※この文章は鐘下氏が「テアトロ」(1993年2月号)に書いたものです。
わが青春の「大通茶館」鐘下辰男 北海道の帯広市……その帯広市の中心を通る国道236号線、通称大通りと言われる道沿いに、その名も『大通茶館』という名の喫茶店がある。十数年前、当時高校生だった僕は、よくこの喫茶店にお世話になった。何をするでもなく、一人ふらふらと学生服に身を包み、ガラス張りの入り口を押し開け、とびきり旨いコーヒーを飲みながら、そこで時間を潰す訳だ。その喫茶店は当時、お世辞でも流行っているとは言えず、高校生ながらよくやっていけるなあと僕は思っていた。それと言うのもこの喫茶店はいつも常連客が巣くっており、とてもじゃないが一見さんが気軽にコーヒーでも飲もうといって入れるような店ではなかったからだ。それというのも、マスターが劇団を主宰している関係上、その劇団員達や、大学(帯広畜産大学)の劇研のメンバー、僕のように高校演劇をやっていた者、演劇部OB、又芝居に限らず、映画の自主上映会の委員や、中には焼き物をやっている人等が何をするでもなくそこにたむろし、一風変わった、どこかしら怪しげな雰囲気を漂わせていたためであろう。店の本棚には、当時の僕にとって、中央の演劇界を知る、唯一のバイブルであった。今は亡き『新劇』のバックナンバー(『テアトロ』もあったが)も並んだりしていて、東京に出て来るまでの三年間、僕にとってその『大通茶館』は、演劇に関する『情報交換の場』であり、正に文化の中心地だった訳だ。さて、その『大通茶館』だが、その店は一度公演が近づくと、営業後、『稽古場』となり、又、稽古以外にも、その演目に関しての『討論の場』にもなり、又は演者各自の演劇に対する考え方、その『公開の場』にもなり、あるいは酒を交えての、『酔狂の場』にもなり、そういった様々な『場』をへて、最終的に本番当日、そこは、『劇場』となる。『大通茶館』が、看板に喫茶&シアターと銘打たれているのはそこに理由がある。今から思えば、僕はこの『劇場』から、様々なことを学んだような気がする。もしも演劇にあるイロハがあるとするならば、僕はほとんどの演劇のイロハをここから得て来た。それは東京に出て来て学んだ、演劇の方法論(新劇でいわれる俳優修行のようなもの)では決して得る事の出来ないものであった事は確かだ。それは、帯広という地方の演劇人にとって、その『大通茶館』が、ある共有できる『場』であったという事である。しかもそれは決して統制された『場』ではなく、普段、様々な人達が自由に出入り出来、お互い自由に話し合える『場』であったという事だ。しかし、現在東京には、このような演劇人にとっての自由な『場』がはたしてあるだろうか。 |
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