今年の春に道東小劇場ネットワークの面々が釧路に集まり、これまでの演劇祭を振り返って、座談会を行いました。
その様子を毎週公開していこうと思います。
では、まず第1回目です。
参加メンバーは、写真左から松本大悟(動物園)、加藤直樹(北芸)、中村聡(動物園)、佐藤菜美(動物園)、そしてこの写真には写っていませんが、片寄晴則(演研)、森田啓子(北芸)、進行役富永浩至(演研)です。場所はジス・イズの二階をお借りしました。
では、始めます。
富永:皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。今回の演劇祭が第7回目になります。一応、一区切りということで、今日は今までのことを振り返っていたいと思います。
まずは道東小劇場ネットワークが出来た経緯から話していきたいと思いますが。
片寄:最初は・・・、北芸の「駅前通り芝居小屋」、あれが出来たのはいつでしたっけ?
加藤:19・・・86年くらいだと思うね。
片寄: そうですね。それで刺激されて、僕らも作りたいねってことで、僕らの小屋(演研芝居小屋)が出来たのは1990年です。それが出来たことで、お互いに交流が盛んになったっ て言うことです。対外的にネットワークということを言ったのは、北芸の「波止場の芝居小屋」が出来た時にやったシンポジウムだと思います。
富永:そのシンポジウムは何年ですか?
森田:えっと、多分10年くらい前だと思います。
加藤:いや、もっと前じゃないか。地震があったんだよ。その地震でかなり「駅前通り芝居小屋」がボロボロになって、大家にここまだ使えるのかって言われて探したんだよ。それで「波止場の芝居小屋」を作った。平成4年かな・・・。
森田:いや、私その頃東京にいましたから、私が帰ってきたあと、平成10年(1998年)ですね。
富永:そのシンポジウムはどういうものだったんですか?
加藤:うち(北芸)にいた大久保が言い出して、こんなのやったらどうって。
森田:倉本(聰)さんも来て、
松本:僕らも、中村も佐藤も出ました。
片寄:他にもいろいろ、札幌からも来て、
富永:ああ、北海道中から来たんですね。私は出ていませんが、その時に我々はネットワークを作っていると対外的に言ったわけですね。それが1998年ですか、でもその前から交流はありましたよね。
片寄:
北芸とうちらの付き合いは、北山樵兵さん(北芸の元代表)が帯広で「審判」をやった時に受け入れをして、あれは僕が大通茶館を開いてから3年後くらいだから1983年だと思います。その後から我々は釧路に観に行くようになった。だから「出口なし」とか観に行きましたよ。あれはどこでしたっけ、公会堂?
加藤:いや、公民館ですね。
富永:ああ。その頃から北芸と演研は交流があったんですね。
片寄:まあ、一番は大久保(学生時代から演研と交流があった)が釧路に転勤になって北芸に入ったのが大きいかな。その前、北芸が最初に観に来てくれたのは「かごの鳥」(1987年、大通茶館で公演)ですね。
富永:釧路と帯広とは昔から交流があって、北見とは、動物園が帯広に演研の芝居を観に来たのがきっかけですね。その頃は劇団が出来たばかりだったの?
松本:1988年ですね。立ち上げたのは。
中村:「かごの鳥」をもし観ていれば、うちらも同じ時期に交流が出来たんですけど、観られなくて。
富永:え、帯広まで観に来たの?それはどこで情報を知ったの?
中村:いや、バイクで帯広に遊びに来たら、たまたまポスターが張ってあって、大通茶館へ行ったらもう終わりましたと。(笑)それで我々が初めて観たのが、芝居小屋でやった「栄養映画館」です。
片寄:それは「演研芝居小屋」が出来た年だから、1990年だね。
富永:「かごの鳥」のあとも大通茶館で公演はやってるけど、観に来なかったのは?
