第3回 森稔文さん

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今回のゲストは、森稔文(としふみ)さんです。純粋なお客様で、毎回欠かさずうちの芝居を観にきてくれます。演研の芝居のどの辺りに魅力があるのかを聞いてみたいと思います。

 

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富永:森さんは、うちの芝居を初めて観たのは、演研芝居小屋ですか?

森さん:はい。それこそ、観始めたきっかけの話なんですが、それは駅南にあった芝居小屋の歴史と重なると思うんです。残念なことに、最初に観たのは演研さんの芝居ではなく、速水陽子さん。

富永:あー、はい、大阪から来た「幻実劇場」の。

森さん:そのポスターを街角で見かけて、それまで芝居など観たこともなかったんでけど、ちょっと話は個人的になっちゃうんだけど、その時期に自分、身体悪くして、職場から脱落したんですよ。

富永:ええ。

森さん:だけど、働かなくてはという、罪の意識があってか、職場を転々としていた時期で、厭世的っていうと大げさかもしれないが、生きている現実の世界にうんざりしていたんですよ。

富永:はい。

森さん:無意識のうちに、そうしたものから逃れられるスポットを探していたような気もするんだよね。で、たまたま街角でその速水陽子の一人芝居のポスターを見つけて、チケットは大通茶館でって書いてあったから、片寄さんのとこに来て、それで芝居小屋に行ったのが最初なんです。

富永:なるほど。

森さん:芝居の内容は、ほとんど内容は忘れているんですけど。

富永:はい。私も忘れています。(笑い)


(※片寄談:森さんは浅川マキが好きで、その一人芝居のタイトルが「ふしあわせという名の猫」という浅川マキの曲と同じタイトルだったので、浅川マキと関係があると思って来たんです。)


森さん ポスターの感じが浅川マキのレコードジャケットと似た雰囲気だったんで気になったんだよね。芝居の内容は忘れてしまったんだけど、あの演研芝居小屋のなんて言うか、真っ暗い空間だよね。現実のざわざわした世界とは別の世界で、現実から逃れられる空間だと思ったんだよね。で、その印象が強く残ったんです。ここに来たら、日常の雑多なことから離れられると。

富永:はい。

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※演研芝居小屋。1990年から2001年に取り壊されるまで、芝居はもちろんのこと、語り、舞踏、音楽ライブ、パフォーマンスなど、様々な催し物が行われた。


森さん:それから、芝居の案内が来ると観に行くようになったんです。だから演研の芝居を初めて観たのは、「トイレはこちら」、いや「今は昔、栄養映画館」かその辺だったと思うんです。

富永:「トイレはこちら」はちょっと新しいので、「栄養映画館」だと思います。

森さん:芝居のことなどよく分からないで行ってるんだけど、そこの中にいると安心するというか、この空間に来ると自分に帰れるというか、上手く言えないんだけど。

富永:その後は、ずっと観てくれてますよね。

森さん:ええ、その後はずっと観てます。あの頃は清水邦夫の作品に力を入れてやってたじゃないですか。で、段々自分なりの見方が出来るようになってきて、でも芝居が終わった後の交流会で、大久保さん(※)なんかも毎回来ていたから顔なじみになって、大久保さんなんかは結構スゴい感想を言うんだよね。ああいう難しいこと言わなければ、芝居を観たらダメなのかなとか思ったんだけど。(笑い)


(※大久保真。帯広畜産大学の学生の時に、富永と一緒に演劇部に所属。学外公演で大通茶館を会場にして公演をしたことで、演研と交流を持つ。就職した後、道内あちこちに転勤するが、公演の度に足を運んでいる。インタビューにも登場予定です。)


富永:ええ、ええ。

森さん:そのうちに「薔薇十字団・渋谷組」だとか「楽屋」とか。短編だったけど「朝に死す」というのもありましたね。

富永:はい、はい。

森さん:その辺りを観て、清水邦夫ってスゴい人だなって思ったの。何がスゴいって、負けたところから出発してるんですよ、何に負けたかは分からないんですが。(笑い)

富永:ええ。

森さん:ちょっと大げさに言いますけど、あの頃清水邦夫の作品を観ると、背中に稲妻が走るというか、ゾクゾクする感じがありました。「朝に死す」なんかは、アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」みたいな感じがありましたよね。米蔵さんとか若い人が演じてましたけど。あれも負けたところから逃げて来る芝居でしたよね。清水邦夫さんと言うのは、全共闘世代の尻尾を引きずっているかもこの人は、って想像したりしていました。


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※「朝に死す」稽古風景。若衆公演を銘打ち、新人の福崎米蔵と山田知子の二人をキャストに。中央は演出の片寄。



富永:え、森さんは学生運動とかやっていたんですか?

