※この公演は終了しました。ご来場下さったお客様、ありがとうございました。

第49回公演 第4回道東小劇場演劇祭参加作品

「走りながら眠れ」

作 平田オリザ  演出 片寄晴則   出演 坪井志展 富永浩至

98年に上演以来、99年の三都市連続公演、2000年には初の苫小牧公演、2002年鹿追演劇祭参加、札幌公演と再演を繰り返してきた作品。帯広では五年振りの上演となります。

 

とき 2004年10月3日(日)午後7時開演 ※アフタートークあり
10月9日(土)午後7時開演
10月10日(日)午後1時開演

前売り 1500円  当日 1800円

ところ ライブホール メガストーン(帯広市東6条南5丁目)


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 上演にあたって

演出 片寄晴則 

 この作品は、明治から大正にかけて、短い生涯を駆け抜けた大杉栄と伊藤野枝の、最期の二ヶ月間の日常生活を、作者の目を通 してスケッチ風に描いたものです。
 自由恋愛を唱え、アナーキストと女性解放運動者として、互いの思想とその生き方を尊重し、同志として生きながら深い愛に結ばれた男と女。ラジカルに生きたそんな二人ですから、その日常もさぞかし……と思ってしまいますが、ここでは実に淡々とした調子で、夫婦の会話が繰り広げられます。ところが、二人の生き方の背景を少しでも知っていると、その何気ない話のひとつひとつが実に示唆に富んだものとなり、想像力を喚起し興味深く、面 白く思えるのです。しかし、二人についての予備知識がたとえ無くても、実際のところ生活はこのように淡々と時が流れてゆくものだと、改めて感じさせてしまうのが平田作品の真骨頂であり、私達が取り組み続けている理由の一つでもあります。
  98年の初演以降、釧路・北見・苫小牧・鹿追・札幌と出立て公演を重ね、五年振りの帯広での上演になります。その間に道東小劇場演劇祭が始まり、ゲストの演出家との交流、多くのお客様との出合い、「青年団」の大塚洋氏の客演、そして昨年の東京公演とたくさんの刺激を受けながらゆっくりと熟成させてきた大好きな作品です。
 一度観て下さった方も、初めての方も是非々々お誘い合わせの上、ご覧下さいますよう団員一同心よりお待ち申しております。

 

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☆劇団員のつぶやき「走りながらと私」

 

最終回

坪井 志展
 「走りながら眠れ」。何度も再演している作品ですが、一番印象的なのは、やはり98年の最初頃の稽古です。結婚を機に転居し演研を退団、その間何度か演研の舞台には立っていましたが、正式な団員として11年振りに復帰した作品です。演出からは、当然のことながら毎回ダメばかり。「生活観がない」「力んでセリフをいわない」「首を振らない」など一挙手一投足に注意を受け、何をやったらいいのか解からなくなっていました。稽古後のミーティングでも他の団員から「今日の野枝さんは、暗くて自信がなさそうにみえました」等の感想ばかり。とても辛く、自信を無くしていた自分を思い出します。
 あれから6年が経ちました。そのあいだ何度も舞台を経験し、今回4度目の再演に臨みます。伊藤野枝は、「苦痛が必ず不幸とはきまっていない、かえって過去に対してのいろいろな苦痛は、より悔いの無い新しい未来を開拓する力を持っている」という文章を残しています。私自身も、少しずつですがこの芝居を切り開いてこられたような、そんな気がしています。


第九回

神山 喜仁
 私が「走りながら眠れ」に触れたのはつい最近で、演劇祭に向けて稽古を始めてからです。あっ、こういう作品だったのかと正直びっくりしました。タイトルだけから私が想像していたのは「走りながら眠れ?走りながら眠れないよなっ。」「なんとなくアグレッシブなものかな、誰かに追われてるとか。」「んっ、じゃ刑事ものか!」みたいなことです。恥ずかしながら…。
 まさか大杉栄と伊藤野枝の話だとは思いませんでした。と言っても「大杉栄って誰?伊藤野枝は…嫁か!」ってなものでよく分かってません。この事実は恥ずかしくて誰にも言えませんが、もしかしたら私と同じことを考えてる人いるかもと思い文章にすることにしました。そういう人いればいいなーだけど…。
 でも、この芝居は大杉栄のことを知らなくてもすごく楽しめる作品です。でもでも、知っていればもっと楽しいんだろうなー。


