。そして今回、二劇団の協力で、私達演研の三都市連続公演という企画が実現しました。6月には北芸の帯広公演も決まっています。この勢いで秋にはいよいよ三劇団による演劇祭も実現できるのではと思っています。各々の拠点の地域からさらに一歩踏み出して、活動の幅を拡げていきたいと、私達は考えているのです。観客の皆様、楽しみにしていて下さい。そして、これからも友人、知人お誘い合わせの上、足をお運び下さい。お待ちしています。
 さて、今回は昨年7月に上演した作品の再演で、明治から大正にかけて、短い生涯を駆け抜けた大杉栄と伊藤野枝の、最期の二ヶ月間の日常生活をスケッチ風に描いたものです。
 自由恋愛を唱え、アナーキストと女性解放運動家として、互いの思想とその生き方を尊重し、同志として生きながら深い愛に結ばれた男と女。ラジカルに生きたそんな二人ですから、その日常もさぞかし……と思ってしまいますが、ここでは実に淡々とした調子で、夫婦の会話が繰り広げられます。ところが、その生き方の背景を少しでも知っていると、何気ない話のひとつひとつが実に示唆に富んだものとなり、想像力を喚起し興味深く、面白く思えるのです。しかし、二人についての予備知識がたとえ無くても、実際のところ生活はこのように淡々と時が流れてゆくものだと、改めて感じていただけるものと思っています。
 四年前の「思い出せない夢のいくつか」以来、取り立てて事件がおきる事もなく静かな時が流れてゆく平田オリザ氏の作品に出逢ったことで、私達の芝居の幅が少し広がった気がしています。構えることなく、ゆったりと約一時間、私達にお付き合い下さい。


つ ぶ や き

私の老い立ち
佐久間 孝

 昭和三十年代から筋金入りのテレビ世代である。(したがって、四十何歳)人口四千人ほどの故郷(いなか)では、たった一軒の映画館もテレビの台頭で、例の昭和三十年代に姿を消した。
 冷害続きで補食給食なるものが支給されながらも、にぎやかに豊穣の秋祭りでは、浪曲やら○△歌謡ショーは来たものの旅回りの一座はなかなか来てくれなかった。
 とにかくテレビは凄かった。ドラマは各局が競って、芸術祭参加作品だとか何とかもあって―「そうか、何だかワケの解らないものがゲージュツか」と十歳前後にして芸術観を持った(?)のである…。
 そこ行くと近頃のドラマはつまらないネ、人生と生活(じかん)のすべてで恋愛やったりしててサ、こいつら仕事してんのか、メシ喰ってんのかってんだ。
 ところで芝居の方なんだけど、こいつはホント何でもあり、反則なし、タブーなし、ついでにお客もなしという場合もあったりして―
 テレビが悪くて、芝居が良いとは言いません、いえ、決して言えませんけど、が、しかし、こうして釧路・北見・帯広の小劇場ネットワークがシステム化されたなら、『四十代にしてゲージュツ観が変わる』

上村 裕子
 6年来の友人がいる。年齢は私より幾つか……下だが、大切な友人の一人である。常々、「何かをやりたい」といっていた彼女は今、『ヨサコイ』に打ち込んでいる。その彼女が先日、関西の劇団員のワークショップをうけ、その中で〈精神的に自分を裸にすること〉を経験し、形ではなくて想いと心の表現を学んだと教えてくれた。そしてふと私のことを思ってくれたらしい。「こういうことをやっていたのか…」と。そして「そろそろ役者の姿が見たいんだけど」と話してくれた。今、第一線ではなく、第二線(?)で活動中の私としては、苦笑い。けれど、友人であり、何時も客席から温かく見守ってくれていた彼女の言葉は妙に嬉しかった。人との出逢いは財産だと何時も思っていたけど、改めて感じた夜だった。
 今回の釧路・帯広・北見公演は土地は違えど、芝居仲間がいてこそ成立した企画である。何と心強く心弾む企画だろう。平均年齢がグングン上がっている我劇団だが、また、新たな出逢いを求めて歩き始めている。
 本日はおいで頂きありがとうございます。心より御礼申し上げます。