森さん:いや、僕はやってない。ただね、自分は高校に行っている時に絵を描いていたんだ。 で、僕の高校でも学生運動の波が来ていて、美術部の部長が、絵の具がつくので白衣なんか着ていたんだけど、なぜかヘルメットをかぶってたんですよ。

富永:ええっー。(笑い)スゴイなあー。

森さん:そのうちカセットデッキを持ってきて、岡林信康の音楽とか聞いてましたよ。うん、そういう時代だった。その後、学生運動も下火になって行くんだけど。だから清水邦夫のそういう感じにはスゴく惹かれます。

富永:絵は高校卒業した後はやめちゃったんですか?

森さん:うん。そんな気分じゃなくなっちゃってね。

富永:どんな気分ですか。(笑い)

森さん:いや、周りには仕事しながら絵を描いている人たちや立体造形をやってる人もいたから、そういう人たちとは交流してましたよ。ま、その辺りが出発のところなんです。

富永:なるほど。

森さん:で、芝居小屋にくれば、日常の雑多なものから離れて、解放されると思ったんですよ。芝居そのものというより、開演時間になって音楽がかかっていて、暗くなっていって、闇の中でドキドキしながら待っているという快感というのが、とても自分にはしっくりきました。

富永:まあ、文化ホールとか、ああいうところとはちょっと感じが違いますからね。

森さん:そうだね。そして演研の芝居だけでなく、他の芝居も観なければと思って、文化ホールで北村想の「想稿銀河鉄道の夜」という芝居を観たんですよ。

富永:はい、はい。

森さん:それが僕には、非常につまらなかったんです。それからずっと後なんですけど、演研でやった「思い出せない夢のいくつか」の方が遥かに印象に残っています。

富永:まあ、さっきのお話でいくと、芝居小屋の雰囲気が好きだということですから、ホールでやる芝居はちょっと違うと思うというのは分かりますね。

森さん:だから、あの空間でああいう時間に浸っていたいというのが、全てだったと言ってもいいんだよね。うん。



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※「演研芝居小屋」の客席。前列は桟敷席、後列はビールのカートンを組んで客席として利用していた。中央の通路はお客さんが入ると塞がれて、終演まで出ることが出来なかった(^^;)。



富永:どうぞ、飲んで下さい。紅茶、冷めますから。

森さん:それで、話し進めていいかい。

富永:はい、いいですけど。ゆっくりいきましょう、紅茶飲みながら。(笑い)

森さん:いや、あのね。そのうちに平田オリザの作品を取り上げるようになりましたよね。あれも最初観たとき、「思い出せない夢のいくつか」かな、今まで観てきた清水邦夫の緊張感の高い作品とは違う、間をゆっくりとって、その間に何かある思いが忍び込んでくるという芝居で、そんな芝居を観たことがなかったので、新鮮だった。

富永:ええ。

森さん:そのうちに、平田さんとの交流の中で、平田さんが演研さんのために書き下ろした「隣にいても一人」。あれも最初よく分からなかったんです。不条理劇だったんですが。

富永:ああ、はい。

森さん:思い出に残っていることは、佐久間さんが交通事故で亡くなりましたよね。亡くなったことは、大きなショックだったんだけど、佐久間さんの欠けた部分をどうやっていくんだろうと思ったんです。この芝居はもう観られないのかと。

富永:ええ。

森さん:そしたら、青年団の大塚さんがやってきてくれたんです。で、それはそれで、なかなか良かったんです。いや、プロの役者になかなか良かったなんて失礼なんですが、大塚さんの風貌が、お兄さんの風貌にピッタリしたんです。富永さんも今より若かったから、大塚さんの演技は大人の雰囲気があって、とてもしっくりきたんです。これはいいなあって思って。あの作品は何度も再演をしていて、何度も観ているうちに、再演するごとにニュアンスも違ってきているでしょうし、だんだん作品が分かるようになってきたんです。



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※2003年、大通茶館での「隣にいても一人」稽古風景。前年に続き、大塚洋さん(青年団俳優)客演していただいた。



森さん:芝居小屋が無くなったのは、佐久間さんが亡くなった頃だよね。坪井さんが言ったのを覚えているんだ。「佐久間さんは、小屋まで持ってちゃったよ。」って。

富永:はい。

森さん:それでその後、大通茶館でやるようになりましたよね。それでね、一つ印象に残っているのが「飛龍伝」。年老いた全共闘の闘士の役を富永さんがやっていたの。

富永:ええ。

森さん:つかこうへいというのは、僕はあまり知らなかったんだけど、学生運動の闘士が年老いてきて、という感じがとても良く出ていた。富永さんがいるからお世辞で言うのではないんだよ。(笑い)

富永:はははは。(笑い)はい。

森さん:それも考えたら負けた後の話だよね。芝居小屋でやった「飛龍伝」は疾走感に満ちていて、それはそれで記憶に残っているんだけど、その後に大通茶館でやった「飛龍伝」。

富永:はい。神山と金田でやったやつですね。

森さん:その「飛龍伝」は、すっごくいい味を出していた、ちょっと枯れた味を出していると言うか、非常に印象に残っています。それと、茶館でも平田さんの作品を見せてもらったよね。


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※大通茶館での「飛竜伝ーみたびー」。山崎役の神山との年齢差があったため、熊田(富永)が見た夢という演出がされた。

