「思い出せない夢のいくつか」札幌公演当日日記その2

記 富永浩至

6月25日(日)午前9時30分
 それぞれ朝食を取り、ロビーに集合。「劇場開きました」のメールで、みんなぞろぞろと劇場へ。あいにくの雨でしたが、劇場は徒歩1分のすぐ近く。サポートメンバーも朝早くから集まってくれて、まずは劇場の掃除から。劇場内、ひんやりしていました。今日は気温が低めです。

午前10時30分
 「通し稽古、しなくても大丈夫じゃない?」の演出の言葉に、「でもまあ、やりましょう」と役者たち。そして終わった後には、しっかりと演出からのダメ出し!

12時昼食 
 小さなおにぎりが3つ入った弁当です。温かいのが何よりでした。ホテルで朝食をしっかり食べたので、あまりお腹はすいていなかったのですが、美味しかったので全部食べてしまいました(^_^;)。

 シアターZOO入り口の階段

 受付開始前の受付
午後1時10分  例により、集中です。
午後1時30分  受付開始です。
午後1時40分  開場、客入れです。
午後2時     開演。
午後3時10分  終演。

午後3時20分
 2回目のアフターステージトークです。ゲストは亀山さんの劇団yhsの主宰者、南参さんです。「僕の父親ぐらいの人に、あれこれ言えません」というのは正直な感想でしょう(^_^;)。
(以下、アフターステージトークの抜粋。記憶で書いているので、正確ではありません)
 南参:昨日も拝見したのですが、2度観て、この芝居って平田さんの人間観が書かれてあると思った。セリフに赤色巨星の話が出てくるんですが、表面は穏やかだが、内部は高温でグラグラしている。これってこの芝居の登場人物もそうでしょ。この内面的な部分が書かれていないと思うんですが、役者と演出ですり合わせはしているんでしょうか?
 片寄:あまりしていない。
 南参:役者もほとんどぶれていなかった。
 片寄:感情的にやろうとすると、役者がのらないと出来ない。そうではなくて生理だと思う。その時に生理がどう変わるかをやっていくとぶれない。
 南参:yhsは12年やっていて、札幌では中堅に入ると思う。演研はもう30年以上もやられていて、どうしたらそんなに長く出来るのか。
 片寄:気が付いたら30年経っていたという感じ。基本的に人間が好きと言うことがあって、芝居はさらけ出さなければ出来ない。信頼できる仲間がいたから出来たと思う。
午後4時30分
 ロビーでいただいたケーキなどを皆で食べて、ひとまずお疲れ様でした。そしてすぐに片づけ開始。バラシは本当に早いです。
 JR組の二人は、帰りの指定席がとれなかったため、早めに駅に行くことに。こんなに疲れているのに、座れなかったら大変ですものね。

 小一時間も経たないうちに、この通り。

 差し入れなどいただき、行きよりも多少荷物が増えましたが、収まりました。

午後5時30分
 お世話になった人たちにお礼を言い、札幌出発。途中高速のサービスエリア輪厚(これでワッツと読む)で休憩し、次は夕張でトイレ休憩(お店は閉まっていました)。あとはノンストップで帯広へ。

午後9時20分
  帯広に到着です。すぐに荷物を降ろし。取りあえず今日のところは降ろすだけで、荷物の整理はまた後日に。借りた車を戻しに行って解散。時間は午後10時になっていたでしょうか。長い一日が終わりました。

 最後になりましたが、この公演のために色々とサポートして下さった皆さま、また、会場に足を運んで下さったお客さま、本当にありがとうございました。またいつの日か札幌へ参ります。

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