2012年7月アーカイブ

28日の稽古

かみむらです。夜になってやっと涼しい風が吹き始めました。

今夜はぐっすり眠れそうです。いえ,毎晩よく眠っていますが・・・

さて,昨夜は3回目の稽古で,台詞がぼちぼち入ってきました。

今回は食べる,飲むシーンが多いので,小道具の扱いに慣れるために次回から少しずつ小道具を出していくと演出から指示がありました。

稽古後にスタッフから「作品の土台はできているので,後は体力勝負」という感想がありました。そうなんです。体力勝負が何よりです。

次回稽古は8月1日。演劇祭まで2ヶ月となりました!!

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その小道具、どの場でどんな食器を使うか、担当の金田がまとめていました。前回の公演の時に作ったものです。

各場で使う食器を写真におさめ、配置をメモしてあります。う〜ん、すばらしい!


26日の稽古

 いや~、暑いですね!北海道では30℃超えると、活動不能になりそうなくらい暑いですう...のぐちですが、26日の稽古状況を報告します。

 前回の稽古で少しほぐれた体を更にしなやかにするために気合いを入れてのストレッチでしたが、暑さのためかちょっと動いただけで汗が噴き出しフラフラになりました...年齢を考え無理をしない方が良さそうです。

 さて、2回目の読みでしたが、本を持っていると小道具(飲んだり食べたりする場面が多い)を使えないので、早くセリフを入れねばならないところです。そして演出からは「三人の胸の内は観客が想像出来ればよい」との話がありました。微妙な三角関係の登場人物たちですが、その心の中は計り知れず、確かに想像力を掻き立てられる本なのです。

 稽古後のミーティングでK寄さんが、「オリンピックも始まるのでその期間中は寝不足との戦いである」と言っていました。そうです、K寄さんは競技をリアルタイムで観ずにはいられないオリンピックマニアなのです。世界中がオリンピックで熱く盛り上がる中、われらも熱い気持ちで稽古に臨みたいです。

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座談会その2

早いものですね、あっという間に一週間が経ちました。ふーっ。
さて早速ですが、座談会のつづきに参ります。


IMG_1631.jpg(劇団北芸、加藤直樹)


富永:それで、三劇団の交流が進む中で「演劇祭」をやるきっかけとなったのは何だったのか、自分の中ではちょっとぼやけているだけども・・・。

 

松本:オマエだよ。(笑)

 

富永:いや、オレが言い出したんじゃないかと思うんだけど。(笑)今日の座談会を開くにあたって、その年(2001年)の演研の稽古日誌を読んだんですが、僕が新年の抱負の中で「演劇祭」をやろうと提案をしているんです。で、そこに「動物園が9月に帯広でやりたいと言うので」ということが書いてあったんですよ。つまり、動物園が帯広で公演をやりたいと言っている。どうせなら三劇団で集まってやろうか?という流れになったと思うんだけども。そのへんのことは覚えてる?

 

松本:あの、かなりいろんなことが重なった年じゃないですか。小屋もそうですし・・・。

 

富永:いや、それは演劇祭をやると決まった後じゃない、大変だったのは。

 

中村:平田オリザさんのワークショップなどがあって、いろいろと学んできた頃ではあったと思います。

 

富永:ああ、そうそう。平田さんとの交流の中で、いろいろな情報が入ってきて助成金ももらえるんだということが分かってきた。で、2000年に平田さんに「隣にいても一人」を書いてもらって、その時に初めて助成金をもらったんです。

 

片寄:そもそも前から、どうせなら皆でなんかやろうって話があって、佐久間もその年の抱負で「道東小劇場フェスティバルの開催」と言っている。で、その前の年に舞台塾をやるという話があって、道の方でも市の文化スポーツ財団を通して、帯広で演劇祭が出来ないかって話を持ってきたのさ、オレのところに。

 

富永:はい、はい。

 

片寄:そういう風に言って来たんだけども、僕たちは大きなところ(劇場)では出来ないからって断った。でも、考えて下さいよということで、まあやるとすれば道東小劇場ネットワークで、小さなところなら出来るのではないかということで、最初の予定では「演研芝居小屋」で、2週にわたってやる事にしていた。

 

富永:ああ、動員の関係で、あの芝居小屋だと1週では無理ですものね。

 

片寄:最初は、行政の方から舞台塾がらみでどうだろうかと話が来たのさ。

 

富永:ああ、そうか。それで第一回目の演劇祭は北海道舞台塾の助成を受けているんですね。それは、佐久間さんがやっていたので、それで僕はあまり記憶になかったんだ。

 

加藤:舞台塾というのは、演劇人会議の流れかい?