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※第55回公演「飛龍伝」、大通茶館にて。二階に工房を作り始めていたため、大通茶館最後の公演となった。金田恵美と富永浩至。



富永:はい、「夫婦善哉」と先ほど話が出た大塚さんの「隣にいても一人」、ああ、あと「忠臣蔵」もやってますね。

森さん:ああ、あのね、「忠臣蔵」は違うバージョンでもやりましたよね。

富永:「保育士編」ですね。

森さん:あれは、正直言って自分にはつまらなかった。あれは良かったですね、あの大杉栄と伊藤野枝の「走りながら眠れ」。白いスーツ着て、麻の。

富永:ええ、洋行帰りですからね。

森さん:知識人のダンディな感じで。あれも面白かった。あれも何回も再演してますよね。

富永:はい。

森さん:大杉栄って人は、なんか一種の威厳と言うか、怖い感じがあってしかるべきだなって感じがした、で、坪井さんのやっていた伊藤野枝の感じは、それをほこっと受け止める優しい感じと言うか、伊藤野枝も相当な知識人なのだろうけど、あの演劇の役の中で見る限りでは非常に温かいと言うか、柔らかいというか、大杉を受け止めていく、安らぎが出てくるいい味を出していた。「走りながら眠れ」も印象に残ってますね。

富永:はい。

森さん:やっぱり何度も再演をしている作品があるでしょ。で、再演するたびに、進歩すると言うか、進化しているという印象を受けます。まあ観ている自分の方も感性が少し研ぎすまされるのかもしれないけど。だから再演をしていくというのは、非常に意味のあることだと思う。再演するという案内が着たら、これ一度観たやつだとは思えない、どういう風に変わるのだろうって、ある種の期待を持って観に来るようになりました。

富永:はい。何か今後の演研に期待することとかありますか?

森さん:ええとね。二つあるんですけど。一つはね。岸田國士の芝居を二本くらいやりましたよね。

富永:はい。「驟雨」と「命を弄ぶ男二人」。

森さん:「驟雨」という芝居は、和服を着て、クラシックな芝居でしたが。あれは一回しかやっていないよね。

富永:ええ。

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※第6回道東小劇場演劇祭参加作品、第60回公演「驟雨」、演研・茶館工房にて。富永浩至、金田恵美、坪井志展。


森さん:ああいう芝居をもっとクラシックに徹して、戦前の、あれは上流階級の家だよね。そういう時代の感じをもっと徹底してやると、「驟雨」の隠れた主題みたいなものが出てきたんじゃないかと思うんだよね。あれは一度っきりしかやってない。だから、残念な感じが残ってますね。ああいう作品を再演していって欲しいと思います。 ああいうクラシック作品を、衣裳や言葉をもっと徹底して、そして見せて欲しい。

富永:まあ、大正時代の作品ですから、なかなかその時代の言葉を自分たちの言葉として話すのは、本当に難しいです。(笑い)

森さん:そうだろうね。まあ、僕は外部の人間だから身勝手なこといえるんだけどね。(笑い)だけどもああいうのを本気で取り組んで欲しい。で、二つ目は、実験的な試みももっとやって欲しいな。ほら、坪井さんが演出したベケットの、壷の中に入っているやつ、タイトル忘れちゃった。

富永:「芝居」ですね。

森さん:あれなんかも、よくこういう実験的なものに取り組んで見せてくれたなって思った。あと富永さんが演出した「反復かつ連続」と「あゆみ」。今現在のスピードの流れの中で演じていても、心のどこかにどすんと響いてくる演研スタイル。そういう芝居を僕は観たいなって思う。だから実験的な試みももっとやって欲しい。中には失敗することもあるだろうけど、やってみせて欲しい。今生きている自分たちの状況というのを追いかけていくと言うか、そういう芝居を観てみたいです。それと相反するんだけど、クラシックなものも観てみたい。そんなことを夢見ています。(笑い)

富永:はい。


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※1995年「思い出せない夢のいくつか」初演。作者の平田さんが観に来てくれたりなど、私たちにとっても思い出深い作品。森さん曰く「何度も再演をし、めざましく進化した作品。演研の芝居の中では一番印象に残っている」。


森さん:だから一回やって、今イチだったからと言うんじゃなく、再演することで良くなったりするのだから。観る側も前に観たときと違うなとか感じて、自分にもう一度問いかけると言うか。

富永:そうですね。やる方も変わっているかもしれないですけど、観る方も変わっていますから。

森さん:そうそう。何回か観れば、観る側も成熟して来るわけだから。そういうのが上手くかみ合って、観る側とやる側でお互いに成長していけば、素晴らしいことだと思うんだよね。極端に言ってしまえば、自分はそれに育てられたって気がするんだ。何も知らないで芝居小屋の闇を求めて、救いを求めていった段階から考えれば、演研さんの芝居を観続けて、それで僕は育てられたという気がします。ありがとうって言いたい。

富永:いえいえ、こちらこそありがとうございます。

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