第23回公演
薔薇十字団・渋谷組
作・清水邦夫
演出・片寄晴則

 

スタッフ
効果 内山裕子  照明 平山ゆり 武田雅子  小道具 赤羽美佳子  衣裳 村上祐子  舞台監督 片寄晴則  
舞台監督助手 山田あゆみ  制作 内山裕子 平山ゆり

キャスト
北野通・富永浩至  モデラートの葉子・上村裕子

とき
1992年10月24日(土)開演午後6時 午後9時  24日(日)開演午後3時 午後6時
10月31日(土)開演午後6時 午後9時  11月1日(日)開演午後3時 午後6時
ところ
演研芝居小屋(帯広市西2条南17丁目)
前売り1000円  当日1200円  (コーヒー券付き)

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●上演パンフレットより

 

上演にあたって

片寄 晴則
 この作品のあとがきの中で、ゲーテのことばを引用して作者はこう述べている。

 「古典的なものは健康であり、ローマン的なものは病的である」 「革命以前はすべて努力であった。革命以後はすべて要求に変わった」愛についても、青春についても、この二つのことばはあてはまりそうだ。ただ前者のことばには時々迷う。いまも迷う。健康をとるか病的なものをとるか。

 その迷う姿がこの作品となって結実したのではないだろうか。
 ─青春の残照の中に生きる男と、現実にしか生きられない女が、互いの存在に一瞬のきらめきを感じとる、愛と青春の物語─
 こう書いてしまうと、とても陳腐に写るけれど、しかし人生の半ばを過ぎた今、何か心にざらつきが残る作品なのだ。
 さて、現実の稽古に立ち戻ると、これはもう未だ無かった戦場である。いつになく役者の仕上がりが遅い。加えて「楽屋」で役者を経験した新人達をスタッフとしても育てようとしている訳なのだが、これはもう、役者を育てるよりもしんどい作業だ。教え込むよりは、自分でやってしまったらどんなにか楽かと思う日々である。しかし、表には見えない裏方の存在で舞台を成り立たせていることを知って、一層芝居にのめり込んでくれるのではないかという淡い期待もある。そして事実、音や光を操作する楽しさを 味わいつつある様子だ。
 こうして日々悪戦苦闘しながら、本番を迎えようとしている仲間達と私。
『人生とは深い、悲しい夜みたいなもので、時折稲妻がぱっとひらめかなかったら、とてもたえられないだろう、とても生きてはいけないだろう‥‥。』
劇中にある好きなことばである。私にとっての稲妻は芝居なのだろう。そう思いこんでやってゆこうと思っている。本日御覧のお客様には、通 と葉子の愛と青春を通して、一夜の稲妻のひらめきを感じていただけると幸いです。


つ ぶ や き

赤羽 美佳子
 私はこの夏、京都に二十日あまり滞在し、そこには長い歴史があることをしみじみ感じた。北海道へ帰り、確かにお水や食べ物はおいしいけれど、歴史が浅い…などと思っていた矢先、日勝峠の樹海を通り、紅葉の美しさに感動しました。緑の中に鮮やかな朱色、黄色などが 映え、それは綺麗でした。そして、自然 にも歴史があることに気がつきました。
 今回の「薔薇十字団・渋谷組」の台本を春に読んだ時は、通り過ぎていった言葉が、今は胸に響いてきます。次第に通と葉子が愛おしく思えてきました。私も葉子のように『身体の中で何かがめりめり裂けたって、どんな痛みが走ったって、しゃがみこんだりしない…』と言いたいけれど、しゃがみこんでも、また立ち上がって歩きつづけたいと思います。
 本日はご来場いただき、ありがとうございました。

内山 裕子
 長いこと家をあけたり、海外へ行ったりすると、スーツケース1つで生きていけそうな気がする。しかし、帰ってくると実際は捨てられない物で窒息しそうな暮らしを続けてしまう。自分に必要な物 は、本当は何なのか。日々のしがらみにがんじがらめになるのは何故なのか。
 明かりが落ちる、音が高くなる─、当然の事ながら暗闇、何も見えない。ひとり。怖くて逃げ出したくなるのに、胸は期待で高鳴っている。いつもこの瞬間なんだ、芝居を続けていきたいと思うのは ……。一切のムダを除いて、けずり抜いた生活を、いつか私も出来るだろうか。
  皆様も日常よりほんの一歩だけ離れた。 アンリアルな日常に足を踏み入れませんか?それは似て非なる物、さてどちらが 本物か?
 本日はようこそおいで下さいました。

