「隣にいても一人」アフターステージ・トーク(11月17日)

※合同公演最終日に行われたアフターステージトークの様子です。
※要約をしていますので、平田氏の発言意図とは異なっていることがあるかも知れません。あらかじめご了承下さい。
※平田氏のお話しがとても面白く、会場がとても沸きました。特に笑いが起きたところには(笑)、(爆笑)などが入っています。

 

富永:今日はお忙しいところ、ありがとうございます。
今回のこの芝居は平田さんに書き下ろしてもらってから、今年で10年になります。そこで今日は、その10年間を振り返ってみたいと思います。
そもそも飲み会の席で私が頼んだのですが、その時に書こうと思ったのはどうしてだったんでしょうか?

平田氏:ここにいらっしゃる半分くらいの人はご存知でしょうが、95年に十勝毎日新聞の主催で、9ヶ月間、毎月金土日とワークショップをやったんです。まだワークショップという言葉がそんなに広まっていない頃で、僕も今でこそ大学とか、高校でも教えていますが、本当に最初の頃で、劇団内とかプロ向けにはたくさんやっていたんですが、一般向けとか高校生向けで9ヶ月というのは初めてで、その時に知り合いになりました。で、それは本当に偶然で、その時に僕の作品をやることに決まってたんですよね。

富永:そうなんです。創立20周年の時で、平田さんの作品をやることになって、上演許可をもらおうと思ったら、「なんか平田オリザという人が来て、帯広でワークショップをやるらしい」と聞いて、エッと驚いたんです。

平田氏:その時にお芝居も観せてもらって。

富永:そうなんです。ガチガチに緊張しました。(笑)

平田氏:それ以来のお付き合いになって、書くように言われたものですから。(笑) 執筆の予定はあらかじめ決まっているんですけど、ちょうど、うまく空いていたんですよ。

富永:ラッキーだったわけですね。
あて書きと言うことで書いていただいて、その翌年に今日僕がやった兄役の佐久間孝が交通事故で亡くなってしまって、もう出来ないんじゃないかと思ったんですよ。その時に幕別で青年団の公演があったんですが、その時に平田さんが、青年団から役者を貸してくれると言って下さったんですよ。僕たちにはそういう発想はなかったんですよ、他の人を連れてきてやるというのは。

平田氏:ああ。まず、その前に、書く時も面白くて、書くことになっていたんですけど、全然書いてなくて。(笑)それで2000年の夏にやはり幕別公演があったんですけど、僕はご縁があって町友になってたので毎年のように幕別で公演があって。それが確か盛岡か青森からはじまった旅公演で、幕別に来るのでそれまでに書いてお渡しするという約束になっていて、「やべえ近づいてきたよ」って。(笑)僕、その旅公演の間に新千歳からソウルを往復したりして、いろいろあったんですが、何とか書いてお渡ししたんですよ。それで、幕別の百年記念ホールの会議室で。

富永:そうです、その前の夜にフロッピーでいただいて、それを僕がプリントアウトして、朝、コピーしてみんなに配って、平田さんの前で初の読み合わせですよ。ガチガチになってました。

平田氏:作家のいる読み合わせが初めてだったんでしょ。要するにあて書きというのが初めてだったんでしょ。

富永:そうです。

平田氏:それで終わった後に、「なんで坪井のこと、こんなに知っているんですか?」って聞かれたんです。(笑)そんな取材をした訳じゃないので、知らないんですが。(笑)あ、佐久間さんのは、「ギリギリか」は唯一あて書きなんです。半分くらいの方はご存知かも知れませんが、ものすごいああいうくだらない駄洒落を言うんです。全く受け身のとれないものを。(爆笑)初対面の人にも言うんです。(笑)
 で、上演があって、それも成功して。で、ああいうことになって。でも、折角書いた本なので、中年の俳優もうちにはいっぱいいるので、使って下さいと言ったんです。

富永:で、大塚さん(青年団所属の俳優)がちょうど佐久間さんと同じ歳だったんです。それでお願いしたんです。

平田氏:大塚さんにとっても帯広滞在がとっても楽しかったようです。すごくいろんな飲み屋さんと知り合いになって。(笑)
その後、(兄役は)龍さんになったんですが、実はその龍さんになった時、大塚さんは本当にショックだったんです。帯広では凄く我慢して真面目にしたらしいんですが。なんかオレ、悪いコトしたかなと。(笑)

