今回も第2回演劇祭のお話です。演研の演目は「隣にいても一人」、青年団から大塚さんが客演してくれました。
その時の話が続きます。では、どうぞ!
第2回演劇祭のつづき
加藤:あの時、端から見ていて、大塚さんが来てくれて、なんて言うのかな、役者の幅が広がったんじゃないかな。見ててはそんな感じがしたね。
富永:ああ、それはありますね。
加藤:僕らなんか、その頃も言ってたんだけど、片寄さんの言う通りばっかりやんなくてもいいじゃないかってね。
富永:ああ。
加藤:陰で。(笑)
富永:そうですね。どちらかというと役者同士の関係性というよりも、演出にどうみせるかを主眼に置いていた感じがありましたね。大塚さんに来てもらって、役者稽古の時などに、大塚さんから、こっち見て芝居をしなさいとか言われました。(笑)
加藤:役者同士の関係の中で、柔らかくなったというか、広がった感じを受けたの、あの芝居を観て思いましたね。
片寄:それは全くその通りで、皆は僕に向かって芝居をするから、そうじゃないんだ、役者同志なんだって言ってるけど、どうしてもこっちを向いて芝居をする。大塚さんとやるとそうじゃない。あれで随分、役者の幅が広がった気がするね。
加藤:それから言葉がすごく当たるようになったんだよ、役者同士で。その辺が随分広がったような気がした。
片寄:うちの芝居をずっと観てくれている人は、僕の演出の芝居を観てるっていう感じだったけど、あれ以降、役者の芝居が観られるようになったって言ってましたね。
加藤:僕らは、森田なんかとよく言ってたのは、帯広の芝居は片寄さんのきっちり演出するところがすごいなって言っていたわけ。そのすごさ、丁寧さは大事なんだけれども、役者がもっと伸び伸びしていないといけないんじゃないかっていうのを感じてた。こっちは、というか私なんかは、まるっきりその辺りがダメで、演出する時に。
富永:でも、(役者で)出ているとしょうがないですよね。
加藤:いや、それだけじゃなくて。やっている最中に、いろいろ言われるとムッとくる。(笑)僕なんかは、舞台の上で変わってくるというような考え方をしているから、もっとお前らやれよってけしかけていた時もあった。それがあの芝居で、随分柔らかくなった。
片寄: あの時に芝居が変わった一日というのがあった。動物園の芝居があるから、それを観に行って稽古しないという日があったんだけど、役者たちは、折角大塚さんが来ているから稽古しますって言って、役者4人だけ帯広に残って、稽古をした日があった。で、観て帰ってきて、稽古場に顔を出したら、ちょっと空気がね、入っていけないような空気が4人の中にあって、これなんかあったなって思った。それで、次の稽古の時にはコロッと変わっていた。うちの役者3人が劇的に変わったという瞬間があったね。
富永: あれは、大塚さんが稽古を始める前に、ちょっと集中しようと言って、ワークショップ的なことをやったんですよ、確か。「まず、目をつぶって下さい。今、あなたは通りの真ん中で真っ裸で座っています。皆に見られて恥ずかしい。それを想像して下さい」って言って。「恥ずかしい、皆に見られて。真っ裸で恥ずかしい。だけど、あなたのからだの中に、小さは明かりが灯った。そして、その明かりがだんだんだんだん大きくなっていく。その明かりが身体から溢れ出てくる。今度はそれを見た人たちが、喜んでいる。その明かりが見ている人たちを包み込んでいって、みんなを幸せにする。」で、最後に「それが役者だ」って言ったんだよね。
中村:う〜ん。
富永:今、大分端折って言いましたが、こういうことを段階を踏んでやったんですよ。役者って言うのは、見ている人を幸せにするんだということを教えてもらった。
加藤:どうしたらいいのかは分からないが、役者同士のやり取りが深まる瞬間というのがあるね、やっていると。
片寄:大塚さんのお陰で、うちの役者たちは本当、良くなったね。
(つづく)
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