早いものですね、あっという間に一週間が経ちました。ふーっ。
さて早速ですが、座談会のつづきに参ります。
(劇団北芸、加藤直樹)
富永:それで、三劇団の交流が進む中で「演劇祭」をやるきっかけとなったのは何だったのか、自分の中ではちょっとぼやけているだけども・・・。
松本:オマエだよ。(笑)
富永:いや、オレが言い出したんじゃないかと思うんだけど。(笑)今日の座談会を開くにあたって、その年(2001年)の演研の稽古日誌を読んだんですが、僕が新年の抱負の中で「演劇祭」をやろうと提案をしているんです。で、そこに「動物園が9月に帯広でやりたいと言うので」ということが書いてあったんですよ。つまり、動物園が帯広で公演をやりたいと言っている。どうせなら三劇団で集まってやろうか?という流れになったと思うんだけども。そのへんのことは覚えてる?
松本:あの、かなりいろんなことが重なった年じゃないですか。小屋もそうですし・・・。
富永:いや、それは演劇祭をやると決まった後じゃない、大変だったのは。
中村:平田オリザさんのワークショップなどがあって、いろいろと学んできた頃ではあったと思います。
富永:ああ、そうそう。平田さんとの交流の中で、いろいろな情報が入ってきて助成金ももらえるんだということが分かってきた。で、2000年に平田さんに「隣にいても一人」を書いてもらって、その時に初めて助成金をもらったんです。
片寄:そもそも前から、どうせなら皆でなんかやろうって話があって、佐久間もその年の抱負で「道東小劇場フェスティバルの開催」と言っている。で、その前の年に舞台塾をやるという話があって、道の方でも市の文化スポーツ財団を通して、帯広で演劇祭が出来ないかって話を持ってきたのさ、オレのところに。
富永:はい、はい。
片寄:そういう風に言って来たんだけども、僕たちは大きなところ(劇場)では出来ないからって断った。でも、考えて下さいよということで、まあやるとすれば道東小劇場ネットワークで、小さなところなら出来るのではないかということで、最初の予定では「演研芝居小屋」で、2週にわたってやる事にしていた。
富永:ああ、動員の関係で、あの芝居小屋だと1週では無理ですものね。
片寄:最初は、行政の方から舞台塾がらみでどうだろうかと話が来たのさ。
富永:ああ、そうか。それで第一回目の演劇祭は北海道舞台塾の助成を受けているんですね。それは、佐久間さんがやっていたので、それで僕はあまり記憶になかったんだ。
加藤:舞台塾というのは、演劇人会議の流れかい?
片寄:いや、あれは、堀知事(当時の北海道知事)の公約で、道立劇場をつくるというのがあって、器だけつくってもダメなので、全道何ヶ所かでそういう事業をやって、盛り上げようという話でした。
富永:はい、それで秋に演劇祭をやることになって、でも新年の抱負でまだ決定していないんだよね。
松本:そうですね、かなり急に決まった感じがありましたね。
片寄:まだ決めてなくて、新年会を兼ねて1月13日に集まっているんですね。北芸は都合が付かなかったのですが、動物園は中村君と菜美ちゃん(佐藤菜美)が参加しているけど、そこで演劇祭について話し合いをしたんです。
富永:それは覚えてる?
佐藤:いや、覚えてないです。(笑)
片寄:1月の13日に集まって話しているんです。内容については、(ファイルを出して)えっと、「日程は動物園に合わせ、9月下旬から10月上旬にする。三都市の劇団が帯広で公演を行う。イベントを行う。これはメジャーな人を呼んで、ワークショップをやってもらうなど。イベントは自分たちが楽しめることをする。」ということを決めている。
富永:北芸がでていないけど、北芸はもう参加するという前提なんですね。それは覚えています?
加藤:いや、いや、覚えていない。まあ、その時は北芸のスタンスは、そっちの方には興味を持っているから、みんながやるならやるというスタンスでした。
片寄:それで、2月に北海道舞台塾帯広委員会に助成金の要望書を提出してるんです。
富永:ということは、1月13日にはもうやるということになって、2月に助成金の申請をして、だから北芸にはこっちで決めたようにやるという確約をとっていたんですね。
片寄:そういう意味では、一番フットワークが軽いのは北芸ですから。(笑)
森田:はい。(笑)
片寄:一番うるさくいうのは、我々とか動物園だから、こっちはリハーサルがどうのこうのとか、なんか難しいことをいってくる。その点、北芸はやりまーすって言ったら来るから。
加藤:参加し始めた頃から、いや今でもそうだけど、リハーサルなんて、僕らやらなくてもいいんだよ、というスタンスだった。(笑)
富永:ということは、やっぱり北見が一番腰が重いでしょ。(笑)はい、いいですよってことにならないじゃない。
松本:これの1、2年前にはお互いに芝居観たら、いつかこういうことをやりたいねって話は出ていた。あとはこっち(お金)の問題だよねってことになっていた。
片寄:だからその前の年に「こころゆくまで。」をやって、あれ面白いからうちの小屋でやりなさいよってことになって、で、それに合わせて(演劇祭を)やろう。僕たちも「隣にいても一人」の再演をやろうっていうことになっていた。
富永:そうそう、ちょうど平田さんに書いてもらった次の年で、再演することになっていた。
中村:そもそも、「こころゆくまで。」の前まで2年ブランクがあって、持って来れるものがなかったんですよ。
富永:あー、2年間何もやってなかったんだ。
松本:「こころゆくまで。」に2年かかったんで。
富永:あ、つくるのにね。
松本:そうです。
加藤:その頃、おれたち「メリーさんの羊」かい?
片寄:えっと、これ(ファイル)では2月の段階では「魔女物語」になってますね、未定になってますけど。それで、事業形態は北海道舞台塾イン十勝の帯広実行委員会から公的助成をもらう、トークゲストの鐘下も9月29日30日ならOKということで内諾はもらっている。今後の進め方は、市の文化課の酒井係長と文化スポーツ振興財団の事務局との折衝は、佐久間が担当する。その時点で他の2劇団へ、鐘下の招聘と公的助成をもらうということを連絡するのは富永の担当ということになってます。
加藤:鐘下さんが来たということは、我々は「眠っちゃいけない」か?
富永:そうです。「眠っちゃいけない子守唄」をやってますね。
(今回進行役、劇団演研の富永浩至)
(つづく)
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