富永:平田さんから「隣にいても一人」を全国でつくったのを東京で一挙上演するので、出ないかというお話しをいただいて、役者を借りてきてやらなければいけないので、うちの中では色々葛藤があって。で、結局片寄の後輩で、帯広出身の龍さんにやってもらうことになって。

平田氏:まあ、大塚さんをふるなんて、帯広演研も偉くなったもんだと。(爆笑)

富永:すみません。(笑)

平田氏:それで、盛岡で最初につくったんですよ。たまたまうちに盛岡出身の女優が二人いて、盛岡とも二十年来の付き合いがあって、そこで何かやれないかという話があってやったんです。男優の方をオーディションして。それが評判が良かったんですよ。そうしたら、うちの劇団内で盛岡だけずるいと言うことになって、結局、青森、関西と三重と広島、熊本、で英語版。それと演研に来ていただいて8バージョンでやったんです。楽しかったですね。

富永:東京に行く時には、同じ芝居をそんなにやってお客さんが来ないだろうと言ってたんですよ。

平田氏:超満員でしたね。スタンプラリーをしたんですが、そういうのをやると盛り上がるんです。8個貯まるとマグカップがもらえるんですが、結構もらっていましたね。あと、比べるのが面白くて。

富永:ああ。

平田氏:帯広版は有利で、帯広版だけオリジナルの台本で。違うんですよ、他のは年齢が若いんです。これ、娘が東京に行ってるという設定が結構大事なんです。僕、今日観て改めて思ったんです。ちょっと忘れてたんですが。(笑)他のは皆、娘が小学生とかの設定になっていて、まだいるんです、この町に。だから娘が東京に行って、いないという寂しい感じは、帯広版だけなんです。で、年齢層のこともありますし、他の7つは全部僕の演出で、一つだけ演出が違うこともあって、帯広版は大変評判が良かったです。

富永:いろんな方言があって、
凄く新鮮でした。

平田氏:ここで関西編をやらしてもらったんです。

富永:そうです。

平田氏:あの、パン食べるシーンは、関西編のパクリですね。

富永:ああ、そうです。(笑)
で、聞けって言われていますからお聞きますが、今日の芝居はいかがだったでしょうか?

平田氏:毎回、ここに来て、何か見せてもらう度に、なぜ私たちが演劇をやっているかという原点に触れさせてもらうような感じがあります。それと、このお芝居をずっとやり続けていただいていて。これ、他の地域でもやれたりしているのは、このお芝居、非常に単純な構造になってまして、不条理劇なんですが、実は不条理劇は簡単なんですよ。二種類しかなくて、なんかずっと待ってるか、朝起きたら何かになっているか。(笑)で、片寄演出というのは、すごく台本を大事にしてくれて、まあ若い演出家だと色々とやりたがるじゃないですか、そういうのがなくて本当に台本を大事に、一つひとつ言葉を大事にしてくれることと、ちょうど上手く合ったんじゃないかと思います。これはさっき片寄さんにも言ったんですが、俳優さんの声がいいですね。4人の声のアンサンブルが良かったです。最初の妹さんの出て来た声、ああ、これいいなと思いました。

富永:ありがとうございます。僕たち、地方で演劇をやっていて、僕らは僕らなりに楽しみながらやっているんですが、日本の演劇の中で地方の演劇はどうあるべきか、ということなんですが。

平田氏:日本のというのはあまりないと思うんです。世界か地域かしかない。プロでやるんだったらば、これからは国際競争力をつけるべきだし、特に僕がかかわっている公的なお金を出すようなものであれば、ばらまきじゃなくて、ちゃんと国際競争力のあるものでなければならないと思うんです。僕は、全然関係ないんですが、国土交通省の成長戦略会議の観光部会の座長をやっていて、

富永:え、何ですか?

