「いち・ご白書」アフターステージ・トーク(11月20日)
出席者:鐘下辰男氏(THEガジラ主宰・劇作家・演出家)、片寄晴則、司会(富永浩至)
司会(富永):今日はお忙しいところ、ありがとうございます。鐘下さんは、12月に市原悦子さんと舞台がありまして、そしてすぐにその後1月には斉藤由貴さん、高橋惠子さんと続けて舞台をやられると言うことで、本当に超多忙の所、私どものために書き下ろして下さりありがとうございます。 会場:(拍手) 鐘下氏:いえいえ。 司会:では早速ですが、いきたい思います。まず最初にこの書き下ろしをやる経緯などを、うちの代表の片寄の方から話してもらいます。 片寄:皆さんご承知のように、私どもは25周年の時に平田オリザさんに書いてもらいました。それで30周年は是非鐘下さんにと言うことで、去年の2月に上京した時にお願いしたんですが、かなり渋っていたんです(笑)。まあ書きにくいと言うこともあるんでしょうが、お忙しい中、でも何とか書いて頂きました。本当に昔からの、彼が高校の時からの知り合いなのですが、すごい作家になってしまって、僕らになんか書いてもらえるかなというものあったんですが、快く引き受けてくれました。 司会:どうですか?やっぱり先輩からの依頼は断れないという感じですか? 鐘下氏:いや、まあ、その、今日の芝居じゃないですが、人間関係というのもありますから(笑)。というか、そういうのをやってみるのも面白いなというのもあったんです。 司会:初めてですよね、こういう地域の劇団に書き下ろすというのは。 鐘下氏:はい、初めてです。 司会:あれですか、普段は作・演出をなさっているわけですが、作だけと言うこともあるんですよね。 鐘下氏:はい。作演出が多いですが、いろいろなパターンがあります。演出だけとか。 司会:書く時は意識はするんですか?演出もする場合と、作だけの場合と。 鐘下氏:特に意識はないです。ただ今回は、意識しないようにすることが難しかったです。役者の方々もみんな知っている人ですし。それはもう・・・なかなか楽しませて頂きました(笑)。 司会:鐘下さんは書いちゃったら、あとは任せちゃうという感じなんですか?ここは違うだろとか、ありませんでした? 鐘下氏:劇作家もいろんなタイプがいて、毎日稽古場に顔出して演出に文句言ったりとか、役者片隅に呼んで「あれは違うぞ」「あの演出家の言うこと聞くなよ」とか、いうタイプはいるんですけど、僕はほとんど稽古場には顔出しませんし、基本的に演劇は現場のものですから、そんなところで劇作家がなんだかんだ言うべきではないと思います。 片寄:自分で演出する場合は、現場でいろいろ変えていったりとかするんですか? 鐘下氏:そうですね。そこは作家から離れて、演出家バージョンというか現場バージョンで役者によってどんどん変えていきます。 司会:渡した作品を演出家が変えるのは構わない? 鐘下氏:構わないですね。反対に無理矢理僕が書いた本をそのまま、そのようにやると、反対に何でそのようにやるのかなと、長いだろこれは、どう考えても!とか、よくありますよそれは。現場の人たちがいろいろ変えてもらうと、僕も楽しめると。 司会:どうですかその辺は、演出して? 片寄:実は書き上がってくるのが、お忙しい方で予定よりちょっと遅くて(笑)。あの、うちの芝居をつくる時は作品を決定した時点で、僕の中に作品の完成のイメージがあって、それで稽古に入るんですが、今回はホンをいただいて、スタートが役者と同じで、どうつくっていこうかと考える時間がなかったことと、書き言葉の部分があって、それを話し言葉にかえていく、変換する作業が結構苦労しました。せっかく書いて頂いたものをあまり手をつけたくないのと、僕が演出として、とことんいってなかったこともあるかもしれませんが、かなり忠実にやったつもりです。まあでも、うちの役者がやると書いたイメージと登場人物のイメージが違ってくるだろうなってのはありました。 鐘下氏:僕はね、そこが面白かった。ほんと面白かった。うん。 司会:具体的に言うと? 鐘下氏:書いたイメージがそのまま舞台にのるのは、正直言ってあまり面白いことではないわけですよ。