福澤和香子
  男 洗いもんが残ってんだ
  女 あ、 そう。
あの時代にこのセリフ…イイですねェ。別に私は女性の権利について強く主張するつもりはないのですが、お互い一人の人間として尊敬し合いながら生きてるがゆえに出たこのセリフ…シビレますねェ。
「でもそんな尊敬できる相手、私の周りにはいないし…。」ってそれじゃあんたはなんぼのもんだ!―その通り。人のことはよーく見えるんですよ。自分のことはまるで見えない。 だから日々の稽古で教えてもらうんですね。そしてもっと知りたくなるからもっともっと稽古する。
 大人になるに従って人に言う事は多くなるけど、言ってもらうことはどんどん少なくなっていくような気がします。「演劇」を通して色々な人達に会うことができて、刺激され、励まされて、ひとつずつ知らない自分を見つけているところです。こんなあったかい輪がどんどん広がったら楽しいな、と思います。
本日はご来場ありがとうございます。そして次回も是非お待ち致しております。

野口 利香
 子供の頃、1999年は遠い未来だと思っていた。2000年なんて、それこそエンタープライズ号のような宇宙船が宇宙を飛び交うSFの世界だと思っていた。
 ノストラダムスの大予言のテレビを見ながら、人類滅亡の時私は 歳かぁ、まっ 歳なんてどうせおばさんだし、そのくらいなら滅亡しちゃってもいいかぁ、なんて思ったりもした。確かに世間から見りゃもう おばさん なんだけども子供の頃考えていた 歳像と今の私は全く違っていて、「クロワッサン」曰く、これからが大人の女として、生き生きと人生を楽しまなければならない時にとても滅亡なんかしちゃいられないというわけだ。
 最近ニュースを見ると地球はどーなっちゃうんだろう、と考えざるを得ないが、とりあえず、まだ イケていたい 私は、前向きに 世紀を迎えようと思う。

坪井 志展
 演じすぎる事を否定され続けて稽古をしてきた気がする。昨年は、舞台の上にいるだけで必死だった。
 自分は一体何をやっているのだろう、何を今までしてきたんだろう、随分考えたりもしたが…。結局、舞台に上がっている人間がきちんと生きているかどうかなのだから、『形式ではないのだ』ということが解るまでの空回りが長かった。
 実在の人物を取り上げている事も、おもしろくもあり、大変だった。
 野枝さんは、次のような文を残している。
「私共は、自分達の生活の目標を世間の人達のように、ただ無事に大した不足もなく、その日、その日が送れて円満な家庭をつくって、子供達の成長を楽しみにするというような処には置いていません。それどころか、私共は反対に、平穏無事な楽しい私共の家庭の謂ゆる幸福が何時逃げ出しても恐れない決心を何時も、何時も忘れずに持っていなければならないのです。」
 これを読んだ時に、私の内に野枝さんの笑顔がはっきり浮かび上がってきた。年齢も境遇も、あまりにかけ離れているのは確かだが、自分の意志を持った強い笑顔を頼りに、今作品と向き合っています。

富永 浩至
 昨年この芝居をやったあとで、作者の平田オリザ氏に会う機会があった。そのときに、なぜ大杉栄と伊藤野枝を取り上げたのかを伺った。父親の影響もあって、元々興味があったという答えだったのだが、夫婦の話で興味深いことを仰った。記憶の中だけなので正確ではないが、確かこのようなことだったと思う。「結婚して間もない頃は、相手のことが理解できなくて、こいつは頭がおかしいんじゃないかとか思ったりして。でも、夫婦生活を続ける中で、同志として夫婦というのも良いんじゃないかと思うようになって。そんなときに書いた本なのかな、今思えば」
 実在の人物を演じるということで多少気負ったりもしたが、本質的なことはもっと違うところだと改めて思った。

 

 

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