上演にあたって
富永 浩至
ここ二、三年の間に団員が増え、我が劇団の平均年齢も四十歳を下回りました。その新しい団員たちに役者の機会を与えようと言うことで、稽古用台本として、この「忠臣蔵」を取り上げました。登場人物が七人の芝居などちょっと前までは考えられなかったのですが、これも劇団員が増えたことにより可能になったことです。そして、稽古をすればそれを発表したくなるのは当然のことで、今回のこの上演に至りました。
この芝居は、日本人になじみ深い「忠臣蔵」の物語を、作者の平田オリザさんが日本人のコミュニケーションの形に焦点をあてて再創造した作品です。昨年の春に青年団によって、OL編と修学旅行編という二つのバージョンで上演され、話題を呼びました。さて、では我々はどのように取り組もうかと話し合ったとき、私は安易に劇団編でいこうと提案しました。そして、それならばと言うことで、演出も任されることになりました。そんな安易な発想から始まったこともあり、これがなかなか一筋縄ではいきません。しかし、いつもより長い稽古期間の中で、いろいろと試行錯誤を繰り返し、何とか本日の上演にこぎ着けました。
アトリエ公演ということもあり、実験的要素もあります。お客様に受け入れられるか、多少の心配もありますが、観劇後の率直な感想を聞かせて頂き、それを糧に、また先へ進んでいきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
本日は、ご来場いただきありがとうございました。
つぶやき
片寄 晴則
今回の私の役割は、演出助手として演出と役者の橋渡しに徹し、自分の考えは極力排するということなのですが、これが仲々辛い。「そこはさあー」と思わず口を出したくなるのをじっとこらえるのは、演出をしている時以上のストレスが溜まります。しかし、少しずつ作品が立ち上がってくるとそんな思いもいつしか忘れ、最近はニヤニヤしながら稽古を観ている毎日です。
本日はご来場有り難うございます。演研の新しい試みを楽しんでいただけると幸いです。
坪井 志展
「自分自身を知る」今回のわたしの課題だった気がします。それなり に歳を取り身体の衰えを感じながら、そんな自分とどう向き合ってゆくか?成長(?)と共に目標も変化してゆかなければいけないと感じ、自分は一体何をしたか?十二月二十七日にキャストの発表があってから五ヶ月間…。いささか情けない思いです。はっきりした目標を持たなければ、向かってゆく方向が解からない。でも気が付くと愛しく、頼れる仲間がいた。自分自身はまだまだ見つめ直せなかったけど、私たち七人の人間関係のかけらでも本番でお客様に感じてもらえれば…と思っています。初めての仲間と、舞台に立つ機会を与えられて、とっても幸せです。本日はどうもありがとうございました。
上村 裕子
昨年の春、東京こまばアゴラ劇場で青年団の「忠臣蔵OL編」が上演された。舞台も見られなかったし、脚本もまだ読んでいなかったので、「忠臣蔵」が平田オリザによってどう料理されているのか、とても興味深かった。多分、本日おいでの皆様も「どんな感じ?」と思っているのではないでしょうか。
子どもの頃から「忠臣蔵」をTVで見、自他共に認める忠臣蔵ファンの私としては、是非この作品に出たかった。(数年前には念願の「泉岳寺」にも行きましたし…)そして、私は忠臣蔵の何が好きだったのか?今回、改めて考えた。「忠義」って?言葉はわかるけど…。
時代を超えて、誰の心にも忠義はあるように思う。そして、時代の波に流される現実もあるのだと思う。この作品に出会って、自分達なりの「忠臣蔵」があっていいのだなと改めて思う。女ばかり七人の舞台は何だか華やいで(?)いて、稽古はとても楽しい。足を運んで下さった皆様にも楽しんで頂ければ嬉しいです。
野口 利香
女七人の忠臣蔵(とは言っても劇団の稽古場が舞台の劇団編なのだが)、みなさん色々想像されていたのではないでしょうか。大通
