さて、座談会の方は第5回演劇祭の話に入りました。5回目は初めての北見での開催でしたね。
どんなお話が飛び出したでしょうか?
第5回演劇祭について
中村:第4回が2004年ですか。そして2005年と2006年が空いて、2007年が第5回ですね。
松本:5回目は思い出がいっぱいですよ、動物園は。うちのアトリエでやりましたからね。
富永:2006年に動物園でアトリエをつくって、で、アトリエが出来たから、北見でやろうって話になったんだよね。
松本:そうです。
富永:北見だけ、やってなかったからね。で、ゲストの鈴江さん(鈴江俊郎)は・・・。
片寄:動物園で、鈴江さんの芝居をやっているから、コンタクトを取れるからって。
松本:それで、中村にとってもらって。
中村:我々の演目は「赤鬼」で、北芸さんが「棲家」。
片寄:僕たちは「隣にいても一人」の龍昇バージョン。
富永:07年だから、うちらが演研・茶館工房をつくった年だよね。で、こけら落としで、「隣にいても一人」をやって。その年は、翌年の1月に全国でつくった「隣にいても一人」が集まって、「隣にいても祭り」のようなことをやるので、それでその流れで、うちは「隣にいても一人」をやるということだった。それで兄の義男役は、帯広出身の龍昇さんを客演に招きました。
松本:動物園は、気合いが入っていました。北見のお客さんに見せたかったので、演劇祭というものがどういうものか。アフタートークはどんなものかって。それで僕らは燃えていました。
富永:うん。
松本:それで実際、自分たちの舞台が「赤鬼」が真っ白な舞台で、他が黒い舞台なので、どうしたものかと考えた。その時に、あの白舞台の中に箱をつくって、黒くすればいいんじゃないかって、阿部(動物園創立メンバーで大工)の協力のもと、つくったんです。で、自分たちの公演の前にそれを取っ払ってやったんです。
富永:何で白でなくちゃダメだったの?
松本:(外を見て)雪降ってきましたね。(笑)
片寄:それは演出の問題だから。
富永:それは演出のこだわりで、譲れないところだったんだね。
松本:そうです。それと6月の「赤鬼」公演の時に出ていた役者が演劇祭は出られなくて、僕にスイッチしたんです。
佐藤:そうだっけ、もういなかったけ。
松本:すごく大変だった。そんな感じで・・・。
富永:そんな感じ。(笑)
松本:あの時もアフタートークの印象は、あまりなかったですね。
富永:あ、そう?
松本:北芸さんと演研さんは、ちゃんと話していたけど、うちらの時は、「赤鬼」という作品があまり好きじゃなかったのか、のらりくらりとかわされました。
富永:あ、そうだった?
松本:逆にもっとキツイことを言ってくれるかと思ったんですよ。「君たち、こんな作り方で何を求めているの?」って言ってくれるかと思ったけど、そこにも触って来なかった。
富永:いや、まあ、それはさあ、遠慮があるよね。
松本:遠慮なしで来てくれるかと思ったんですよ。どこかの演劇祭で鈴江さんの作品をやった時に、アフタートークによばれて、これは違うって言って、ものすごくこき下ろしたというのを聞いていたから。それがあるかと思った。
富永:うん、うん。
松本:で、それを観た後でうちに作品を書き下ろしてくれましたから。鈴江さんもどうやって書いたらいいんだろうって、思ったんだよね、きっと。(笑)
片寄:鈴江さんの時も、平田さんの本についてだった。僕たちは本のことしか言われない。
松本:やっぱり作家さんなんでしょうね、鈴江さん。
北芸は太田省吾作「棲家(すみか)」でした。
2日目朝早くから北芸の仕込みに入りました。
北芸のアフタートークの様子。
加藤:あの時はあれだな、僕ら自分たちの芝居をあまり満足していなかったんだけど、「歳をとった人がこれだけやっているのは凄い」って言われたね。
富永:そうですね。京都では、ある程度歳になると、それで食えるか食えないかを見切りつけて、やめちゃうから、あまり歳の人はいないって言ってましたね。
松本:京都の演劇事情を話していましたね。若い連中は売れてなんぼだって。こういう特殊な空間に来るお客さんも凄いし、この歳までやられているもの凄いって言ってましたね。
加藤:いや、ただそういうことしか言われなかった気がする。
富永:いやいや、そんなことないでしょう(笑)。
松本:(笑)違いますよ、そこに感動したんですよ。
加藤:そんなこと関係ないんじゃないかと思うけど。
片寄:いや、終わってから、鈴江さん、自分のブログに書いてあったのを見たら、たいそう演劇祭で感動したって書いてあった。あ、そうだったんだって思ったね。
松本:そうでしたね。この空間にまた来たいって。
片寄:この空気をみんなに味あわせたいって、熱く書いてあったよね。
(つづく)