中村:それは情報が入ってこなかったからです。
松本:それで、初めは僕が一人で来たんですが、大通茶館でやっていると思って行ったんです。そうしたら村上さん(演研の創立メンバー)が出てきてが、ここじゃないよって言って、「演研芝居小屋」の場所を教えてくれたんです。
富永:え?それは、どこでやっているかを知らずに観に来たんだ。
中村:いや、僕が最初に来た時に大通茶館でやっていたから、そこに行けと言ったんです。
富永:ああ、でもどこでやっているのか分からずによく来たね(笑)。
松本:
そう、それで教わった通りに行って「芝居小屋」の戸を開けたら、裸で立っている富永さんがいて(笑)、リハーサル中だったんです。で、ワーすごいところ来ちゃたなと思ったら、あと何分かしたら本番だからって言われて、一旦外に出て、それから本番を観たんです。で、その当時僕、あんまり分かってなくて、もう
一回観る時は一旦外に出て、チケット買ってから観るってことが分からなくて、観たあと放心状態でずっと客席にいたんです。それで、ぼくがなかなか帰らないから、取りあえずカレーでも食うかいって言われて、カレー食べて、そのまま二回目も観て、帰ってきたんです。
富永:ああ、二回目はただで観たんだ。(笑)
松本:はい。(笑)そして、次の週にみんなを連れて観に来たんです。
富永:僕が記憶にあるのは、打ち上げで高校生ですって自己紹介した人がいたこと。あれは次の週だったんだ。
中村:そうですね。
加藤:それは、裸って言うのは?
富永:「栄養映画館」っていう芝居で、席を取るために自分の服を脱いで行くっていう芝居なんですよ(笑)。
中村:その時は芝居小屋が出来たばっかりだったって事は、北芸さんは、まだ帯広では公演をやってなかったんですね。
片寄:その次の年じゃない?北芸が公演をしたのは。
加藤:「メリーさんの羊」をやった。
片寄:それで、その次の年に僕らが「ラブレターズ」で釧路へ行きました。
富永:だから90年に「演研芝居小屋」が出来たあたりで、帯広絡みで三つの劇団がリンクしたんですね。
中村:我々が「東京物語」で帯広公演をやらせてもらったのが94年ですね。
富永:はい。それで道東小劇場ネットワークと言い出したのは、その先ほど出たシンポジウムからですか?
松本:
そのシンポジウムは、これからの北海道の演劇をどうしていったらいいのかという流れになって、ちゃんと鑑賞に堪えられるものをつくっていかなければならないし、交流っていうものがないよね、札幌ではお互いに観たりしないねって言った時に、何言ってるんだお前らってなったんです。
片寄:
せっかくこのように集まったんだから全道のネットワークをつくろうって話が出たから、そんなの形だけつくったってダメで、僕らはこうやってお互いの芝居を観あって交流があるところでやっている。そんなネットワークをつくると言う前に、僕たちも札幌へ芝居を観に行ってるんだから、札幌の連中も道東に観に来ることを始めないと。どんな芝居をやっているかも知らないでネットワークなんて、そんなもの冗談でないと言ったんですよ。いや、これ、シラフで言ったんだよ(笑)。
松本:道東小劇場ネットワークって言葉を使ったのは富永さんですよね。
富永:え、おれ?
松本:三劇団でやってることを外部に言う時になんかいいネーミングがないかって話した時に、道東小劇場ネットワークって言ったのは、富永さんですよ。
富永:全然記憶がないな。(笑)そうですか。
(つづく)
その様子を毎週公開していこうと思います。
では、まず第1回目です。
参加メンバーは、写真左から松本大悟(動物園)、加藤直樹(北芸)、中村聡(動物園)、佐藤菜美(動物園)、そしてこの写真には写っていませんが、片寄晴則(演研)、森田啓子(北芸)、進行役富永浩至(演研)です。場所はジス・イズの二階をお借りしました。
では、始めます。
富永:皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。今回の演劇祭が第7回目になります。一応、一区切りということで、今日は今までのことを振り返っていたいと思います。
まずは道東小劇場ネットワークが出来た経緯から話していきたいと思いますが。
片寄:最初は・・・、北芸の「駅前通り芝居小屋」、あれが出来たのはいつでしたっけ?
片寄: そうですね。それで刺激されて、僕らも作りたいねってことで、僕らの小屋(演研芝居小屋)が出来たのは1990年です。それが出来たことで、お互いに交流が盛んになったっ て言うことです。対外的にネットワークということを言ったのは、北芸の「波止場の芝居小屋」が出来た時にやったシンポジウムだと思います。