片寄 晴則
演劇が語るべきものを失ったといわれるようになって久しい。本来、メッセージ性を色濃く打ち出していた小劇場でさえ、80年代後半のブームによって「笑いと軽さ」が主流になってしまっている。そんな中で、私達がここ数年、興味を持っていたのが何の事件も起きない、静かな芝居といわれている、平田オリザ氏の一連の仕事である。
今までの私達が芝居を創る上で大切にしてきたのは「心理」とか「感情」といった精神的なものである。何かを伝えようとする時、その動機となる精神が重要と考えているからだ。しかし、平田氏の仕事は精神や行為といったものを描くことを捨て「状況」を描こうとしているのだから、今までの我々のアプローチでは全く通じない −と言うより正反対のアプローチを求められているのではないだろうかと思う。役者は何もせず(もちろん何もしないわけではない)ナチュラルに舞台に存在するー 簡単なようで、これ程難しいことはない。しかし、平田氏の戯曲は役者が余計なことをする必要がないように緻密に計算されて、書かれており、何もしない、何も言わない空白が雄弁に何かを語りかけ、観る者のイマジネーションを刺激する。それがとても面白い。
過剰な演出を押し出すことをしてきた 私が、これほど何もしないでいるのは初めてのことです。ただ役者を見守り方向性を示すだけ。役者・演出双方にとっても20周年の結節点を飾るにふさわしい新たな冒険であり、今後の創造活動への大きな糧となる作品だと思っています。
初演時のパンフレットに私はこんな事を書いています。初めての平田作品への意気込みと共に、言下に「お客様に受け入れられるのだろうか」という不安があったように思います。しかし、それは杞憂でした。観劇後のアンケートにはは「何だかその場にいて他人の話を盗み聞きしているような、妙な感覚があった」とか「自分も列車に乗って、一緒に旅をしているような一体感を持った」とか「同伴の友人と酒を飲みながら今観た芝居について思いを巡らせたい」等々、好意的な感想が多く寄せられたのです。
そんな声に勇気づけられたその後の私達の活動の展開は皆様ご承知のとおりです。この13年間に二度の東京公演を含め、5演目18公演もの平田作品の上演が続いており、今では『平田オリザ劇団』を自認(?)する程です。
さて、昨年オープンしました私達の新しい活動の場、演研・茶館工房での、原点に戻っての「平田版・銀河鉄道」にご乗車いただきありがとうござます。楽しい旅になったらこんなうれしい事はありません。さあ、出発です。
坪井 志展
最後に、夜行列車に乗ったのはいつの事だろうか、そういえば、学生時代に「からまつ」にはよくお世話になりました。釧路と札幌を往復していたと思います。私が乗っていたのは、白糠〜帯広の短い時間でした。向かい合った四人がけの椅子。同じ大学の人が何人もいてワイワイガヤガヤ、自分だけすぐに降りなくちゃならないのが、とても寂しかった記憶があります。ぽつんと離れて皆の様子を眺めていたりして・・・(暗かったのかな?)
学生時代の私の夜汽車は、家路に向かっていましたが、今夜の夜汽車は、一体どこに向かっているのでしょうか?自分でもつきとめてみたい気がしています。芝居をみて何かを感じたら教えていただけると嬉しいです。
本日は、工房に足を運んでくださりありがとうございました。
上村 裕子
「思い出せない夢のいくつか」という作品に出会い、上演してから平田オリザ氏との交流が進んできました。あれから13年。たくさんの刺激とチャンスを頂いてきたのだと、改めて感慨深い思いです。
この作品は演研としては再々演で、貴和子はその都度若返っていますが、他の二人は変わっていません。それが又深い味わいとなって、今回皆様に観て頂けると思います。
私達の空間へようこそ!!
打つ芝居によって空間の色を変える茶館工房を今後とも宜しくお願いいたします。
金田 恵美
本番まであと少し。まだまだ時間があるような感じがしていたのですが、実はもう時間がありません。今までも役者として稽古に参加した事はありますが、今回の稽古は今までで一番『楽しい』。もちろんダメ出しされてへこむ事がないわけではなく、まだまだ役の事を掴みきれずにいますが、何だか稽古が『楽しい』んです。色々な事情が重なって稽古に参加できる団員が少なかったのもあるのか、今までより先輩達とちょっと近くなれた気がするからかもしれません。もうすぐ本番だなんて、なんかちょっと勿体無い気までします。まぁ、でも本番はやって来るので、あとは緊張せずに舞台に上がれればいいのですが・・・お客様の雰囲気も合わせてこの空間を楽しみたいと思います。
宇佐美 亮
13年前、東京出身の自分が北海道に降立ち、一番驚いたことは、その星空でした。少し街の光が遠ざかる大きな公園でようやく見えるオリオン座を探すしかなかった幼少時代を送ってきた自分は、あの時初めて星の数が数えられないことを知りました。月日を重ねていくうちに感動は薄れ、それどころか生活に追われ、星を見上げることなどなくなっていたこの頃。この芝居に接したことをきっかけに、また空を見上げてみました。星はまだ、ここにありました、今だ数えられないほどに。
道端に黄色い花が咲いていること。
オリオン座以外にも星の光があること。名前を呼ぶといつも垂れているうちの犬の耳が少し立つこと。当たり前のこと、当たり前のところ、日常とはかくも魅力的であるのか。
工房があたたかく、また支えて頂いているお客様もあたたかいこと。芝居があり、自分もなんとかここにいること。当たり前に感じることなく、新鮮に接することが出来ればと思います。もう結構年食った大人では絵にならないので、星に願ったりはしちゃいませんが。
富永 浩至
1995年の創立20周年記念公演に出たいと、当時横浜に住んでいた坪井から連絡があった。作品選びがすんなりといかず、片寄と上村、私の三人が喫茶店に集まり話し合ったことを覚えている。なぜ喫茶店に集まったのかは忘れてしまったが、私はそこでこの作品を強く推した。お客さんに受け入れられるかどうか不安だという意見に、「好きでやっているんだから、やりたいものをやろう」と演出のことなど考えずに我を通した。
この公演の「つぶやき」には、文学座のアトリエで観た芝居を引き合いに出して、セリフで直接語られないことが舞台上から見えてくる、そんな芝居にしたいというようなことを書いた。表現する側が、この芝居はこうなんだと一方的に押しつけるのではなく、観る人によって、いろいろな感じ方ができる芝居にしたいと、そういう芝居も面白いのではないかと思い始めていたのである。
坪内稔典という俳人が書いた文章に、『定型、季語、切れ字などを駆使して成り立つ俳句は、色々な読み方ができる点で、言葉の多義性を豊かに発揮するといってよい。そして、いろんな読み方をぶつけ合うことが、私たちの認識や感覚を広げてくれる。そこに俳句という小さな詩の楽しさがあるだろう。』とある。
今やテロップで笑い所まで教えてくれるテレビと違って、芝居の楽しみのひとつに、俳句と同じことがあるだろうと思う。
今日観て下さったお客様が様々な感想を抱き、それを伝えてくれることで、また新しい発見が生まれ、より深い表現になっていくと思います。そうして、この小さな工房から素晴らしい表現が生まれることを信じて、今日も稽古を続けています。