上演にあたって
劇団演研代表 片寄 晴則
芝居というのは、決してカッコイイものなどではなく、他人には見せたくない自分の内側とか生きざまをさらけ出さねば成り立たない、むしろ、カッコワルイものだと思っています。(私はそれを精神のストリップだといっていますが…)しかし今、巷には、何とカッコイイだけの芝居が溢れていることか。集団創立のスローガンとして
『活発な日常活動を持続する事により、地域に根ざした創造活動を!』
を掲げ、一切の華やかさとは無縁に、帯広の地で、自分達の拠点の小さな空間にこだわっている私達劇団演研です。そしてそのこだわりこそが、我々の表現上の最大のオリジナリティだと思っています。そんな遅々たる十数年の歩みの中でも、道内各地に少しずつ人脈もでき、交流が進む中で、公演のお誘いをいただく様になりました。そして今回、九一年の釧路公演以来、三年ぶり二度目の釧路、札幌での出立て公演になりました。
前述のとおり、空間へのこだわりが強い私達としては、本拠地「演研芝居小屋」の空間を含めたところで芝居を観ていただきたい、そうでなければ勝負にならんというのが本音ではありますが、しかし与えられたこの機会。我々のカッコワルイ芝居がどう受け止められるか、挑戦してみたいと思っています。
在団十年になる上村裕子と富永浩至が全力でぶつかり合い、それを若いスタッフ達が支えます。我々の芝居にかける姿勢を感じ取って頂けると幸いです。ご高覧のうえ厳しい批評を御寄せ下さい。それをたたき台として、実際に芝居を続ける事の難しさ、芝居作りの問題点、方法論などじっくり考え、また、地元で芝居にかかわる人達とも話し合い、交流の輪を広げ深めてゆきたいと思っています。
最後になりましたが、スタッフ力のない私達のため、より拠点に近い空間を創りあげるべく御尽力下さった現地スタッフの皆様、各劇団関係者の皆様、そして本日お越し下さった観客の皆様に心より感謝申し上げます。
つ ぶ や き
上村 裕子
「のんびり暮らしたい」と思う時がある。時間に追われることなく、大好きな猫と日向ぼっこしたい。けれどたまたまそんな日が続くと夜が怖くなる。眠れない…。何かをしなくちゃいけないと、妙
な焦りがでてくる。
二十代の頃の自分は、もっと希望を感じていたように思う。今、希望や夢がないわけではないのに、大人になり切れない自分を、時々投げ出したくなる。今だからできる事や、分かる事がたくさんあって、納得もしているのに。
芝居を続ける事は、私にとって『アイデンティティ探し』です。自分らしく舞台に存在できたら、そして、私たち演研の団結力を見てもらえたら、それで満足です。
富永 浩至
前回の「薔薇十字団」の帯広公演のパンフにこの様な文章を書いた。
『演研に入団して、九年という歳月が経とうとしている。思えば、大学時代にこの集団と関わりを持ってから、より一層芝居にのめり込んでいった。いろいろな出会いもあった。そんな中で、旭川の劇団「河」の内藤氏がいった言葉がとても印象に残っている。「何ごとも、十年続けてみないと分からない。結論を出すのは、十年やってみてからでも遅くは無い」 (中略)
…あの頃のエネルギーだけは失わないようにしたい。そして、十年を迎える時に、悔いのない結論を出したいものであ る。』
そして、今年十年を迎える。あの頃描いていたような十年後にはなっていないけれど、あと十年やってみて、結論を出してもいいのではないかと今は思う。
赤羽美佳子
この台本を初めて読んだ時には通り過ぎていった言葉が、今は胸に響いてきます。次第に通
と葉子が愛おしく思えてきました。
私も葉子のように『身体の中で何かがめりめり裂けたって、どんな痛みが走ったって、しゃがみこんだりしない…』と言いたい。しゃがみこんでしまっても、また立ち上がって歩きつづけたいと思います。