 

片寄:いや、あれは、堀知事(当時の北海道知事)の公約で、道立劇場をつくるというのがあって、器だけつくってもダメなので、全道何ヶ所かでそういう事業をやって、盛り上げようという話でした。

 

富永:はい、それで秋に演劇祭をやることになって、でも新年の抱負でまだ決定していないんだよね。

 

松本:そうですね、かなり急に決まった感じがありましたね。

 

片寄:まだ決めてなくて、新年会を兼ねて1月13日に集まっているんですね。北芸は都合が付かなかったのですが、動物園は中村君と菜美ちゃん(佐藤菜美)が参加しているけど、そこで演劇祭について話し合いをしたんです。

 

富永:それは覚えてる?

 

佐藤:いや、覚えてないです。(笑)

 

片寄:1月の13日に集まって話しているんです。内容については、(ファイルを出して)えっと、「日程は動物園に合わせ、9月下旬から10月上旬にする。三都市の劇団が帯広で公演を行う。イベントを行う。これはメジャーな人を呼んで、ワークショップをやってもらうなど。イベントは自分たちが楽しめることをする。」ということを決めている。

 

富永:北芸がでていないけど、北芸はもう参加するという前提なんですね。それは覚えています?

 

加藤:いや、いや、覚えていない。まあ、その時は北芸のスタンスは、そっちの方には興味を持っているから、みんながやるならやるというスタンスでした。

 

片寄:それで、2月に北海道舞台塾帯広委員会に助成金の要望書を提出してるんです。

 

富永:ということは、1月13日にはもうやるということになって、2月に助成金の申請をして、だから北芸にはこっちで決めたようにやるという確約をとっていたんですね。

 

片寄:そういう意味では、一番フットワークが軽いのは北芸ですから。(笑)

 

森田:はい。(笑)

 

片寄:一番うるさくいうのは、我々とか動物園だから、こっちはリハーサルがどうのこうのとか、なんか難しいことをいってくる。その点、北芸はやりまーすって言ったら来るから。

 

加藤:参加し始めた頃から、いや今でもそうだけど、リハーサルなんて、僕らやらなくてもいいんだよ、というスタンスだった。(笑)

 

富永:ということは、やっぱり北見が一番腰が重いでしょ。(笑)はい、いいですよってことにならないじゃない。

 

松本:これの1、2年前にはお互いに芝居観たら、いつかこういうことをやりたいねって話は出ていた。あとはこっち(お金)の問題だよねってことになっていた。

 

片寄:だからその前の年に「こころゆくまで。」をやって、あれ面白いからうちの小屋でやりなさいよってことになって、で、それに合わせて(演劇祭を)やろう。僕たちも「隣にいても一人」の再演をやろうっていうことになっていた。

 

富永:そうそう、ちょうど平田さんに書いてもらった次の年で、再演することになっていた。

 

中村:そもそも、「こころゆくまで。」の前まで2年ブランクがあって、持って来れるものがなかったんですよ。

 

富永:あー、2年間何もやってなかったんだ。

 

松本:「こころゆくまで。」に2年かかったんで。

 

富永:あ、つくるのにね。

 

松本:そうです。

 

加藤:その頃、おれたち「メリーさんの羊」かい?

 

片寄:えっと、これ(ファイル)では2月の段階では「魔女物語」になってますね、未定になってますけど。それで、事業形態は北海道舞台塾イン十勝の帯広実行委員会から公的助成をもらう、トークゲストの鐘下も9月29日30日ならOKということで内諾はもらっている。今後の進め方は、市の文化課の酒井係長と文化スポーツ振興財団の事務局との折衝は、佐久間が担当する。その時点で他の2劇団へ、鐘下の招聘と公的助成をもらうということを連絡するのは富永の担当ということになってます。

 

加藤:鐘下さんが来たということは、我々は「眠っちゃいけない」か?