第八回

館 律子
 「走りながら眠れ」は私が演研への入団を希望して、大通茶館へ初めて行ったときに借りたビデオのうちの一本だった。その時はまだ演研の作品を一回も観たこともなく、どきどきして大通 茶館に行き、そのままどきどきしてビデオを観たものだった。
 その時の「走りながら眠れ」は、実はあまり印象に残ってはいない。当時の私は大杉栄と伊藤野枝という人物の事を全く知らず、 二人の会話の内容についていくことができなかった。ただ淡々としたやりとり、その雰囲気が本物らしくて「本当の夫婦みたいですごいなあ」と思ったくらいだった。
 そして入団して二年が経った今、この作品の稽古に臨んで感じることは、 長くやってきた他の団員のこの作品への思い入れの深さである。 最初はただお客さんのような気持ちで見ていた私も、みんなの気持ちに駆り立てられて、今では「この芝居をおもしろくする役に 立ちたい!」と願うばかり。
 簡単に「おもしろい」と言っても、人によっておもしろさは違う。 だから私が役に立つのかは何とも言えない。他のみんなの力の方が大きいと思うけれど、でも私はこう願わずにいられないし、早く舞台にあがったこの作品を観てみたい。そしてそれを観てくれるお客さんに会いたい。本番はどんな空気になっていくのだろうか?今はわくわくするばかりである。


第七回

野口 利香
 「芝居をやらねば!」と、ある日突然「演研芝居小屋」を訪ね、その日に「入ります」と無謀にも(演研の芝居を一度も見たことがなかった)言ってしまった当時35歳の私が、初めて経験した演研の芝居が「走りながら眠れ」でありました。 初めてながら照明を担当させていただき、必死に皆についていき本番を迎えた頃には「すごい劇団に入ってしまったんだ」と、思い知った芝居であります。皆に気後れしながらも、「やるからにはレベルの高いことを」と、何とか6年間やってこれ ました。その間いろんな出会いがあり、舞台にも立たせていただき、芝居をしていなければ経験し得ない様々な思いをすることができ、これから年齢を重ねることに怖れはなくなったと言えば大げさでしょうか。
 「走りながら眠れ」と同様に、演研の中で成長してきた(?)私に初心を思い出させてくれるこの芝居は、心和む作品です。


第六回

福澤和香子
 「あの人が北海道に戻ってくる!」当時その話で劇団内は持ちきりだった。誰もが 帰ってくるのをわくわくしながら待っていた。それまでの間、私は色んな人からその人の演研時代の数々の逸話を聞かされており「本当にそんな人がいるのか?」と思っていた。
 ・・・・本当にいた。 その人は、私が車でご自宅にお送りしてもなかなか降りてくれなかったり、「今日は私がおごるから」といって自分の食べた金額以下のお金を出したりして驚かしてくれた。でもそれ以上にその人は舞台で輝いていた。初めてそれを目の当たりにしたのがこの『走りながら眠れ』だった。
 当時の私は、正直なところ初舞台の作品を持ったままであったこともあり、「気はそぞろ」な感じではあった。が、大先輩である二人の芝居には大きなショックを受け、 又パワ−もいっぱいもらった。それから、釧路・北見・苫小牧・鹿追・札幌とさまざまな舞台での上演。脚本はそのままなのに、観る度にこの作品の奥深さに気づく。それは多分観る側の環境や気持ちの移り変わりによって感じられる面 白さが大きいんだろうと思う。
 さて、妻になって初めての「走りながら・・・」は、私にどんな気づきを与えてくれるのだろう?


第五回

宇佐美 亮
 「走りながら眠れ」は私が演研に入るきっかけになった作品である。前回公演のつぶやきに書いたが、大杉栄と伊藤野枝について多少知っていた私は、この2人を「日常」として描いたこの作品に惹かれた。 タイトルもこの芝居を髣髴させる魅力的なものである。走ることと眠ることは相反する状態でありながら、眠ることが必然であるのなら、理想として両立させたい。能動的な走ることに対し眠ることは受動的(一般 的には)であるため、眠れとの言葉には、第三者的な意思を感じる。むろん、それが自分自身に対してであれ。前述したように眠る事は必然であるのなら、自身に対する言葉としては「走れ、眠るまで」ということか。さらに走る目的地で止まり眠る事ではなく、走りながらと言う状態に重きをおくなら、「走れ、眠るために」ということになる。走る事かなわないまでも歩きながら、眠りたい。眠るために。


