第58回公演  ワンコイン劇場「命を弄ぶ男ふたり」
  作:岸田國士  演出:富永浩至

 スタッフ
  効果:片寄晴則 照明:金田恵美 小道具:坪井志展 大道具:神山善仁 舞台監督:片寄晴則 
  制作:上村裕子、野口利香、村上祐子

 キャスト
  眼鏡をかけた男 宇佐美亮  繃帯をした男 富永浩至



上演にあたって

富永 浩至

 もう入団してから八年にもなるが、舞台に立ったのは一度きり。今回、眼鏡役を演じる宇佐美の話である。別にスタッフ志望だった訳でもないのだが、仕事が忙しくなかなか稽古に出られず、役が付かなかったのだ。そんな彼が、昨年仕事辞めて、別の道を模索し始めた。せっかく時間に余裕ができたのだからと言うことで、昼間に時間のとれる私と二人で始めたのが、今回の芝居である。
 ちょうど岸田國士の本に興味を持ち、やってみたいと思っていた私は演出もすることにして、兎に角稽古を始めた。二ヶ月くらい練習すれば公演が出来ると安易に考えていたのだが、これがなかなか大変だった。演出も未熟な上に、役者をやりながらということもあり、すれどもすれども出来上がらず、年内の公演は無理だと判断。年末に稽古場発表会をして、もしそこで不評だったら上演を止めようと思った。しかし、ここまで頑張ったのだから、最後までやった方がいいという意見が大半だったこともあり、今公演となった訳である。
 さて、初めての岸田作品への挑戦である。これが書かれたのが大正十四年、なんと八十四年も前である。だが、決して古くささがなく、今の時代にも十分通用する普遍性を感じる。その辺りの面白さを何とか表現したいのだが、役者二人は普段使ったことのない言い回しや言葉を自分のものにできずに悪戦苦闘している最中である。
 そしてもう一つの試みは、ワンコイン劇場である。作品の上演時間が短く気軽に観られること、実験劇場的な意味合いもあることで、入場料を五〇〇円にした。今まで芝居を観たことのない人にも観てもらいたいという思いも込められている。
 折角拠点を持ったのだから、色々なことをやってみようというのが、この工房を持った時の皆の思いである。今回はその第一歩。この一歩を皆さんに楽しんで頂けたら、それほどの喜びはないのだが。
 

 


つぶやき

片寄 晴則
 昨秋から、ちょっと我が儘を言ってしばらく演出を休ませてもらっています。お陰で胎内(?)に抱いていた重しも少しだけ軽くなってきた気が・・・。そんな訳で、今公演は音響に専念しています。
 日頃から、私は演出として「音響と照明は、役者の演技のやり取りの如く、お互いの呼吸を感じ取りながら一体化しなければならない」と言っています。そして今回、初の照明オペレーターを務める金田恵美とコンビを組む事になり、どこまで二人の呼吸を合わせられるかが課題でもあり、それが楽しみでもあります。本番の舞台、音と明かりが一体化し、そして役者とコラボレートできた時の、あの高揚感を味わえるよう、演出の苦悩を横目に、楽しく稽古に臨んでいる私です。

初めての、ワンコイン劇場。岸田國士作品
坪井 志展
 自分の興味のある作品をプロデュースし、上演する。今回は富永が、企画、演出、役者の三役をこなしている。その他、装置、照明、効果のプランニングとセッティング、果てには壁新聞まで制作。(さすがにあの頑丈な土手(階段?)は演研の棟梁作、効果は代表の手によるものです)
昼間、二人で稽古をしているので、夜稽古場にいくとセットや明かりが変わり、もちろん芝居も変化していました。
 私が岸田國士作品を身近に感じたのは、数年前「鐘下辰男の演出ワークショップ」で「紙風船」(この時、私は柏葉高校の演劇部顧問の先生と夫婦役でした)を題材に取り上げ、脚本をどう読み解き、作品を作り上げていくかを事細かに分析しながら部分的にですが、作り上げていった時です。
 その後、生誕一〇〇年にあたる年に何本かまとめて作品に出会う機会がありました。其々の演出で、出来上がった作品は色々ですが、大正から昭和にかけて書かれた作品であるにもかかわらず決して古さを感じさせません。今回の作品には女性は出てきませんが、作品の中の女性はちゃんと自己主張し自分の意志を貫き通す姿が描かれています。人間の普遍的なテーマを根底に持つ岸田國士の作品は現代に通じています。
 私達は、今後も岸田國士の作品を取り上げて行きたいと考えていますので、忌憚の無いご意見、ご感想を聞かせていただければと思っております。
 本日は、演研・茶館工房に足を運んでくださり本当にありがとうございました。

