上演にあたって
片寄 晴則
創立20周年の節目の今年は、とにかく 我武者羅に走りつづけてみようというコ
ンセプトのもと、やっと4本目の公演まで漕ぎつけました。
“活発な日常活動を持続することにより地域に根ざした創造活動を!”
をスローガンに、我々の集団が産声をあげて以来20年。夢中で好きな事を続けさせていただいて来た一年一年の積み重ねなので、あっという間、というのが正直なところでしょうか。
4月の「朝に死す」以来「思い出せない夢のいくつか」「この子たちの夏」と続き、団員一同、少々バテ気味ですが
、本年の最後を飾るこの作品は、久し振りに楽しく観ていただけるものにと、張り切っております。
登場人物一人ひとりの多様な人間模様が描かれていますが、そのどれもがゲームなどではなく真剣であり、その人間の生き様そのものなのだと思います。真剣ゆえに、人を愛するその姿が時に可笑しく、時に哀しく、お客様に伝わるといいのですが…。
今回、客演して下さった青砥さん、そして彼を快く送り出してくれた劇団夢幻の皆さんに心からの感謝をこめて、楽しくも心に残る舞台を目指しています。
つ ぶ や き
内山 裕子
峠を下り、海原の様な畑にまっすぐな一列の防風林を見る時、ああ、帰ってきたのだとそう思う。
あの震災で10年近くも住んだ家がくずれがれきで道がなくなった所をいくと、倒れている電柱、ぶら下がった電線、ばらまかれたままのたんすの中身…。
自分や人間というものが一体、何が出来るのか、何をしてきたのか。どうして私は今、ここに、いるのだろうか。帯広にも、神戸にも私には帰る家がない。だけど私はひとに、仲間の所へ帰る。帰ってくることが出来る。
そして今、20周年という節目の年に演研の舞台に立てるという事は本当に幸せな事です。
いろんな歳のいろんな人達と一つのものを創り上げる。板の上にいる者、舞台を支えるスタッフ、毎日の稽古を見守り協力してくれるパートナーや家族。そして見つめて下さるお客様。すべてがあって、やっと一つのもの。
例えどんな形でも芝居にこれからもかかわって生きていきたい。「ひとでありつづけるために」…
本日はご来場いただきましてありがとうございました。
富永 浩至
最近パソコン通信(最近話題のインターネットではない)なるものを始めた。演劇の会議室があり、そこでいろんな人が舞台を観てどうだったとか、自分たちはこのような活動をしている等、種々様々な情報を書き込んでいる。いきなり世界が開けたという感じである。自己紹介などを書き込むと、それに対してコメントがついてくる。何だかとても嬉しいのである。結局マルチメディアだなんだといっても、人と人とのコミュニケーションが面
白いって事だと思うのである。
芝居の醍醐味もそこにある。ホンの中の登場人物と、劇団員同志で、そしてもちろん御客様とのコミュニケーション。主宰の片寄がいつも言っている。「人間が好きだから、芝居を続けている」と。
これからも様々な人とのふれあいを大切にしながら、活動を続けていきたい。30周年にむけて。
上村 裕子
今年は、20周年だから「突っ走る、突っ走ろう」と言いながら、いよいよラスト4本目となりました。 いろんな年のいろんな人達と一つのものを創り上げる。板の上にいる者、舞台
を支えるスタッフ、毎日の稽古を見守り協力してくれるパートナーや家族。そして見つめて下さるお客様。すべてがあって、やっと一つのもの。
季節も変わり、改めて今年の活動を振り返ると、たくさんの大切な仲間達と芝居づくりが出来て幸福な年だとつくづく思います。いい作品と出会い、仲間達と創りあげていく、そのエネルギーこそが私の原動力です。
さて、今回は久々にたくさんの人間が舞台にあがります。何だか妙に華やいで 楽しい稽古を繰り返しています。 それぞれの人間模様を見て頂ければ…、と思います。
例えどんな形でも芝居にこれからもかかわって生きていきたい。「ひとでありつづけるために」…
本日はご来場下さいましてありがとうございました。
老いらくの恋
佐久間 孝