茶館という小さな空間の中で、一つの集団があることについて議論します。とても深刻な話なのに怒ったり、笑ったり、泣いたり、さまざまな感情が行き来します。
今回、二度目の舞台に立つことになりましたが、日常では自然と沸いてくる感情が、舞台上ではなかなかそうはいかない。試行錯誤しながらの稽古期間はあっと言う間でした。さて、本番は…
金田 恵美
『頑張る』という言葉は誰の為にあるのでしょうか。自分の為か、それとも誰かの為なのか。生まれてから今まで、色々な『頑張る』を気軽に口にし、耳にしてきました。しかしある時を境に、この言葉は簡単には使えないと思うようになりました。自分に言うのも誰かに言うのも気軽に口から出てきますが、時には瀬戸際まで追い詰めてしまう。もちろん身動きが取れなくなっても、どうしても乗り越えなくてはいけない時があることもわかっています。自分の限界をどう広げていくのか、今の自分に限界を感じている私はその限界をどう広げていくか考え、こたえが見つからずにあがいています。反面
、甘えている自分も感じながら。『討ち入り』も『篭城』もない現在。色々な人との対話という刺激を受けながら自分の道を見つけていけたらと思います。
宇佐美 亮
油断していると、肩書きや小銭やら日本国民であることなどの重要であるらしいつまらない雑多なものにまとわりつかれ、身動きが取れなくなってしまっている。街中を歩くと気持ち悪いくらいにみんな同じ顔で、怖くて鏡を覗くこともできない。人と話していてもそれが本当に自分の意見なのか朝のニュース番組のくだらないコメンテーターの意見なのかわからなくなってくる。
この芝居は一種の理想だ。それぞれが個として開放されて生き、集団としてつたないながらも言葉による意見のすり合わせが行われていく。
自分もそうありたいものだ。個として尊厳を持ち続け、かつ周囲に敬意を払い続けるようにありたい。願わくば、すべての人がそうあれるように。欺瞞や独善で傷つく人が少しでも減りますように。
館 律子
「忠臣蔵 劇団編」は、それぞれの役者を演出がその人に一番性格が近いと思った役に当てた、ということでした。そのため稽古中は、「ああ、確かに私にはこういうところがあるかも」と感じることがよくあり、それはおもしろい経験でした。
しかし、自分に近いなら自然に演じられるかと思ったのですが、なかなかそうはいきませんでした。またもやつまづきの連続でしたが、とにかく精一杯やりたいと思います。最後までお付き合い、どうぞよろしくお願いします。
鈴木えりか
演研初舞台となります鈴木と申します。今回の公演の話が出て、キャスト発表に自分の名前が呼ばれた時は、「やったー!私も舞台に立てる!」と素直に喜んだけれども、実際の稽古に入るとわからないことばかりだし、出来ないことばかりでした。
最初はそんな稽古が辛かったけど、まわりのみんなの叱咤激励で、最近は少しずつ楽しく出来るようになりました。拙い演技ですが、一生懸命やります。お客様と一緒に楽しむことができれば、私にとっては大成功だと思っています。
よろしくお願いします!
神山 喜仁
小劇場は小さい舞台で少人数。そんな私のイメージを壊してくれたのがこの作品です。忠臣蔵の稽古をみるまでは、こんな狭いところで七人という大人数で芝居が出来るのか!と思っていました。しかし、なんの違和感もなく出来ていたのでびっくりです。みんなでワイワイガヤガヤ稽古をやる。それに携わるのはとても楽しいことです。
村上 祐子
子育てを終え、五十歳を過ぎて、やり残している事の多さを考えるようになった。石橋を叩いても仲々渡ろうという決心がつかないこの私が、あの日、富永君の口車に乗せられて、つい橋を渡る気になってしまった。それからの苦悩の日々…。色々役作りを考える私に演出からひと言「村上さんそのままで舞台にいてくれるだけでいいです」
共演者の足をひっぱりながらなんとかここまでやってきました。こんな私に再びチャンスを与えてくださった皆さんに感謝!!