座談会の最近のブログ記事

座談会最終回

いよいよ、今週末から始まります、第7回道東小劇場演劇祭!
皆さん、チケットの予約はお済みですか?

はい、では。座談会さっそく始めましょう。

P1180349.jpg動物園の演目は、松田正隆作「蝶のやうな私の郷愁」です。

P1180354.jpg松本大悟、佐藤菜美による二人芝居です。



今年の演劇祭について その2

 

富永:まあ、動物園、新作だからね。どんな感じ?え、もう稽古してるの?

 

佐藤:まだです。

 

中村:えっと・・・(何か考えている)

 

富永:え、中村君、何、タイトル忘れたの?

 

中村:作家の名前が思い出せないんです。

 

富永:松田正隆でしょ。

 

中村:ああ、松田正隆。あ、ダメだ。

 

富永:ダメだとか言ってるし。(笑)

 

森田:だんだん私たちの歳に近づいてるわ。(笑)

 

中村:もう、お仲間です。

 

富永:え、この座談会は、中村君の「ダメだ」の言葉で締めくくりますか。(笑)

 

片寄:でも、まあ象徴的じゃないの。僕たち(演研と北芸)は今までやったものの集大成で、あんたたち(動物園)は新作。

 

松本:ああ、成る程ね。

 

片寄:60代(演研と北芸)と40代(動物園)ですからね。

 

松本:何か感慨深いものがあるね。

 

片寄:まあ、加藤さんも森田さんもそうだと思うけど、この歳になると次何やろうじゃなく、この作品をちゃんとやって、悔いの残らないようにって。一本一本、これで最後でもいいや、という覚悟を持ってつくっているというのがありますよね。

 

加藤:考えてみたら、こうやって我々が付き合って20年かい。演劇祭だけじゃなく、こうやって付き合っているのが。この20年は、僕はかなり充実していた。

 

松本:もう終わっちゃた感じですね。(笑)

 

加藤:いやいや、これからではあるけど。

 

片寄:本当に指向性と言うか、どこを目指してやるのか、というところが、それぞれの土地にいて、別々にやっているのに、指向が同じでこれだけお互い信頼し合ってやっている。こういう出会いって、ちょっと無いことで、本当に幸せだと思う。

 

富永:そうだね、他のところにもネットワークを広げられたらなとは思うけど、なかなか出会わないものね。

 

加藤:僕なんか、個人的には釧路で始めた時には、すごく張り切って、小屋をつくったり、釧路の中で刺激し合ってやろうと思っていたけど、今考えたら、帯広とか北見に会わなかったならば、続いてないんじゃないかっていう気がする、気分的に。

 

松本:それはありますよね。僕らも、だから結成して2年目で演研と出会ったお陰ではっきりと自分たちの指針がそこにあるわけですから、こうやればいいんだって。こんなに分かり易い目標は無かったですね。まあ、結果的には追い抜いちゃったですけどね。

 

片寄:う、ふふふ。

 

松本:(レコーダーに向かって)いや、今切るとこですよ。カット、カット。(笑)

 

富永:いや、載るとこだよね。(笑)

 

加藤:いや、追い抜いてもらわなきゃ困るよね。

 

松本:いや、先生。そこ、ふくらませないで下さい。(笑)流しましょうよ。

 

片寄:いや、だから本当に、駅前芝居小屋が出来たことってのは、もの凄く刺激になった、僕は。その前に僕らの目標としては、旭川の劇団「河」があって、自前の小屋「河原館」があった。それがちょうどなくなった頃、大通茶館をやっていたけど、自分の小屋を持ちたいって思っていて、そこで交流のあった北芸に先を越されちゃった、ああ、いいなってのがあった。それでこういう建物(演研芝居小屋)があるって言われた時に、二つ返事で飛びついた。やっぱり北芸で小屋を持ったってことは、河っていうのは僕らにとってすごく大きな存在で、あそこは特別だからって思っていたけど、北芸は一緒にやっているってところで、そうか!っていう思いもすごくあった。どこの土地でも、こういう集団があるわけではないので、たまたま道東で知り合って、本当に幸せな出会いだったと思いますね。