上村 裕子
 工房が出来た時、ここでいろいろな事がしたいと思いました。そして、出来ると思っていました。実際は、この空間ができて安心してしまったのか、自分の周辺があわただしいこともあり、個人的には、足を運ぶ回数が少なく不本意な気持ちでいっぱいです。
 今回、初試みのワンコイン劇場は可能性のスタートだと私は思っています。この演研のチャレンジを見守って頂けると幸せです。

金田 恵美
 今回は初めて『照明』を担当しています。と、言っても照明プランや吊り込み作業には全く携わっておらず、つけたり消したりするオペレートを担当します。が、照明って難しい。手の動かし方次第で芝居の雰囲気が違って見えます。「これっ!」っていう実感がなく、毎回「これでいいの?」という疑問符が積み重なっていきます。自信なんて持てません。今まで照明を担当していた方の気持ちがわかってきました。でも公演はもう間近、今の自分にできる精一杯の事をしようと思っています。演研の新たな取り組みを楽しんで頂けたら嬉しいです。

野口 利香
 約二年半の単身赴任生活を経て帯広に戻ってきました。殆ど遅い時間からの稽古参加ですが、この場へ戻ってこれたことはとても嬉しいことです。この公演が復帰してからの初めての公演になるわけですが、なんだか新入団員に戻ったように動きが鈍い自分が情けない。
 工房づくりにも参加出来なかったせいか、この空間に対してまだまだ他人行儀な私がいます。これからじっくり時間をかけて、この空間を自分のものにしていきたいと思っています。
 本日のワンコイン劇場、ご来場いただきありがとうございます。ごゆっくりお楽しみください。

宇佐美 亮
 「ヒトは何のために生まれ、何のために死ぬのか?」…なんて少し生活に余裕のある幸せな日本人がモラトリアム期間に自問するありがちな疑問は、少年だった僕にも当然のように生じ、そして悩んだ。そして多分に漏れず、海外を放浪したりして、自分の命の価値を希薄にし、ただ生きていることの純粋さを追求してみたりしたが、平和ボケした日本人のごっこ以上の何者でもなく、何の解決にもならなかった。そのうち友人を含め、皆こういった一過性の疑問に何らかの答えを出し(またはそう思い込まざるを得なくなり)、所謂大人になっていったが、なかなか僕は、先に進めない。
 ただ、こういったグダグダになりがちな答えのない疑問を無視できるような生き方や目標―家庭や子供、お金や名誉であったり、宗教や愛に狂ったり―愛なんて出す時点でどうかということはおいといて、それのもありかなと思ったりもするが、「烏が黒いと思っているのに白と思い込むのはどうか」なんて吹っ切れない(もしくは甘えた)考えもあったりして、なんやかんやした挙句、仕事をやめ、板の上に立つことが出来た。
 今回は久しぶりに役者として、命を弄ぶ男二人のうち一人として舞台に立つ。僕には命の価値なんてどう決めればいいのか分からない。結局それぞれが決めるのだろう。人任せにしていると例えば「アメリカ人の命の価値はイスラム圏の人々の数十倍あります」みたいな変なことを公然と押し付けられかねない。じゃぁ、僕の場合はということだけれど、「小鳥の羽よりは重いかもしれない」と言ったりすると、気障過ぎるきらいがあるので、言わないことにする。
 演研では、忘年会に五〇〇円以内のプレゼントの交換イベントがあって、昨年は箱入りホカロンが人気でした。ホカロンには負けるかもしれませんが、少しでもいい舞台を作ろうと本番まで二週間となった現在、誠意稽古にいそしんでいます。
 本日はご来場ありがとうございました。
 そういえば、この間拾った犬のことを書こうと思っていたのだけれど、忘れていた…

 

 

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