つぶやき
坪井 志展
初舞台は、清水邦夫作の「楽屋」でした。本番、最初の出で怒りながら椅子に座るはずが、思いっきりシリモチをついてしまった事を鮮明に覚えています。その数年後、「演じると言っても、虚構ではなく、自分を赤裸々にさらけ出す必要がある。そうすると自分の小ささが見えてきて芝居をやめられなくなる。」と言っている自分がいました。
今、演研には、若手と分類?される者が4人います。それぞれが今回の芝居では重要なポジションを任せられ日々試行錯誤を重ねているようでした。4人の顔つきが、心持ちが、日に日に変わってゆく毎回の稽古がとっても充実していたように思えます。
本日は、かれらと一緒に、原点に戻っての舞台をお観せできればと考えています。
上村 裕子
演研では、一つの作品を何度も再演するレパートリーシステムをとっていますが、諸事情(例えば、人数が足りないなど)によって、再演したくても出来ない作品が数多くあります。今回は、十年ぶりで、しかも本当に久しぶりの「清水作品」です。「平田作品」ももちろん好きですが、過去に何度、「清水作品」に心奪われてきたことか。今回の芝居に向き合いながら、私なりの十年がいろいろと思い出されました。気持ちの切り換えが、いつも上手くできなくて、苦しんでいた時期もありました。大人になれば少しはできるようになると勝手に思っていたものの、いつになったら大人になるのか…年齢ばかりが増えたようにも思います。
今回は、若手の三人にとって記念の舞台になりそうです。演研と長くおつきあいをして下さっている方達がたくさんいますが『若手三人が初舞台で…』と話したら『え?若い人いたの?』と言われました。そうなんです。いたんです。まさしく老若男女?いえいえ、十年前とはメンバーも随分違いますが、なかなかパワフルな個性的な顔ぶれが揃っています。私たちの世界に、しばしお付き合い下さい。
野口 利香
私は本来、人と関わることが苦手である。子供の頃からそうで自分から友達を作ることをあまりしなかった。それでも、それなりに友達はいたが。
大人になって今はどうかというと、常に立場で人と関わっているような気がする。だから肩書きがあると強い。「**の野口です」という時は堂々としていられるのだが、何もない個人の時はかなり気弱である。自信が無いのだ。大人になり切れていないのだとも思う。
生きていくことは人と関わることだというが、すべての感情はそこから生まれるのだろう。では孤独からは何が生まれるのか。
はたしてロリータは本当に救いの猫なのか・・・
金田 恵美
演研の仲間として舞台に立つことができます。大学の時に芝居と出会い、仕事で帯広に来て一時は芝居から離れていましたが、結局戻ってきました。勉強そっちのけで芝居ばかり追っていたあの頃とは違い、仕事と芝居と両方手に入れて、上手く付き合っていくのは正直大変なことでした。特に役についてからはもっと時間が欲しいと願うばかりです。でも私は舞台に立つ楽しさをやっぱり味わいたい。迷うこともあるけれど今は前へ突き進みます。
宇佐美 亮
ぼくがまだ大学に通っていたころには、演研のチケットには「コーヒーチケット」なるものがついていた。芝居を観た人はもれなく代表の営業する喫茶店「大通
茶館」でコーヒーを一杯飲むことができるというもの。今思い返すとそこにのこのこ出かけていって無謀にもカウンターでコーヒーを頼んだのが5年前か。まさかこうしてその演研の舞台に立つとは。
予感のようなものは感じていたんですけどね。ひんやりした店内は明らかに騒がしい国道の喧騒からは切り取られていて、店内の壁に所狭しと貼られているポスター、写
真、ポスター。決して嫌いな空間ではなかった。そして、その空間が好きな人にとって離れがたくなる集団だったのですね、演研は。素人さんだったぼくはもっと心して入らなければいけなかったのかも知れません。そんなこんなでぼくはこうしているのです。
公演前のこの原稿を書いている今、稽古では辛いことのほうが多いような気がします。しかし所詮初舞台なんだし、最後の最後は開き直るという奥の手はまだ使っていないわけだし、あとはお客さん皆さんの優しさやら想像力やらという不確定要素に大いに期待しています。そのほか、稽古や公演で留守中にワンコに部屋をあらされるだとか、稽古が終わって酒屋さんが閉まってコンビニでビールを買わなければいけないはめに陥ったりしたり、芝居をしていく上での弊害は大いにあるのですが、温かい人たちと演研の一員として生活していて、もしかしたら幸せなのかもしれません。
残念ながら今のチケットにはコーヒーはついていませんが、まだ「大通
茶館」へ行ったことがないあなたに限り、宇佐美のつけでコーヒーをサービスします。もしかしたらあなたにとっても特別
な空間かもしれません。ただ、気をつけて。
館 律子
今回、初めて役者として公演を迎えます。入団してからここまで、新しいことだらけで、とにかく追いつくことに無我夢中でした。それでもまだまだ追いつけないことばかりですが、その段階の自分にも舞台に立つ機会が与えられたということに、驚きと嬉しさでいっぱいです。
劇団の活動だけでなく普段の生活でも至らないところばかりで、なかなか自信も持てないのですが、そんな中でもこうやって毎日を楽しく動き回っているということ、それだけでも来て下さった方に伝わればいいなあと思っております。
たくさんの人に支えてもらって、今ここに立つことができました。未熟者を自覚しながら、それでも精一杯やっているので、楽しんでいただければ幸いです。どうぞ最後までよろしくお願いします。
鈴木えりか
今回私にとって2回目の公演となり、1度目の時のことを思い出して努力しているのですが、たくさん空回りしたり、力不足のところがあったりという日々が続いています。特に新人の3人はキャストということで役作りにとても苦労しているのですが、稽古の回数を重ねる毎に新しい発見があったり、改めて自分を見つめ直したりと、いろんな経験をして辛そうながらも楽しそうにも見えます。
私もそんな3人を応援しながら、今回の舞台を楽しんでいく気持ちで参加していきたいと思います。今回ご来場された方々にも楽しんでいただけたらとてもうれしいです。
富永 浩至
決まっていた訳ではないが、今年の春は新人公演で、という流れになっていた。実際、かれらは昨年から自主稽古で、台本を選び、読み合わせなどをしていた。しかし、演出がいない新人たちだけの稽古はなかなか進まず、その作品で公演、というところまで行かなかったようだ。そして、今回、その流れをうけ、新人を三人起用したお披露目公演となったわけである。
私の演研での初舞台は九四年の「シェルター」。それまでの演研は、劇団員が女性ばかりだったこともあり、女の情念の芝居をレパートリーの中心に据えていた。「シェルター」は、それらの芝居とは180度方向転換したものだった。しかし、初舞台といっても、大学在学中に何度か「大通
茶館」の舞台は立っていたし、その延長で演研に入団したので、自分の中で初舞台という感じはない。私の初舞台は、高校の学祭で演劇部の連中に誘われてやった、つかの芝居だ。その時の高揚感が忘れられなくて、大学に入っても芝居を続け、そして今に至る。今日、初めて舞台に立つ若者たちとその高揚感を共有できればと、密かに願っている。