平田氏:皆さんに関係あると思うんですが、休日分散化とか空港が今度羽田が国際化するとか、ああいうのをやっているんです。何で僕が?と思うんですが。(笑)空港をこんなにたくさん造っちゃって、いらない空港もあるんです。とかち帯広空港のように必要な空港もあるんですが、その辺を分けて考える。国際化と本当に地方に必要なものを分けることが大事なんです。演劇も、トップは世界に出ていって勝負する、そしてこういう地域の劇団の活動を促進させるように、2つに分けた方がいい。中途半端なのが一番ダメです。厳しい言い方をすれば、何となく演劇をする人を増やしてしまう。

富永:なるほど、ありがとうございました。それでですね、ここでお客様から質問などいただきたいのですが、いつもなかなか出ないので、あらかじめお客さんに書いてもらったものがあるので、それをお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?
「オリザさんは北海道に、特に帯広に魅力を感じていますか?あるとすればどんなところ魅力ですか?」ということですが。

平田氏:いや、まあ帯広にというか、さっきも言いましたが演研さんにということだと思います。こんな劇団はないです。

富永:え、どういうところですか?

平田氏:いや、こんな好きかってやっている劇団はないです。(笑)いや、もうちょっと言うと片寄さんが頑固で、もうちょっとみんな悩んで劇団運営をしてるんです。若手の出番をつくんなきゃなとか。(笑)いろいろと。

富永:ええ。

平田氏:そういうの、しないからな。(笑)凄いですよ。みんなそうすりゃいいことは分かっているんですよ。でも普通はそれが出来ないんですよ。本当にやりたいことをやってるんだなと思います。いやいや、悩みがないわけではないでしょうが。それはある種の芸術性の高さでしょうね。帯広の中では最高のものをつくっている。多分それは僕がうかがったところでは、演研の最初からそういうことがあって、帯広の中で芸術至上主義を貫こうと、レベルを下げるくらいならやらない。そういうことを35年もやっているというのは、頑固としか言いようがないと思います。(笑)途中でもうちょっと市民に開こうかとか考えると思うんですが。(笑)

富永:なるほど(笑)

平田氏:そこは凄いなと思います。それとやっぱり、これは北海道だけじゃないんですけど、その土地の風土みたいなものがどんどん無くなっていく中で、帯広というか十勝は独特の風土が残っていて、来るとのんびりするところはあります。

富永:ええ。では、最後ですが、今関心のあることは何ですか?ということですが。

平田氏:今、関心のあることは、演劇に関しては2つです。1つは国際共同作業で、12月20日から1月の末までフランスに行って、パリの郊外の劇場で子ども向けのお芝居をつくります。「銀河鉄道の夜」をやるんです。宮沢賢治がフランスであまり知られていなくて。

富永:ああ、そうですか。

平田氏:で、9月に一週間プレ稽古でフランスに行ったんです。それでリーディング公演をやったんですが、凄く評判が良くて、今シーズンはイヴリーヌ県内を30ステージほど回ることが決まっていて、それがヒットすると翌年はフランス全土を回るんです。ヒットすると3年ぐらいかけてフランス全国を回るんです。フランスでは宮沢賢治があまり知られていなくて、そのことが不思議なんですが、リーディングがとても評判が良くて、もしかしたらうまい鉱脈をあてたかなと思っています。だっていっぱいある作品を紹介していけばいいんですから、一生くっていけます。(爆笑)

富永:ああ。

平田氏:それがまず1つと、あともう1つはロボット演劇ですね。これは本当に楽しくて。うちの大学(大阪大学)に石黒浩という、皆さんテレビで観たことがあると思うんですが、自分とそっくりなアンドロイドを作っちゃった人なんです。彼と一緒にこれまで3本作ったんです。ロボットという新しい素材を手に入れて、ロボット技術は世界一なんです。これを使って演劇をつくればいいんです。これもさっきの話と同じで、古今東西の名作をロボットを使ってやればいいんです。(笑)ロボットと人間の「ロミオとジュリエット」とか、あとロボット2体がずっと何かを待っているとか。(笑)あと、朝起きたらロボットになっていたとか。(爆笑)

富永:ああ(笑)。

平田氏:いや、朝起きたらロボットになっていたというのは、みんな考えつくんです。僕は朝起きたらロボットが人間になっていたというのを考えたんです。(会場から「ああ〜」)ほら、そうするとちょっと関心を持つでしょ。(笑)これが劇作家の仕事なんですよ。

富永:今日は本当にありがとうございました。まだまだお話を聞きたいのですが、時間になってしまいました。会場の皆さん、本日はありがとうございました。
 

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