 

富永:そうです。「眠っちゃいけない子守唄」をやってますね。

 

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         (今回進行役、劇団演研の富永浩至)


(つづく)



21日の稽古@演研

こんにちは、とみながです。
演劇祭のブログが始まりましたね。
他の劇団の稽古の様子などがアップされるのが、楽しみです。

さて、演研の演劇祭参加作品は「夫婦善哉」です。また、再演となりますが、皆様、どうぞお付き合い下さい。

で、本日初めての稽古でした。
初日はまずは本読みから始めました。演出からは、
セリフではなく、小道具の使い方、特に食べるシーンや飲むシーンが多いので、そこからそれぞれの感情が見えて来るように、
という指示が出ました。

今回は稽古日数もあまり取れない様なので、一回一回の稽古を大切にしていかなければと思いました。

SN3S0061.jpg稽古初日は、久しぶりに皆で「ストレッチ体操」をしました。あれ、皆こんなに身体固かったけ?とひとのを見ながら笑っていました。
いや、自分も笑われているんですけどね。

座談会その1

今年の春に道東小劇場ネットワークの面々が釧路に集まり、これまでの演劇祭を振り返って、座談会を行いました。
その様子を毎週公開していこうと思います。

では、まず第1回目です。

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参加メンバーは、写真左から松本大悟(動物園)、加藤直樹(北芸)、中村聡(動物園)、佐藤菜美(動物園)、そしてこの写真には写っていませんが、片寄晴則(演研)、森田啓子(北芸)、進行役富永浩至(演研)です。場所はジス・イズの二階をお借りしました。

では、始めます。


富永
:皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。今回の演劇祭が第7回目になります。一応、一区切りということで、今日は今までのことを振り返っていたいと思います。

 まずは道東小劇場ネットワークが出来た経緯から話していきたいと思いますが。


片寄
:最初は・・・、北芸の「駅前通り芝居小屋」、あれが出来たのはいつでしたっけ?


加藤:19・・・86年くらいだと思うね。


片寄
: そうですね。それで刺激されて、僕らも作りたいねってことで、僕らの小屋(演研芝居小屋)が出来たのは1990年です。それが出来たことで、お互いに交流が盛んになったっ て言うことです。対外的にネットワークということを言ったのは、北芸の「波止場の芝居小屋」が出来た時にやったシンポジウムだと思います。

富永:そのシンポジウムは何年ですか?

森田:えっと、多分10年くらい前だと思います。

加藤:いや、もっと前じゃないか。地震があったんだよ。その地震でかなり「駅前通り芝居小屋」がボロボロになって、大家にここまだ使えるのかって言われて探したんだよ。それで「波止場の芝居小屋」を作った。平成4年かな・・・。

森田:いや、私その頃東京にいましたから、私が帰ってきたあと、平成10年(1998年)ですね。

富永:そのシンポジウムはどういうものだったんですか?

加藤:うち(北芸)にいた大久保が言い出して、こんなのやったらどうって。

森田:倉本(聰)さんも来て、

松本:僕らも、中村も佐藤も出ました。

片寄:他にもいろいろ、札幌からも来て、

富永:ああ、北海道中から来たんですね。私は出ていませんが、その時に我々はネットワークを作っていると対外的に言ったわけですね。それが1998年ですか、でもその前から交流はありましたよね。

片寄: 北芸とうちらの付き合いは、北山樵兵さん(北芸の元代表)が帯広で「審判」をやった時に受け入れをして、あれは僕が大通茶館を開いてから3年後くらいだから1983年だと思います。その後から我々は釧路に観に行くようになった。だから「出口なし」とか観に行きましたよ。あれはどこでしたっけ、公会堂?

加藤:いや、公民館ですね。

富永:ああ。その頃から北芸と演研は交流があったんですね。

片寄:まあ、一番は大久保(学生時代から演研と交流があった)が釧路に転勤になって北芸に入ったのが大きいかな。その前、北芸が最初に観に来てくれたのは「かごの鳥」(1987年、大通茶館で公演)ですね。

富永:釧路と帯広とは昔から交流があって、北見とは、動物園が帯広に演研の芝居を観に来たのがきっかけですね。その頃は劇団が出来たばかりだったの?