ある種の良い意味での裏切られみたいな事が起きるからこそ、面白いんであって。良い意味で裏切られました。富永さん、こんなにまるかったっけ!?とか(笑) 司会:(会場に)申し訳ありません。(鐘下氏に)学生時代でしょう、それは。 片寄:うちの富永が帯広畜産大学で芝居をやっている時に、鐘下さんが高校生でその芝居を観たという、富永もほっそりしていた。その頃の印象が、まずありますからね。 鐘下氏:「熱海殺人事件」を「大通茶館」で観まして、パンフレットにも書きましたけど「ああ、芝居って何やってもいいんだ」って思いました。あれがすごく印象にありますね。そういうところに書くっていうのは、なかなかちょっと・・・、面白かったですけど。今日は観て楽しませて頂きました。 司会:今回の芝居について、どうこう言うのは言いづらいですかね? 鐘下氏:言いづらいというか、ほんと楽しませてもらってね。パンフレットにも書いたんですが、演研さんから話をいただいて、やっぱり帯広だし、僕が高校生活を送った町だし、そこを踏まえて帯広を題材にして書いてみたいと思ったし、それを帯広まで来て、帯広の俳優さんがやって、それを観るというのは、芝居にしかできない贅沢というか、そういう意味でもすごく堪能させて頂きました。芝居の内容云々より、改めて「ああ演劇っていいものだな」と、ちょっと臭くなりますけど、そう思いました。多分これが、例えば東京のアゴラ劇場とかでやるとまた違ったものになるんじゃないかと思います。 司会:そうですね。東京で「熊牛」(※地名です)って言っても誰も知りませんものね(笑)。 鐘下氏:ここで聞くからいいんですよ。「長崎屋の地下」とか、すごくいいんだな(笑)。 会場のお客さん:あの、いいですか? 司会:はい、どうぞ。 お客さん:役者をイメージして脚本を書いたのか、その辺を聞きたいです。 鐘下氏:ある程度は、イメージしました。片寄さんに言って、知ってるんだけども「顔写真とか送ってくれないか」って言って。 お客さん:誰がどの役をやるというのも? 鐘下氏:そこまでは考えなかったです。僕の中ではある程度のイメージはありましたけど、それは片寄さんにお任せして。 司会:男はほっそりした富永がやるっていうイメージはあったんですが、あけてビックリというか(笑)。 お客さん:とても、ある面ではイメージ的にあっていて、面白かったです。楽しかった。 片寄:ここでやるから面白いというのはあって、今日はお客さんの反応が違ったんです。多分、鐘下さんの同級生の方がいて、多分あの「シンジ」は鐘下のことだと思って笑っているのかな、驚くほど反応が違って、初日の時には同世代の人が、こういう事を言っているんだけどすごく笑えるって、何やってんだろうと自分に問い返して、クスクス笑っていましたが、今日やってて、お客さんが沸いて、ああこれかぁって。ぼくはちょっと上の世代で、どうなのかなと思ったのですが、同世代の人はよく分かるって言うし、そういう人たちが多くて反応が違ったのかなと思いました。 鐘下氏:ほんと恥ずかしいね。ほんとこんな恥ずかしい状況に追い込まれるとは・・・。なんたってね!(会場を指さし)おふくろも来てるんですよ!! 会場:(爆笑、拍手!!) 鐘下氏:いやいやまいった。これは参った。 司会:これ、ホンをもらった時にすごいと思ったんですよ。ある意味、勇気がいるじゃないですか、自分のことみたいに思われるとか。そこをスパッと切って、書いているというのはすごいと思いました。ですからやるからには、こちらも生半可な気持ちでは出来ないと思いました。髭を生やしただけではダメだったかな。(笑)。 鐘下氏:え、このシンジの役のために髭生やしたんですか? 司会:そうです。そうです。いや、どういうところから役作りに入っていいのか分からなかったんです。今までにない役だったんで、違うタイプなので。 鐘下氏:僕じゃなくたっていいじゃないですか、僕じゃなくたって。 片寄:でもまあ、鐘下さんをイメージした役なので。僕、ホンをいただいた時に電話していったのは「お前さ、いいの、これ?みんなお前のことだと思うよ。こんな高校生活送ってたの?」「いやいや、フィクションですから」って話だったんですけど。