本日はご来場いただき、ありがとうございました。
山田 知子
芝居が好きか、と問われれば、間違いなく私は、好きだと答えるだろう。けれど悲しいかな、私には芝居とは何であるかが分からないのである。作家たちが描く世界を、自分達なりの解釈を加えて世間に発表する事なのだろうか。確かに「へぇ、こんなとらえ方もあるのか」「こんな世界もあるのか」と思う芝居や映画は山程ある。しかし、それが”芝居”だろうかと考えると何かが違う気がしてしまう。芝居を分からない人間が芝居をする。それじゃいけないと思うから芝居をする。
だけど正直、私は芝居が好きなのだ。 練習で石の様に硬い身体をゴキゴキならしたり、なけなしのお金で芝居を観るのが好きでたまらないのだ。翌日、筋肉痛の身体をさすりながら、或はお金の入っていない財布を見て途方に暮れながら、「アァ私ってばかね」と思うのが好きなのだ。
一昨年の「薔薇十字団・渋谷組」帯広公演の時には客席から観ていました。そして今回はスタッフとしてこの芝居にかかわっています。
この度は御来場頂き誠に有り難う御座います。
福崎 米蔵
僕が演研に入って半年が過ぎた。その間、実にさまざまな事を、今まで見向きもしなかったものを観たり聞いたりするようになった。しかし、それが直ちに身になっているかどうかは、はなはだ疑問である。いろいろなものに触れていく中で、自分も磨かれていけばと思っているのだが…。
今回の出立て公演も、いろいろな人との出会いを楽しみにしています。皆様が会場に足を踏み入れたとき、入り口であたふたしながら、「いらっしゃいませ」と声を張り上げているのが、たぶん僕です。帰り際に僕を見かけたら、一言今日の芝居の感想などをお願いします。その一言が、芝居を続ける力になっていくと思います。では、お帰りまで十分にお楽しみ下さい。
山原 清則
喜びで顔をくしゃくしゃにしている自分。怒りで目を吊り上げ、歯ぎしりしている自分。悲しみで打ち拉がれている自分。優しさですべてを包み込もうとする自分。憎悪で何もかも破壊したい衝動に駆られている自分。こんな高まった気持ちを何らかの形で表現したい。僕が芝居に心を動かされたのは、そんな気持ちの現われかもしれない。誰でも自分なりの価値観があり、それを尺度にして、良い悪い、また好き嫌いを判断していくのだろう。自分は常にその価値観を磨いていく様にしたい、それと同時に自分の感情をはっきり表現してみたい。人によってはその表現方法はいろいろあるだろう
が、僕は芝居を通じて表現してみたい。
本日はどうもありがとうございました。同じ時間を共有できて本当に嬉しく思います。
武田 雅子
帯広の地を離れ、二度目の夏がやって来た。劇団を離れ、芝居好きの一観客として過ごしてきた私に、あの青春の日々がよみがえってきた。久しぶりに劇団員にもどった私には、現役で活動を続ける仲間達が眩しく輝く。
二十年の歴史の中で、初めての札幌公演。今日の舞台は、今まで演研を支えて きてくれた先輩達や協力をしてくれた周りの人達の存在なしではありえない。今は、お客様にどう感じていただけるか、そして私自身祭りの後にどんな寂しさがおそってくるのか、それだけが気掛かり
です。
内山 裕子
札幌に越してきて3カ月が経ち、ちょっと焦りの日々です。帯広に初めて住み、もう二度と芝居は出来ないかもしれないと思った時がよみがえります。でも、結局は芝居を愛する大事な仲間にめぐり合えました。今回、初めて札幌公演にあたり、日々の稽古に参加出来ない私に一体何が出来るか不安ですが、その反面期待もしています。自分も葉子と通の怒りや哀しみや愛を、少しだけ離れた立場で、きっと感じることができると。
自分のやりたいことが分かっていたら何処に居たって同じだよね。
私の、あなたの、そして私達の、Show must go on!