なんでも、物質が存在するには素材・エネルギー・時間・空間が必要とのこと。─だが、オレはモノじゃないぞ(ちなみにノモはスーパー・大リーガー)ハートを持った、血も涙も出る人間なんだぞ
と。ウソもつけば、ダジャレも言う、もちろん恋だってする… チョット待て、もう恋なんかしない だろう、いや、できないでしょう、もはやこの年齢(後厄なんですよ私)となって
はネ。
ところが、ギッチョンできるんですね。これが、だから芝居は面白い。ふと、幾つもの恋?とやらが想起される… あの微苦さ、胸キュンのこの苦しさ、届かぬその悲しさ、虚しさときめきほんのりサクラ色、愛しさと切なさと心強さのオンパレード…あの人、この人エトセトラ、時空を超えてやってきた─
実に9年振りであり、芝居小屋は初舞台である。ここにこうして、愛だの恋だのと他愛無い中年に、モノのじゃなくて人となりをつぶやかせてくれる、お客様と周辺の人たち、そしてこの小屋に感謝。
そして、劇団演研はこの11月に二十歳 (はたち)を迎える。まさに、青春まっただ中である。 合掌
赤羽 美佳子
食欲の秋とはよく言ったもので、最近よく食べる。
私の父はとても料理上手で、煮物やシチュー等を沢山作っていた。本来少食の私に、「なんだ、もう食べないのか」とがっかりすることが多かった。昨年この食欲があれば、父を喜ばすことができたのに。もうすぐ一周忌である。
父は後半よく私をほめてくれた。朝9時前に起きた(午後からの勤務が多いため)と言っては喜び、通
信教育の大学で教育実習が終わったと言っては喜んでいた。ほんの少しのことで喜ばすことがで
できたのにと思うと悲しい。
私の恋愛に関して10年程前までは、「まだ早すぎる」と言っていた。後半は、私の子供を見るまでは死ねないと口癖のように言っていた。私は「一生死ねないかも」と軽く答えていた。最近すっかり拝啓ご無沙汰しましたが…である。
さて今回の『恋愛日記』は、昔から演りたかった作品である。せめて舞台の上で、一途に思いをぶつけて恋愛したい。
山田 知子
─人間は昔、両性具有だった。それが男女別々の個体となり、自分の半身を探 さねばならなくなった。─私の大好きな逸話である。もし本当なら、自分の半身と出逢った時、何か合図があるといい。気がつかなかったらどうすれば良いのだろう。たまに、そんな事を考えたりする。
私の初舞台『朝に死す』は、新人二人での公演で、ひたすらやっていた感じがします。今回は先輩達と同じ舞台…。兎に角もうやるしかない。頑張ります。
外山 みゆき
周りが大人ばかりの毎日を送ると、いつの間にかポツンと、孤立している時がある。社会というものを知りながらやっぱり何処か染まるのを嫌がる所が私にはあって、今は何だか社会人らしからぬ社会人になってしまっている。
公演間近になると、生活の中心が移るのだから大変。それ以前からも移ってはいるのだけれども、もっと移るのだから仕事はほとんど上の空。へまばかり。「外山はぬ
けている」と言われつつ、自分の時間と戦う毎日。やりたいことだらけの今をどう過ごすか、この一年何処まで有意義か。いつもいつも大人になり切れない私を、少しだけでも大人にするのは「演研」かな、と思う。大人の皆についいかなくてはならないこの場所で、ちょっとずつ私は染められていくのです。
青砥 俊文
劇団演研、二十周年おめでとうございます。私が初めて芝居を観たのは、演研の「トイレはこちら」でした。当時私は二十二才、劇団風小僧に入団したばかりで、芝居というものが、どういうものかさっぱりわからず、ただただボー然と観ているだけ、しかし一つだけ今でも印象に残っている事は、けっして広くはない空間が、芝居が始まる事により、無限の空間を生みだす。すなわち、壁だったものが壁ではなくなり、まだその奥にもその設定された風景が見えるのではなく感じることができたのです。なんて不思議なのだろうと考え、思いつつ九年の月日が流れ、特に今年は我々「劇団夢幻」との交流もさせてもらい更には、客演として舞台を共にできるなんて!自分にとり、当劇団にとって非常にプラスになりました。この経験を生かし劇団演研さん共々、これからも永く活動していきたいと思います。