今回は第3回の続きです。
こちら、波止場の芝居小屋。雰囲気のある良い小屋でした。
第3回演劇祭のつづき
富永:そうですね、北芸の芝居は超満員でした。
片寄:俺たちは、入り口のところで観ていて、宇佐見が北芸の芝居を初めて観たんだけど、観てね、泣くのよ。
松本:俺も前で観てましたけど、泣きましたね。
富永:あれね、あの時木野さんは付き人の女の人と2人で観てたんですよ。僕は、2人を客席に案内して、すぐ近くで観てたんですが、芝居が始まって、加藤先生が出てきて、ニット帽をかぶっていたんですが、それを脱いだ時に、髪の毛がペシャってなっていて、それが何ともいえない、なんて言ったらいいのかな、演じているのではなくて、いや、その人がそこにいるんだって気がして、とても衝撃的だったんです。その時、ふっと木野さんを見たら、ビックリした顔をして、隣の女の人に「これ、すごいね」って耳打ちしていたんですよ。
森田:座ってね、ゴザに座って佇まいを直すところですね。
加藤:ああ、木野花、言っていたね、アフタートークの時に。帽子を脱いで、こうして手で髪をなでた時の、何もしなくても、それだけでいればいいんじゃないかって。
富永:とても生活感があって、リアルだったんですよ。
加藤:それは、桐谷さん(黒テントの女優)も言ってたよ。「加藤さんって、全く生活感がない人かと思って芝居を観ていたら、全然違うのにビックリした」ってことを桐谷さんが言ってた。あの後、夜遅くに行ったんだよ、黒テントの打ち上げに。
富永:ああ、そうですか。
加藤:その時に、そんなこと言ってたよ。でも、まあ、喜んでもらえたというのは、何よりだね。
富永:いや、木野花、大絶賛でしたからね。
片寄:あれは、今まで観た北芸の芝居の中で、一番ですね。「この道はいつか来た道」の中でも、あの時の舞台は最高でしたね。一番泣いたね。
松本:いろんな魔法がかかりましたよ。本当に泣いたね、ボロボロ。(笑)
片寄:あれを観た時に、これで東京へ行っても大丈夫だなって思った。道東小劇場演劇祭として、恥ずかしくないものをみせられるって。
松本:木野花のアフタートークも面白かったですよね。やっぱり見せる、聞かせる、でね。
富永:そうですよね。木野花は、この演劇祭を皆にみせたいって言って、本当に東京公演に来たからね。チケットも売ってくれたし。でも、演研の芝居は来なかったけど。(笑)
松本:演研、来なかったですか?うちの芝居も来てくれましたよ。
片寄:うちだけ来なかった。平田オリザの芝居があまり好きじゃないんだよ。
富永:でも、アフタートークの時には、いい評価でしたよ。この芝居、見終わったお客さんが家に帰って、夫婦って何だろうかって考えさせる、そういう小憎たらしい芝居なんだよねって。(笑)
松本:うちらは初め台本読んだ時に、どうするの、この本をって。
富永:本が破綻しているって言ってたね。
松本:それを動物園スタイルでやって、なんとか観られたけど、腹立つわ、あんたたちって言われた。
加藤:あの時も作家の人も来たのかい?
富永:あれは、東京公演ですね。
松本: 東京公演の時に、僕らのアフタートークは松本さん(松本修)だったんですよ。松本さん厳しいこと言うから、前もって会場に作者がいるからって言っておいた 方がいいんじゃないかって、富永さんに助言もらったんで、言ったら、「聞いててよかった!本のことクソミソに言おうと思ったのに」って。
富永:あ、そう。(笑)
松本:「いや、良かった良かった。」で、急遽、動物園のことをクソミソに言いました。(笑)
富永:いや、あのアフタートークはちょっとね、動物園対松本修って感じで、客席を無視してダメだしをしていたよね。(笑)小さな声で「ここはこうした方が良いよ」とか言って、お客さんから聞こえませんって言われた。(笑)
加藤:あれは、東京でやった時は、装置とかは大変だったの?
佐藤:いや、極力減らしましたね。
松本:畳も用意してもらって。
富永:そうそう青年団で用意してくれて、ちゃんと包丁を刺すところも決めてあったんでしょう。ここだけしか刺さりませんよって。
松本:そうです。
富永:東京は3日間でしたね。1日3本ずつ、順番をかえて3日間。
松本:3日もやりましたっけ。
富永:3日やったね。1日目のゲストが鐘下辰男、2日目が松本修、3日目が平田オリザ。
加藤:鐘下さんの時のあれは、電信柱の話ばっかりしてたね。
富永:鐘下は1回目の時と違って、1回目の時はあんなに台本に付箋をつけていたのに、行き当たりばったりトークだったね。(笑)
(※北芸の使っている電信柱は、道に落ちているのを拾ってきたもので、リヤーカーで運んだという話題で盛り上がった。)
片寄:東京公演はトークということでは、あまり印象がなかったね。僕らの時は、平田さんは自分の本だからあまりそういう話も出来なくて。
富永:演劇祭全般の話になりましたよね。
松本:僕らが嬉しかったのは、ひらたよーこさんが観てくれて、褒めてくれたことですね。よーこさんが「彼らは野獣だね」って言って。(笑)決して褒められた感じはしなかったんですが、嬉しかった。
加藤:初めて北海道新聞の加藤さん(加藤浩嗣記者)が、僕らの芝居を観てくれた。
松本:え、そうでしたか。
加藤:そう。それで「私のベストワン」で、東京で観たものを書いてくれたんだよ。
富永:あの時は、ずっとついてくれて取材して、大きく記事にしてくれましたよね。
加藤:それから、観てくれるようになった。それまでは北芸を観ていなかったし、私も加藤さんのこと知らなかったんだよ。
片寄:加藤さん、打ち上げで酔いつぶれて帰ったんだけど、外で寝てて大変だったよ。
富永:は、ははは。(笑)
片寄:東京公演も三日間で、四日泊まったわけでしょう。みんな交代で、一日は必ずアゴラの上で泊まったでしょう、順番で。
松本:はい、はい、そうでした。
中村:あれ、何月でしたっけ?
片寄:10月。
中村:湿度がすごく高くって。Tシャツが稽古でグショグショになって、本番の時までに乾かなかった。これが東京の湿度かって思った。
加藤:あの時にハーモニカを吹いたのが、三橋って言う作曲家なんだけど、釧路で吹いてもらって、東京に行かないかって言ったら、行くって言うから、吹いてもらった。アゴラでは、どこで吹くかって考えたんだよ。
富永:ああ、そう、舞台の上のギャラリーのようなところで吹きましたよね。
加藤:青年団の人に、あそこの上で吹いていて、違和感がありそうなんだけど、なんか成立していたって、言われたのが印象にあるね。
松本:お祭りでしたね、第三回も。
片寄:第三回はその後もあったでしょう。年明けてから。
松本:え、
片寄:阿寒へ行ったでしょう。
松本:あー、あー。
片寄:打ち上げと反省会、そして今後どうするか、話し合いをしましょうって。
松本:あ、そっか。
富永:そしてうちの団員が大喧嘩をしてね、誰か忘れたけど。(笑)
(つづく)
演研のアフタートークは、平田さんの司会で三劇団の代表が舞台に。平田さんは「東京だけが演劇の中心ではないと観客に知ってもらうことは、東京で劇場を経営する人間の社会的役割だ」と言って、道東小劇場演劇祭inアゴラを締めくくってくれました。