でも言っておきますけど、僕もある程度知ってますけど、こんなことはなかったです。真面目な高校生でした。(笑) 司会:何か他に会場から質問とかあれば、お受けしますけど。 鐘下氏:あんまり意識しないですけど、単純にね、タバコを吸うと紫煙が漂うというのが好きなんです。 司会:二つ目は「いろんな役者さんの演出をなさっていますが、印象に残っている役者さんとか、エピソードがありましたら教えて下さい。」 鐘下氏:印象に残っている役者さんね、・・・ああ、やっぱりあるのかって思ったのは。あの、荻野目慶子さんが、これちょっとマジな話になりますが、何年か前に一緒にやりまして、彼女が何年かずっと休んでいて、例の事件がありましたよね。久しぶりに十年振りぐらいに舞台をやることになって、それで「マクベス」をやったんですが、シェークスピアのマクベスって、ガンガン人が死んでいくわけです。途中で荻野目さんがこ〜(頭を抱えるポーズ)なってですね。事件のね、彼女、自分の付き合っていた男性が自分の部屋で自殺して、それを発見したんですよね。あれ以来、彼女は部屋の中に生き物を置くことが出来なかった、植物もですね。で、十年経っているから大丈夫だと思ったんですが、マクベスですから人がガンガン死んでいきまして、途中で精神的に不安定になって、あいだに制作の人がたってフォローして、なんとかやったっていうのがありましたけどね。 司会:では女優絡みで、「最近高橋惠子とやることが多いのですが、これは鐘下さん側からオファーを出しているのですか、向こうからオファーが来るのですか。」 鐘下氏:初めはある芝居で一緒にさせて頂いたんですけど、それである種意気投合したみたいな所があって、ちょっと2年後のいついつにやりましょうよ、と言うことでやったりとか。女優さんはそういう感じで決まる方が多いですね。今度やる市原(悦子)さんとか、前々から僕の舞台を観ていてくれて。市原さん自体もこの頃舞台をやっていなくて、久しぶりで今度やりたいんですけど、と言うお話をいただいて、じゃあやりましょうかということで。 司会:「ラジオで、」これ十番目の質問だったんですが、「市原さんが鐘下さんはとても力のある人だと言っていました」、これには「彼女をどうやって丸め込んだのか?」(笑)と書いてありますが。 鐘下氏:え、え。いや、前々からね、よく観ていてくれてたんですよ。 司会:これも向こうからオファーがあったんですか? 鐘下氏:まあ、ちょっとやりません?みたいな感じです。 司会:すごいですね。では、次にいきます。「今温めている題材とか、こういう事を書きたいなと思っていることは?」 鐘下氏:今ですね、やりたいのは池田小に乱入した宅間。あれをちょっとやりたいんですよ。機会があったら資料をぼちぼち集めようかなと思っています。 司会:次の質問ですが、「本を書く時どういうところが大変ですか。また今回の芝居はどういうところが大変でしたか?」 鐘下氏:どういうところ・・・。これ作品にもよるんでしょうけど。舞台の場合はなんて言うのかな、二時間なら二時間、どういう方向でいくかとか、どういう構造でいくかという綿密な設計図をつくらなければいけないというのがあって、その設計図づくりがどんな芝居でも苦労するというのがありますね。 司会:あれですか、書く時にはもう結末は分かっていて、書くんですか?それとも書きながら決めていくんですか? 鐘下氏:それはね、その時によります、作品によりますね。 司会:「今回こういう話を書こうとどういう時に思いついたんですか?」と言う質問ですが。 鐘下氏:やっぱり、せっかく演研さんでやるわけだし、帯広の街を書きたいなというのもありましたし、普段東京では出来ないことをやりたいということもありまし、あと、パンフレットにも書きましたけど、高校3年の最後の半年、クレーターのようにポッカリ空いた、学校に半分くらいしか行ってなかったんじゃないかなみたいな。クラスも受験体制だし。夜はいつも大通茶館にたむろしていた。あれはあれで変な時間だったというか。あの半年間は変な時間だったですが、それを書けたらいいなと漠然と思っていました。 司会:「鐘下さんが芝居の道に入ったキッカケとして、片寄代表の影響が大きかったと言うことですが、他に影響を受けた人とかいますか?」 