上演にあたって
片寄 晴則
─雑多なわずらわしさを越えて、“流れ去るものはやがてなつかしきものへ‥‥”と思えるよう、芝居を続けてゆかなければ─
十年前、パンフレットにそう記しました。 当時のメンバ−で残っているのは、今日も受付に座っている村上と、私だけ。お客様も世代交代し、初演を観て下さった方が何人いるでしょうか。
戦中、戦後、そして現在と、時を背負いながら舞台を夢見る女優達の姿は、そのまま、今の団員達の芝居へ賭ける想いです。入団したばかりで、訓練の行き届いていない役者を舞台に立たせるのは、今までに無かった冒険ですが、背伸びせずに等身大の自分をぶつけて演じる様に指示しています。彼女達の想いが伝わり温かい拍手をいただけると幸いです。十年の歳月が流れても、相変わらず愚直な歩みを続ける日々。しかし、続ける決意を確認しなくとも、芝居が生活の中にしっかりと根を下ろしてしまった今の私と、仲間と、そして迷惑そうな顔をしつつも応援してくれる多くの友人を、この十年の中で獲得しました。片寄晴則、四十三才。幸せな毎日です。
つ ぶ や き
上村 裕子
長い間演りたいと思い続けてきた「楽屋」の幕が、今開こうとしています。
活動を続けていく中、仲間が増えては、それぞれの事情で去っていく‥‥。そんな事の繰り返し。そして、新たなメンバーでの再演。つらいこと、苦しい事が無い訳ではありませんが、他人様から貴重なお金とお時間を頂いて、自分の好きな事を観て頂くのですからこんな幸せは無いと思っています。
本番が近づくにつれ、体の中の神経一本一本がピリピリとしてきます。そして、開幕前の心臓が飛び出しそうな緊張感。これがたまらなく好きなのです。私達を観て下さい。感性の豊かさも、表現力も足りないけれど、芝居への情熱だけはあります。─死してなお、楽屋に徘徊す魂の群れ─今の自分の思いにオーバーラップするからこそ、この作品に惹かれるのです。新しい仲間をいとおしく抱きながら闇に消えてゆく女優A。そんな役を演じられる幸せをかみしめながら‥‥。
富永 浩至
子供の成長は早いものである。年の初めにはまだ首も座っていなかった赤ん坊が、自分で座れる様になり、そして今では自分の行きたいところへ這い回る。あと数か月後には立って歩く様になるだろう。そんな成長のスピードを間近で見ていると、自分も歳をとっているのだと気づかされる。そして同時に、自分達の活動が遅々として進まないという焦燥感にかられてしまう。
この「楽屋」を上演したのは十年前。主宰者の片寄が転勤・転職のブランクを経て、4年ぶりに演出した思い出深い作品である。(この辺の事情を詳しく知りたい方は、十周年記念誌を買って読んで下さい。)その作品を今回は、新人達が演じることになった。「役者をやるという事は精神のストリップだ。もっと己をさらけ出せ」と演出のダメが出る。悩み苦しみながらも、ひたむきに稽古する彼
女たち。「気持ちばかり焦らないで、やるべき事を一つ一つこなして行けばきっと見えてくる」そう言いながら、自分にも問い返してみる。やるべき事をこなしているかと。
武田 雅子
今座っている場所から回りを見渡すと、窓の外には青空の中に白樺の若葉が風に揺らいでいる。そして数人の先生達が、次の授業の準備のために机に向かっている。
去年は何をしていたっけ。そういえば会社の引っ越しが終わったにもかかわらず、季節はずれの忙しさにてんてこ舞いだったなと思い出す。ちょうど一年前は、「ラヴ・レタ−ズ」の稽古をしていた。心が震えるような作品に出会ったと、稽古の度に感動していた。あれから一年、私は帯広を飛び出し、次の目標に向かって札幌に来た。新しい人と出会い新しい空気を吸っている。しかし、芝居から離れることで感性が鈍くなるのが怖く、ひたすら芝居・映画を観、展覧会に出かける。せめてそんなことで芝居に関わっているのだと納得させようとしている。あの時、舞台を作る上での感動や苦悩、逃げ出したくなる衝動との戦いの中で、集団で一つのものを作りあげる素晴らしさを、我々は感じとっていた。
