北芸アフタートーク
前田:
いい芝居のあとで、こんなトークをするのは無粋だとは思うんですが、古の時代には、終わったあとお客さんと居酒屋で感想を話し合うというような文化もあったと聞いていますので、今日のトークがそういう感じで出来たらと思っています。
ボクはすごく面白かったです、お世辞とかではなくて。ヒントだけあって答えがないような芝居で、それに解釈をつけることがいいことなのか、ちょっと無粋だとは思うんですが。
ボクは観ていて、あの、女の人が、最初、ヘソの緒のような感じでロープを巻き付けて、段ボールを引きずってくるじゃないですか。
段ボールは子どもで、そして、電柱の所でロープを外すんですが、電柱とロープで死を連想させます。
最初から死の影が見えていて、そこに男が入って来て、男はヒモでゴザを背負っている。あれは男の子どもで、それを段ボールの上に重ねるんです。そしてその上に二人が座るんですが、ああ、家族の話なんだなと思いました。
それで話が続いていくんですが、いろんなメタファーが入っていて、最後の方でホスピスの話が出て来て、ここで具体的な話で落とすのかなと思ったら、そのホスピス自体も最終的にはあやふやになっていく。それが末期のがん患者を迎える所なのかもあやふやになっていく。
まあ、別役さんが書いているのであれなんですが、凄い作品だと思いました。
これは勝手な解釈なんですが、最終的には二人は凍死するんですが、これは男が精子で、女が卵子で、出会って、ホスピスが子宮みたいな所で、これは死ぬんじゃなくて、二人が生まれることなのかなと。生と死があそこでつながって、その輪がいつか来た道にかけられていくのかなと、勝手な解釈をしました。
まあ、それはボクの解釈なのでどうでもいいんですが、何が凄いかと言ったら、この俳優さん二人が本物なんですよね。
富永:というのは?
前田:半ば浮浪者みたいなんです。(笑)まあ、演劇の人なんて、みんな浮浪者みたいなものですからね。(笑)
それと、二人が死を連想させる。ボクの父親と同じくらいの年で、ボクは父親に死の影をみるんですが、半ば死にかけている俳優が死のことをやる。(会場笑)
この説得力はないなと思います。僕らも死のことをやるんですが、まだ4、50年生きるんですよ。お前らまだ死なないじゃないか、死なないのに死のことをやるんじゃないよ、という感覚があるんです。その辺りの説得力は違いますね。
あと、芝居をやるとき演技の上手い下手ってことをよく考えるんですよ。でも結局上手い下手なんてないんじゃないか、と思うんですよ。
例えば、百円ショップで百円の壺があるじゃないですか。これは今は百円の価値しかないですが、千年先の未来では、凄い価値のあるものになるじゃないですか。
人間が生きること、しかもそれが俳優として生きた人間が、その場にいるということは、それだけで感動してしまうところがあって、それはちょっとずるいなと思いました。