松本:1988年ですね。立ち上げたのは。

中村:「かごの鳥」をもし観ていれば、うちらも同じ時期に交流が出来たんですけど、観られなくて。

富永:え、帯広まで観に来たの?それはどこで情報を知ったの?

中村:いや、バイクで帯広に遊びに来たら、たまたまポスターが張ってあって、大通茶館へ行ったらもう終わりましたと。(笑)それで我々が初めて観たのが、芝居小屋でやった「栄養映画館」です。

片寄:それは「演研芝居小屋」が出来た年だから、1990年だね。

富永:「かごの鳥」のあとも大通茶館で公演はやってるけど、観に来なかったのは?

中村:それは情報が入ってこなかったからです。

松本:それで、初めは僕が一人で来たんですが、大通茶館でやっていると思って行ったんです。そうしたら村上さん(演研の創立メンバー)が出てきてが、ここじゃないよって言って、「演研芝居小屋」の場所を教えてくれたんです。

富永:え?それは、どこでやっているかを知らずに観に来たんだ。

中村:いや、僕が最初に来た時に大通茶館でやっていたから、そこに行けと言ったんです。

富永:ああ、でもどこでやっているのか分からずによく来たね(笑)。

松本: そう、それで教わった通りに行って「芝居小屋」の戸を開けたら、裸で立っている富永さんがいて(笑)、リハーサル中だったんです。で、ワーすごいところ来ちゃたなと思ったら、あと何分かしたら本番だからって言われて、一旦外に出て、それから本番を観たんです。で、その当時僕、あんまり分かってなくて、もう 一回観る時は一旦外に出て、チケット買ってから観るってことが分からなくて、観たあと放心状態でずっと客席にいたんです。それで、ぼくがなかなか帰らないから、取りあえずカレーでも食うかいって言われて、カレー食べて、そのまま二回目も観て、帰ってきたんです。

富永:ああ、二回目はただで観たんだ。(笑)

松本:はい。(笑)そして、次の週にみんなを連れて観に来たんです。

富永:僕が記憶にあるのは、打ち上げで高校生ですって自己紹介した人がいたこと。あれは次の週だったんだ。

中村:そうですね。

加藤
:それは、裸って言うのは?

富永:「栄養映画館」っていう芝居で、席を取るために自分の服を脱いで行くっていう芝居なんですよ(笑)。

中村:その時は芝居小屋が出来たばっかりだったって事は、北芸さんは、まだ帯広では公演をやってなかったんですね。

片寄:その次の年じゃない?北芸が公演をしたのは。

加藤:「メリーさんの羊」をやった。

片寄:それで、その次の年に僕らが「ラブレターズ」で釧路へ行きました。

富永:だから90年に「演研芝居小屋」が出来たあたりで、帯広絡みで三つの劇団がリンクしたんですね。

中村:我々が「東京物語」で帯広公演をやらせてもらったのが94年ですね。

富永:はい。それで道東小劇場ネットワークと言い出したのは、その先ほど出たシンポジウムからですか?

松本: そのシンポジウムは、これからの北海道の演劇をどうしていったらいいのかという流れになって、ちゃんと鑑賞に堪えられるものをつくっていかなければならないし、交流っていうものがないよね、札幌ではお互いに観たりしないねって言った時に、何言ってるんだお前らってなったんです。

片寄: せっかくこのように集まったんだから全道のネットワークをつくろうって話が出たから、そんなの形だけつくったってダメで、僕らはこうやってお互いの芝居を観あって交流があるところでやっている。そんなネットワークをつくると言う前に、僕たちも札幌へ芝居を観に行ってるんだから、札幌の連中も道東に観に来ることを始めないと。どんな芝居をやっているかも知らないでネットワークなんて、そんなもの冗談でないと言ったんですよ。いや、これ、シラフで言ったんだよ(笑)。

松本:道東小劇場ネットワークって言葉を使ったのは富永さんですよね。

富永:え、おれ?

松本:三劇団でやってることを外部に言う時になんかいいネーミングがないかって話した時に、道東小劇場ネットワークって言ったのは、富永さんですよ。

富永:全然記憶がないな。(笑)そうですか。

(つづく)


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