山田 あゆみ
 かなり前から芝居をやりたいと思っていたのですが、実際にそこまでこぎつける事がなかなかできず、この歳迄になってしまいました。入団してから二カ月余り、いきなり不慣れな事をやらなくてはならない事に加え、夜中まで拘束される 毎日。今迄のように、お金を払い好き勝手に通うお稽古事とは、全く質が違う事をよくよく思い知らされたのでした。何度心の中で(嘘でしょう!え〜)などと叫んだ事か分からない位です。自分の欠点や弱さと嫌でも向き合わなければならない。しかし、今は苦笑しながら「何とかしよう」「何とかなるさ」と思っているこの頃です。こんな私につき合って券を買って下さった皆に、この場を借りてお礼を言います。「本当にどうもありがとうございました。」どこまで頑張れるか分かりませんが、とりあえず今は、やってみようと思っています。本当はまだ私は、とても恥ずかしいのです。でも、そういう自分を克服していかねばと思っています。そして、多くの方にお世話頂かなければ、何をやるにしても成り立っていかない事に気付き、人と人とのつながりの大切さを私は今、痛い程感じています。

上村 裕子
 今から六年前だから、入団して四年目の頃。仕事が忙しく、稽古場にも満足に足を運ぶ事が出来なかった。このまま芝居を続けていけるのだろうか、という不安に私は駆られていた。ちょうどその頃、演研は「檸檬」という芝居に取り組んでいた。
 それは、挫折を味わった男三人が、もう一度青春を取り戻そうとする作品で、甘酸っぱい檸檬を、その青春の象徴として捕らえていた。そして、私は自分にとっての「檸檬」とは何かを、考えさせられずにはいられなかった。
 今、また同じ質問をしてみる。私にとっての「檸檬」とは…。また、あの時と同じ様に「芝居」と答えるだろう。もっと確信を持って。

富永 浩至
 演研に入団して、九年という歳月が経とうとしている。思えば、大学時代にこの集団と関わりを持ってから、より一層芝居にのめり込んでいった。いろいろな出会いもあった。そんな中で、旭川の劇団「河」の内藤氏がいった言葉がとても印象に残っている。『何ごとも、十年続けてみないと分からない。結論を出すのは、十年やってみてからでも遅くは無い』
 その頃は、東京へ出て芝居をやる必要はない、地方で活動していても中央で認められるようになる、などという夢を持っていた。十年続ければ、それも叶うと思っていた。今思えば顔から火が出そうだが、あの頃のエネルギーだけは失わないようにしたい。そして、十年を迎える時に、悔いのない結論を出したいものである。

平山 ゆり
 つい最近、高校時代の友達が結婚してしまった。あまりにも突然の出来事でショックを受けている私に他の友達がこう言ってきた。「あなたには突然の出来事かもしれないけど、あなたの知らないところで彼女の周りはまわっていたのよ」それを聞いて、私は妙に納得してしまった。結婚してしまった友達は私の周りで芝居という世界がまわっている事を知らないはずだ。
 芝居をやっていなければ得られなかったであろう感情を、私は今感じている。いろんな事が頭をめぐるが、公演を前にしての気持ちはただ一つ、いい芝居を創りたいという事だけである。

武田 雅子
 最近、新しい宗教まがいの売買や、マルチ商法的な誘いが増えて来た。友人から珍しく電話があったと思ったら、その手の電話だった。悩みがあって何かにすがりたいのかな、自分のしている事が、まわりの人にどう写 っているのか解らないのかなと思ってしまう。同世代の人間としては理解出来なくはないが、何か違うんじゃないかなと思う。
 たった一人の考え方に染まらずに、たくさんの人の話を聞ける人間に成るべきだと思う。
 落ち込んで居る時私は映画を観る。観ている時だけは私をその世界に引きずり込んでくれる。美術展を観る。描かれた時代背景や生活、風景、思想を感じ取れる。そして芝居を観る。その劇団が、また作者が何を言いたいかを感じ取れる。生身の人間同志がぶつかりあう迫力を感じ、生きている事を実感できる。身近な事の中にステキな事が沢山あるのに、今までどうして気が付かなかったのだろうと思う。
 いい作品に出会ってとてもいい気持ちで会場を出る時、今日はビールを片手に芝居の話がしたいと思っても札幌ではそんな友人が居ないんだなと思うと、感動も半分くらいになってしまうけれど。今日観に来て下さったお客様が舞台を観た後、帰りにどこかで寄り道をして芝居の話を肴に楽しいひとときを過ごしてもらえるそんな舞台でありたいと思います。

