さて、座談会の方も、熱いトークが繰り広げられています。では、どうぞ!
ヤルタ、開演の準備中です。
第4回道東小劇場演劇祭について
富永:それでは、第4回に行きましょう。4回目は、会場をまた帯広に移しました。毎年やるのは、これで最後でした。で、その前の年に青年団が「団祭り」というのをやっていて、「ヤルタ会談」という芝居をやっていたので、あれ、「団祭り」でしたよね。
片寄:「団祭り」だったかは知らないけど、東京公演をした時に、盛り上がって「来て下さいよ」って言っていた。
富永:その時に来てもらうように話したんですね。
加藤:北芸は何やったんだっけ?
片寄:北芸は「受付」ですよ。「受付」と「走りながら眠れ」と「東京物語」。
富永:青年団の幕別公演が続いていたので、その時に会場を、平田さんと岩城さん(岩城保氏、青年団の照明担当)と杉山さん(杉山至氏、青年団の舞台美術担当)で一回会場を見てもらったんです。
加藤:青年団が「波止場の芝居小屋」でやったのはいつのことになるんだ?
富永:あれはその前じゃないですか?
加藤:東京へ行く前か。
富永:多分そうだったと思います。あれですよね、「暗愚小伝」。
加藤:あの時、装置の杉山さんがこの小屋でやるって、随分張り切ったらしいよ。
恒例となったアフタートークはヤルタ俳優陣がでてくれました。
松本:4回目で一旦ストップということでしたね。
片寄:そう、それから3年空いたからね。
松本:僕らは最後に「東京物語」をやろうと決めていたんですね。考えてみれば、1回目から4回目まで、うちの中村はずっと出ていたんで。
富永:ああ、そうか。
松本:頑張ってもらって。ものすごく、あの役(「東京物語」のオリーブ、オカマの役)が嫌だったので。
富永:ああ、そう。
松本:戻れないんで、あの役に入ったら。普段から、こういう感じになっちゃう。何が嫌だって、松本君に唇を奪われるのが一番嫌だったみたいです。
富永:意外と良いのにね。(笑)
松本:そのくせ、そのシーンになったら、口を半開きにして待ってますからね。(笑)
富永:は、は、は。(大笑)
松本:おお、俺はその口に突入しなきゃならんのかって。
中村:申し訳ないね。
松本:こっちこそ覚悟がいりましたよ。忘れられない。(笑)
富永:お互いにね。(笑)
片寄:4回目の打ち上げは、あそこの会場でやって、それから大通茶館の上でもやったものね。
富永:4回目からでしたっけ、あそこの会場で打ち上げしたのは。
片寄:違う違う、2回目から。1回目の時にお客さんが参加したそうだったので、2回目から会費を500円もらって、ビールとか出して交流会をやった。だから演劇祭の1日目にやった。2日目は、終わったあと、会場を片付けなければならないから。
佐藤:4回目は、ヤルタ会談の島田さんとお話しする時間があったんですが、「皆さん、お仕事しながらやっているんですよね」って、「普段は会社員とか、お勤めなんですよね」「そうです」「いや、僕たちプロなのに恥ずかしいな。皆さん凄い」って、言われた記憶があります。「仕事じゃないのに、こういうことをやれるのは、本当に凄い」って、言われたのが印象的です。
加藤:ある意味では、アマチュアでやっている方が、有利だっていうのがあるんだよね。
富永:まあ、制約がないですからね。プロだとここの劇場を押さえて、その期限までに何とかつくっちゃわなければならない。
加藤:それから、生活するのに苦労することがない。
片寄:一番贅沢にちゃんと、根本的に芝居に向き合える。プロというのは向き合っても、仕事にもなっているということがある。
加藤:そういう意味では、アマチュアにハンデがあるというのは、逆かもしれない。
片寄:大塚さんによく言われたよね。皆さんが一番豊かに芝居をやっているって。
加藤:よくアマチュアで、僕らはプロじゃないんだからってという言い方で、多少いい加減でもいいんだというのがあるでしょう。それは違うんじゃないかと思う。
中村:それはこの3劇団が共通して思っていますよね。
片寄:僕ら、大塚さんが来た時に、アマチュアなので、芝居の向き合い方は同じつもりでいるけど、プロのようなスキルがないからって言ったら、大塚さんに「片寄さんたちをアマチュアだと思ったことはない」っていつも怒られた。「何でそういうことを言うんだ」って。
松本:それと似た様なことは、打ち上げで大塚さんに言われましたね。君らの芝居だってねって、いろいろ細かいアドバイスを受けました。根っこの部分では、プロもアマもないんだよ。
加藤:仕事だからって、厳しく向き合うこともあるかもしれないけど、逆にこれが終われば、ここと関係がないというのもある。だから同じなんだよ、対等なんだよ。
片寄:プロと名乗ると、やりたくない仕事もやらなければならない。僕らやりたくないことやらないからね。(笑)
富永:それで、当初、毎年やると各劇団の活動に支障が出ると困るから、3年に一回くらいのペースでって話があったんですが、結局4年連続でやったじゃないですか。これはどうでした?やっぱり苦しかった?
松本:大変でした、やっぱり。もちろん、やってよかった。でも、みんなのスケジュールを調整しなければならなかったし、それで出来ない本もあった。いろいろと大変でしたが、でも、やってよかったという手応えはありました。
富永:なるほど。
松本:演研さんがガンガンと引っ張っていってくれたから出来たんですよ。それでなかったらなかなか。僕らは慎重な集団なので、石橋を叩いて渡らないんで。(笑)
こちら北芸のアフタートークの様子。
そして会場での打ち上げ。
打ち上げのあと、最後まで残ってくれた皆様と、はい、集合写真です!