坪井 志展
初めてベケット作品を観たのは、一九九一年八月 富山県利賀村の開催された世界芸術祭「利賀フェスティバル91」でした。ポーランドから亡命して、オーストラリアのシドニーで劇団を率いているレック・マキエヴィッツ演出の『ベケット:イン・サークルズ』です。ベケットの作品『芝居』と『行ったり来たり』を再構成した新作で劇団SCOTの俳優三人を起用した日本語での上演でした。当時の観劇記録をみると「舞台上に糸巻、マネキン、木の葉、資料館の立て看板など生活(生きている事)を感じさせる舞台セット。大きな壁に三枚の額。芝居が始まる。人が行ったり来たり、居なくなったり現れたり、転がったり、私たち三人がここでこうしているのは何年ぶりでしょう?とコメント。そして『芝居』のせりふが始まる。さっき歩いていただろう役者三人の顔が壁の額の中一つ一つに収まっている。額の顔の一つに、明かりがあたると話し出す、リズミカルなせりふと暗転の繰り返し。ラストはまた舞台を行ったり来たりの繰り返し。記録の最後に「私はベケットを読んでから出直そう」とあった。
芝居とは形式ではなく何かがそこに存在する事だろうか、顔とあかりだけで舞台が成りたち、セリフは〈話し言葉〉と言うよりリズムのようだった。でも三人の役者はちゃんと存在している、いやしていた。「自分でこの終わらない『芝居』を演じてみたい」これが、今回の演出のきっかけとなりました。対話もアクションもない。言葉、リズム、テンポだけの芝居、そのなかで語られるのは、どうしょうもない三角関係の家庭劇。
夜が明けて朝が来る。つぎに夜がやって来るように、始まりがあり終わりがある。そして始まりが終わり。進んでいくと始まりと終わりすら無くなり、ひとつづきになり時間は意味をなくす。
「おれはそもそも……見られてさえいるのだろうか?」という疑問をかかえた芝居に答えはない。再び同じ出発点にたどりつく。
昨年の暮れより、上演日程を決めずに稽古に入りました。正直、私の演出ではたして公演までたどりつけるのだろうかと不安な日々でした。こうして上演まではたどり着きましたが、皆様にどのように受け入れられるか、または受け入れられないのか?本日はお客様に審判を受ける為に劇場にいます。
演研・茶館工房へのご来場どうもありがとうございました。