第四回

鈴木えりか
 
「走りながら眠れ」は、私が一番最初に見た演研の作品でした。
 それと同時にあの、客と役者との距離が近く、まるで同じ空間に存在しているような感覚の芝居を見るのも初めてでした。まずその距離感に感動し、また芝居を見て「この人たち、芝居じゃなくて本当に夫婦なんじゃないか?!」と思いそうになるくらい幸せそうに感じたり、でもその幸せはつかの間のものなんだなあと感じて切なくなったり、いろんな感情が湧き起こったことが思い出されます。
 それから何年かの時間が経ち、演研へ入団。「走りながら」の札幌公演の稽古真っ最中でしたが、就職したばかりであまり稽古にも参加できず、公演にも付いていく事が出来ませんでした。ということで、今回やっとじっくりと「走りながら」の稽古に参加することができるということになり、すごくワクワクしながらの毎日を過ごしています。
 今は最初見た時から時間も経ち、あたしも少しあの頃よりは大人になり(?)、「忠臣蔵・劇団編」での初舞台も経験、演研のメンバーとも打ち解けたことで「走りながら」の見方や感じ方が変わってきていると思います。それだけじゃなく走りながら自体も成長してきていると思う。だから、また違った感動や感覚が味わえるだろうと思うから、これからがすごく楽しみ。またみんなも楽しめるようにあたし自身からも何かを発していきたいです。


第三回

上村 裕子
 21歳で初めて芝居の世界に飛び込んだズブの素人。そんな私に、自己表現することの喜び、仲間意識の大切さ、そしてお酒の味まで教えてくれ、温かくも厳しく包んでくれた先輩や仲間たち。そんな人たちも年数を経る毎に次々と退団していった。団員が4人だけ、音響一人、照明一人なので二人芝居しかできない・・・そんな時代もあった。
 初めて「走りながら眠れ」を読んだ時は、「観てみたい!」とは思ったが、まさか自分たちのレパートリーになるとは思っていなかった。「難しそう・・・」と思ったから。その頃、私は家庭を持ち、もう第一線では芝居はできないだろうと覚悟を決めていた。そんなこともあって、この芝居に挑戦したい!と言った富永がとても心強く感じた。そして、先輩でもあり同志でもある「坪井」が戻ってきてくれたことも、なにより心強い亊でもあった。
 スタッフとしてどう芝居と関わっていけるか、私にとっても出発のような思い出深い作品である。実際は稽古に出られない亊も多く、又、上演中は受付をしているので、芝居小屋の外から中にいる役者のセリフを聞いていたことも懐かしく思い出される。
  再演するごとに水が染みこむような感覚を舞台から感じるのは私だけだろうか。良質な作品に出会えてこそ、再演の意義を喜びと共に感じられる。それが我々の何より幸せだと思う。


第二回

金田 恵美
 演研に入団して初めての公演が「走りながら眠れ」の苫小牧公演でした。入団してからまだ日が浅く、初めての公演が旅公演で、何をすればいいのかもわからず、慣れなくて落ち着かない自分がいたことを今は懐かしく思います。
  再演を重ね、役者2人の関係も熟成されていく中で、初めて見たときから私の心を捉えて離さないのが“お茶の香り”です。芝居の中で2人が飲むお茶がとてもおいしそうで、その雰囲気が好きで、小屋に漂う香りが好きで。目も耳も鼻も心も、色々な感覚を総動員して芝居を見る。お茶を飲むという普通 のことが、小屋の中の空気をほっとゆるめてくれるその瞬間を、これからも沢山の方に味わっていただきたいなと思います。


第一回

富永 浩至
 この作品は93年のテアトロ2月号に掲載されていた。私は当初、この淡々とした物語の良さを理解できないでいた。それよりは94年に同じくテアトロの4月号に掲載された「思い出せない夢のいくつか」の方に強くひかれた。そして、次の年の創立20周年記念で上演するように強く主張した。偶然にもそれと同時期に、地元新聞の主催で平田さんのワークショップが月に一度、一年間に渡って行われることになった。我々は毎月ワクワクしながらワークショップを受けた。そんな出会いの中で平田作品に対する理解が徐々に深まっていき、98年にこの作品を上演することとなった。
 その年は坪井が横浜から戻ってきて、演研に復帰した年でもある。当初、二人だけで稽古をし作って来たこともあってか、作品がなかなか集団のものにならなかったことが思い出される。そしてその頃私の妻のお腹が大きく、稽古を見学に来た妻に、一場の参考にと坪井が色々と尋ねていたことも思い出される。その時のお腹にいた子供も来年小学生、月日が経つのは早いものである。

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