さて、座談会の方は第6回の話に入りました。
演研は岸田國士作「驟雨」を上演
アフタートーク、ゲストは青森から畑澤聖悟氏に来ていただきました。
第6回演劇祭について
松本:そして、6回目と言ったら畑澤さんのアフタートークでしたね。
富永:なんとなく流れとして、鈴江さんが京都だったこともあり、東京ではないところで頑張っている人を呼ぼうという流れだった、僕の中では。じゃあ、青森で頑張っている畑澤さんに来て欲しいと思った。
片寄:第6回は、工房でやるのが初めてで、それぞれ舞台が違った。北芸さんは、電柱を立てて、雪を降らした。あと、パンチをバックヤードの方まで敷いていた。うちの時は、それをはがして、パネルを立ててと場面転換が結構大変だった。
松本:そうでした、そうでした。
富永:北芸さんは「この道はいつか来た道」をやりましたね。
森田:韓国でやった年ですね。
加藤:ああ、韓国の帰りっていうか、韓国の後だったか。
松本:畑澤さんはいいアフタートークでしたね。
片寄:6回目は一番印象にあるのは、畑澤さんですね。帯広に来て、うちの工房を見た瞬間に、「すごく良い。ここでやりたい!」って言ってくれた。あの人もすぐ泣く人でね、最後に打ち上げで泣いて帰った。(笑)
富永:そうですか。
片寄:その後に、うちで公演した時(翌2010年に「みなぎる血潮はらっせらー」帯広公演)も泣いて帰った。(笑)
松本:演劇祭をずいぶん評価してくれましたね。畑澤さんの言葉で印象的だったのは、大都市に行ってやる意味ということ。つまり作品の質が高いってことを、東京公演をすることで、自分たちはこのレベルを維持しているってことを見せているって、言っていました。そんな考え方をしたことがなかったので、ああ成る程なって思いました。
富永:地元の高校の演劇鑑賞などに呼ばれると、「今年は東京ではなく地元で頑張っている・・・」みたいな紹介をされて、どうもワンランク下のイメージで見られるって言ってましたね。
松本:そうです。だから、本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。作品に対しても、物書きの目線と演出の目線の両方から話してくれた人だったんで、すごく面白かったです。
片寄:それプラス、プロデューサーの目で、演劇祭そのものの評価もしてくれた。
中村:地方でやっているってことを評価してくれましたね。
松本:そうですね。すごく歴史がある演劇祭ですよね、2001年からやっているわけですから、今年で11年目ですよ。
富永:本当であれば、去年、10周年ですってやりたかったんですが、上手くサイクルが合わなかった。(笑)
加藤:あの時にずいぶん札幌の連中が来てるんだって、改めて思ったね。
富永:はい。北海道文化財団から助成をしていただいているので、その関係で財団の人も来てくれるようになったし。
片寄:北見の時も来ていたけど、残ったりしていなかった。帯広の時は、残って話をしたからね。
松本:札幌の人たちも結構来てくれるようになりましたよね。
富永:そうですね。
松本:やっぱり、演劇祭の醍醐味は、最初の話に戻ると、お互いの作品を支えあっているけど、そこに何のストレスもなく、楽しくやれているということですね。それとアフタートーク、僕らもお客さんになって見ちゃっている。で、1回目2回目ほど大変じゃなくて、(笑)すっとやるというか、大した打ち合わせもなく。(笑)
富永:まあ、何回もやっているからね。
松本:まあ、いいんじゃないかっていう、この。(笑)
片寄:だからさっきも言ったけど、北見で演劇祭やった時みたいに、全部やってもらったら、俺たち演劇祭ってもっと色々することあったのに、こんなに何もしなくて物足りないよねって。(笑)
松本:だからこの間、6回目、帯広でやった時は、僕らだって、なんかいいのかなって。
富永:まあ、4回目までが大変だったんだって。メガストーンで。客席から作ったんだから。
片寄:場所を作るってことがね。大変だったけど、結果的にそれが楽しかった。
松本:まあ、まあ、そうですね。
片寄:盛り上がったというかね。
松本:共同作業の必要性がないですものね、今は。あえてしなくても役割分担も出来ていますし。
(つづく)