楽屋に彷徨っている女優の魂の叫びも、舞台に上がっている生身の女優達がそのまま感じている事だろうと思う。
劇団から少し距離を置き、休団という形での初めての作品。太陽のまぶしさを正視できずに見ている私に、舞台の上から情熱の光りを降り注いでくれる事だろう。
内山 裕子
少しの不安と緊張、怖さと期待と興奮、芝居を観る時もやる時も、幕が上がる前はいつもそんな感覚がある。そして今回やる側に回るのは何と二年半ぶり。何だか怖さが先に立っている様な気もする。
帯広に越して来て二年。今私は、新しい土地で素晴らしい仲間に出逢えた、そんな感激を覚えている。そして、この小さな芝居小屋で、来て下さった皆様と陰で支えて下さった方々、舞台に立つ私達とがこの芝居を通
して一つの共有する時間を持つ。その事がまずとても嬉しい。まだまだ未熟な私だが、役を演じる事によって何かを写
す鏡になれたら、などと考えている。
本日は本当にありがとうございました。
平山 ゆり
こんなに早く役をもらってしまって良かったのだろうか。─これは、今の私の正直な気持ちである。
演研に入ったのが昨年の八月二十一日。演研に入るまで演劇経験が全くなかったのだが、「ラヴ・レタ−ズ」を観て心を動かされた。演研の団員全員がとても輝いて見えたからだ。魅力的な人達・内面
からの輝きを持っている人達とお近づきになりたい、また自分もそうなりたいと思い入団した。
入団して初めて役をもらえた時の気持ちは、ただ「嬉しい」の一言だった。しかし、いざ稽古に入ってみると、そんな甘い考えは通
用しなかった。声が出ないし、口が回らない。そして、感情が解放できない。技術面
で先輩方から比べて劣っているのは分かるのだが、精神的にも劣りすぎている。自分が情けなくなり、全てを投げ出したくなる時もあった。それでも芝居を続けていきたいのは、やはり芝居が好きだから。
今回、私がもらった女優Dという役は、かなり自分と重なるところがある。平山ゆりと女優Dが一体になって輝けたら‥‥。そんな日が来るだろうか‥‥分からない。今はひたすら稽古場に通
うだけである。
赤羽 美佳子
稽古に行き詰まったある日、演出から「髪を切る勇気があるか?」と聞かれ、
思わず「はい」と答えてしまいました。耳を出すのは、高校の時以来です。その頃私はテニスに燃えていました。練習後
帰宅すると、その日のクラブでの反省や今後の課題などを『明里ちゃんノート』と名づけたノートに書いていました。同級生の二人は、中学校時代全道二位
の後輩と組むと地区大会の決勝まで進みました。でも私と組むとベスト8どまりでした。「勝ちたい、勝つ為なら人間じゃ無くなってもいい」と真っ黒になって豪語してたら、顔面
がバリバリになって動 かなくなり、皮膚科に通院した事もありました。高校から始めた初心者の私は、「もう気合いしかない」と思い『気合いのテニス』と名づけて試合に臨んでいました。最後の高体連で個人と団体で始めて全道大会へ出場したことも、ついこの
間のことの様に思います。
あれから十年、テニスコートの前の水田もいつの間にか無くなってしまいました。そして今、『気合いの舞台』が始まります。多くの皆様に支えられて、こうして今、生きているとしみじみ感じています。本日は御来場いただき、ありがとうございます。
作者からのメッセージ
自由にやっていただいていいのですが、若い女優たちの希望、挫折、迷ひ、そういったいまの心情と重ねあわせて表現してください。そうすれば、観客にいい形でインパクトをあたえることができると思います。