鐘下氏:基本的にないですね。僕らの世代にはつかこうへいと言うのがある種影響があるのだろうけど、あれはまあ影響というか、ファッション的につかこうへい風がいいなって思ったのはありました。影響という影響はなかったと思います。 司会:芝居の中にも「二十代はサカキバラ世代」って言うのがありましたけど、「今注目している劇団とか二十代の演出家とかいますか?」 鐘下氏:あのね、演劇界に入ってくる二十代はちょっとダメなんです。(笑)それこそ僕らの世代までは、演劇なんてやるのは親不孝者で、勘当もんなわけですよ。今ね、そういうアウトロー的な生きのいい奴らが演劇に入ってこないんですよ。どうも、違うところに行っているんじゃないか思うんですよ。演劇学校とか大学なんかに行く時があるんですが、19、20歳くらいの俳優になりたい子なんかを相手するんですが、みんないい子なんです。みんないい子。例えばクラスでいうと中の上くらいの、決して一番じゃない。一番上は一番上で違うところへ行くんですよ。一番下は一番下でまた違うところへ行くんですよ。その中途半端な中の上くらいのちゃんと先生のいうことを聞いていた、ちゃんと大人のいうことを聞いていた、変に話の分かる人が、まあ皆が皆じゃないけれども、集まる傾向がありますね。僕らが演劇学校とか養成所とかにいた時は、そういう先輩が来ると、どこか目の敵にするんですよ。「テメェ今にみてろ。お前が偉そうな顔してられるのも、あと十年だ」というようなある種の変な突っ張り感というのがあって、そういうのを期待するんだけども、想像していたものではないなというのはありますね。 司会:まあ、一応「十の質問」でした。(笑)会場の皆さんも何か質問があれば、今回の芝居のことだけではなく、鐘下さんの仕事のこととか、演出の片寄に何か質問があれば。 お客さん:はい。演出の片寄さんに聞きたいんですが、演出をしていて今回一番悩まれたのは何ですか。 片寄:それはとても厳しい質問ですね。何というか、さっきも言ったんですが、僕の中で作品が立ち上がってこないというか、どうこれをつくっていくか、まず鐘下辰男のコピーじゃダメだし、自分のものでこれをどうつくっていこうかと思った時に、一番は役者の言葉をどう話し言葉に変換させていくか、ある種通底しているものが、役者がつながっていかない。しょうがないから、ポイントポイントでここではこういう事だと約束事で決めて、稽古を重ねていく中で、それを少しずつつなげていく、そういうやり方しかできなかった。今回、本当にこんなこと内輪話で言っちゃていいのか分からないんだけど、いつもは僕がそこが違うからこうこうこうでと言っていくんですが、今回それが出来なくて、役者がすごく頑張ってやったということもあったし、自分がそうできないもどかしさもあった。せっかく書いてもらったのに僕自身の作業としてはちょっと悔しいかなと言う感じがありました。余談なんですが、鐘下さんが東京へ行ってやった芝居を僕が初めて観たのは、16年前の昨日なんです。 鐘下氏:えっ! 片寄:11月19日なんです。調べたんですが、「僕の学校は戦場だった」あれを観たのがちょうど16年前の11月19日なんです。あの頃は、新宿のシアタートップスで、舞台はとても熱くって、千葉哲也さんとかいい役者が出てて、で出てたんですよ。 司会:ああ、鐘下さんが役者でね。 片寄:「演出だけでいい、役者やめな」って言ったんです。(笑)僕はそんなに彼にどうした訳じゃないんですけど、鐘下がこうやってやっていることが、どこか嬉しいのと気恥ずかしいのがあって、帰ってきたことがあって、そのことを思い出しました。あの頃、帯広にも来ていた黒テントの人とか、鐘下辰男って面白いよねって言っているのを聞いて、嬉しく思ったのを覚えているんですが、それがあれよあれよという間にいろんな賞を取って、やっぱり誇らしい気持ちがあるんですけど、だからこうして忙しいところを書いてくれて、下手なものつくって恥ずかしい思いをさせたくないなっていうのと、「片寄、バカヤロ、こんなものしかつくれないのか」って思われるのも癪だなっていう、いつもの芝居づくりとは全然違いました。 