 

 

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アンケートより

・肉体の緊張、緩みがもう少し感じられると、舞台がもっとしまるのでは……。ため息の演技が多すぎ、芝居を少したるませてしまったようです。上村さんの相変わらずの目の輝きが、舞台をしめていました。(男性)

・たった二人だけの出演者で、これだけの内容のあるものを演れるということが、すごいと思った。(会社員・女性)

・迫力ある2人の芝居がとてもよかったです。たくさんのランプが幻想的で、きれいでした。(女性)

・清水作品は好きで、前回の楽屋もとてもよかったと思っております。前回の上村裕子さんが出演すると知り、とても興味深く思い来場しましたが、それはまさしくすばらしいものでした。“君の白い腕がオレの地平線”というセリフが印象的で、心に残っています。あかりのランプ等々、本当にこった舞台で、見る楽しさと観る楽しさに舞台にひきつけられました。もちろん役者もです!また楽しみにしています!!(24歳・女性)

・照明がとてもきれいでした。モデラートの葉子さんのスタンドがイメージにあっていて、とてもよかった。つくるのが大変だなあと思ってみていました。(26歳・女性)

・途中から村上春樹の作品を思い出しました。「誰かの身代わり」はせつないですね。このせつなさは、自分を信じられないところからくるのでしょうか。客入れの音楽良かったです。上村さん、今日もきれいでした。(教職員・男性)

・最前列で腰を痛めつつ見ましたが、久しぶりに私の脳も活性化しました。またの公演を楽しみにしているので頑張って下さい。ちなみに私は40代なので、大口をあけて笑いましたが、しみじみもしました。(女性)

・決して悪くはないのですが、個人的なし好としてもう少し軽いものを希望する。(ちょっと重たかった様な…)(27歳・女性)

・面白かった。やっぱり演劇を好きな人同士が集まってやっているのでいいと思った。(16歳・女性)

・スタンドの1つ1つの光がとても幻想的でした。これからもずっと続けて下さい。(31歳・女性)

・感動がなかった。何を言いたいのか分からなかった。         (会社員・男性) ・30代の私としては、身につまされる作品でしたね。軽いラヴ・ストーリーかと思っていたいので  すが、どうしても「死のにおい」と「狂気の気配」に満ちた、文学的想像力を要求される作品で  した。上村裕子さんの大きなうるんだ瞳が、とても印象的でした。   (36歳・男性)

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北海道新聞(夕刊)1992年11月9日付け より


 帯広を中心に活動する「劇団・演研」(片寄晴則代表)。昭和五十一年の旗揚げ公演「ぼくらは生まれ変わった木の葉のように」を皮切りに、第二十三回公演「薔薇十字団・渋谷組」まで、息の長い活動を続けている。
 現在のメンバーは十九歳から四十四歳までの男性二人、女性七人で、喫茶店経営者、塾講師、主婦、OL、養護教諭、短大生などいろいろな人が芝居に取り組む。けいこは週二回。午後七時ごろから始まり、発声、柔軟体操の基礎訓練など決められたメニューを消化。公演が近付くと、熱の入った通 し稽古が連日、夜遅くまで続けられる。
 活動の拠点となっている「演研芝居小屋」は稽古場を兼ねた小劇場で、平成元年三月に建築後四十年経った民家を改造した。一階は吹き抜けの舞台とひな段状に五十人収容する客席、二階は下が満員の時に客席に早変わりする衣装部屋。地下にはストーブが置かれ、冬の稽古場を足下から暖める。
 今回上演した「薔薇十字団・渋谷組」は、観客動員数も八回で四百人を超える盛況だった。
 「効果 照明など与えられた 持ち場を通して、スタッフ全員が芝居に参加し、自己を表現していく」(片寄代表)の言葉通 り、小劇場のライブ感覚の芝居を目指す劇団・演研。来春の公演に向けて、地道なけいこの積み重ねが続く。(帯広・報道部 打田達也)

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