お客さん:鐘下さんは無いんですか、片寄さんに。ここはダメだよとか。 鐘下氏:ほんと、ほんと無いです。一観客として楽しませてもらいました。う〜ん。あ〜、女優さん二人恐い!!(会場、大爆笑!)あれは、僕が役者だったら、あそこに立ちたくない。いいですよ。 司会:(笑)。他に何かありますか? お客さん:一週間前と今日と続けて観させてもらったんですが、大勢の演研ファンが観られていると思うんですが、その中の一人として言わせてもらいます。あの、今回の、この記念になるような作品をドーンと届けてくれたことを観客の一人として感謝しています。今回、この芝居、帯広で観られるから至福の時を得られる本当にそう思います、この平穏な自然があって、そしてその中で非日常の世界が現れる。しかも高校時代の俺はどうだったんだということを、皆さん笑いの中で、笑っていいのか、何であそこで俺は笑うんだろうと思いながら観ていました。良い芝居を本当に観せてくれた。それとセットですね。感激しているのでとりとめないですが、セットの作りから半端していない。もちろん演出も、役者も半端していない。本当にどか〜んと腰を据えた演研のもの凄さをみせてもらいました。質問と言うより、感激してますし、これからも観続けたいなと思います。今日は本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。 会場:(拍手) 司会:まあだいたい締めという感じになりましたが、その前にこれだけは聞いておかないと。「いち・ご白書」の点、いち・ごの点は何なんですか? 鐘下氏:そんな、そんな意味なんてないんです。あれは一期一会の「いちご」なだけです。 司会:ああそうですか、そう言った人もいたし、15だと15歳だと。高校時代の15歳だという人もいました。 鐘下氏:ああ、それいいですね。僕ね、ぶっちゃけた話、新作の場合はギリギリになるわけですよ、稽古前に。いつもそうなんですがチラシというのは、その2ヶ月前に始めなくちゃならないじゃないですか、すると制作からとにかく題名決めろと言われるわけですよ。題名決めている時には、ほとんど芝居のことは何もないんです。だから題名を決めるというのは、ほとんどやったことがないんです。今回も書き上げたんだけど、題名が浮かばなくて、どうしようかなあと思ってて、「一期一会」よし「いち・ご白書」。だいたいそんなものです。(笑) 司会:ありがとうございます。そろそろ時間も来ているんですが。 鐘下氏:じゃあ、僕から。先ほどのお客さんに付随してなんですが、これ新聞の取材の時も言ったんですが、演研さんが30年ずっと帯広という土地で活動している。僕は東京なんかでやってる訳なんですが、結局東京でやっている演劇って何かというと、消費されていくだけなんです。商品なんです。だから新作新作といってどんどん観客に消費されていくみたいな。演研さんって一つの作品をずっと何年もやったりだとか、それをこうして観て下さるお客さんがいたりだとか、本当に贅沢だと思います。本当に贅沢で、本当に羨ましいです僕は。こういうのは無いですからね。東京なんかそういう経済的なものだけしかなくて。時々僕も地方に、文化財団系の仕事でいろいろ行くんですが、こういう感じで地元密着というか、土地の人たちと連携というか、つながりを持ってやっているのは、すごくいいなあと思いました。演研をずっと観ているお客さんも、凄いことが今起こっているんだと言うことを思ってくれると嬉しいなと思います。 会場:(拍手) 司会:では、時間となりました。本日はどうもありがとうございました。
※気が付かれた方もいらっしゃるかと思いますが、「劇団員からの十の質問」。実は九つしかしていないんです。途中で質問する順番を変えたので、一つ抜けてしまいました。今回舞台装置を担当した神山の質問だったんですが、それは「本を書く時は、男と女どっちが好きですか?」というものでした。申し訳なかったので、打ち上げの席で聞きました。即答。「女、女に決まっているでしょ」でした(^_^;)。 |
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