 

松本:じゃあ、今度の演劇祭は間違いなく各劇団の集大成ですね。

 

片寄:いや、あんまり、そう気負わないでさ。

 

富永:そうそう、まだ復活するかもしれないしさ。

 

片寄:その一瞬、一瞬を楽しめばいいわけだからさ。

 

富永:はい、長時間に渡りましたが、この辺で座談会を終わりたいと思います。今日は本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

 

(終わり)


今回で座談会は終了しました。ご愛読ありがとうございました。
演劇祭ブログはまだまだ続きますので、チャンネルはそのままに(^_-)☆。

座談会その15

さて、いよいよ来週末に迫って参りました「第7回道東小劇場演劇祭」。皆様、チケットのご予約はお済みでしょうか?
まだの方は、是非是非お早めにご予約下さい。お待ちしております。

座談会では何やら重大発言が飛び出したようです。それって・・・

DSCN1388.jpg演研の演目は「夫婦善哉」、第一回演劇祭の演目でした。あの時は十分な稽古時間が取れずに不本意な出来でしたので、今回はそのリベンジです(^^)。(写真は2006年の大通茶館での公演)


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北芸は前回の演劇祭と同じ演目「この道はいつか来た道」。ますます磨きがかかった「この道・・・」が観られるのではないでしょうか。





今年の演劇祭に向けて

 

富永:大体、話は出尽くしたようですか。じゃあ最後に、今年の演劇祭はどうなるかを一言ずついただきたいのですが。まず、演研は第1回目の演劇祭でやった「夫婦善哉」です。その後、2005年に再演して、次の年札幌でもやった作品ですが。

 

片寄:「夫婦善哉」は釧路にも行ってないし、北見にも行ってない。あれで回りたいとずっと思ってたんですが。

 

加藤:僕らはおそらく、北芸で参加するのは最後になる、

 

松本:いやいや、そんなこと言ったら演研だって、ね。(笑)

 

富永:あ、はははは。

 

加藤:いやいや、これ終わったら劇団をやめちゃおうかと考えてる。

 

松本:え、マジっすか!!真面目にですか?

 

加藤:ええ、だって今、実質的に森田と二人だけなんだもの。

 

富永:ああ、はい、はい。

 

松本:そんなこと、今までずっとあったじゃないですか。

 

富永:いやいや。(笑)

 

松本:今更やめるだなんて、何言ってるんですか。

 

加藤:いや、いや。お互いに芝居をやめるってことは別にして、

 

松本:あ、あ、北芸として。

 

加藤:北芸という劇団を維持していくというのが、事務所を借りたり、大変なわけよ。

 

富永:そうですよね。

 

加藤:そういうことで、形の上ではそうなると思う。

 

松本:俺、イッキに思いが深くなっちゃったよ。

 

加藤:今まで話されたように、すごく良い関係で来たと思っているんだよね。だから最後も、まあ、さっき慣れて来たという話もでてたけど、緊張感を持ちながら、やんなきゃなと思ってる。

 

富永:はい、今回は、うちらが(北芸の)スタッフをやりますから。

 

加藤:まだ二人でちゃんと話してないんだけど。僕自身は「この道はいつか来た道」をやろうと思っている。

 

富永:はい。

 

松本:最後か・・・。

 

中村:「この道・・・」、まだ北見でやってもらってないですね。

 

松本:そうですね、だからまだ解散はやめましょう。

 

片寄:じゃあ、演劇祭の前に北見でやってもらえば、

 

松本:いや、演劇祭の後の方がいいですよ。

 

加藤:いや、どっちでもいいんだ。要するに、まだ今年何やるとか考えてないんだ。

 

松本:え、演研も今年最後でしょ、演劇祭。(笑)

 

富永:何言ってんの。(笑)

 

松本:来年以降、僕たちだけで演劇祭をやらなきゃいけない。(笑)

 

加藤:大演劇祭。(笑)

 

松本:え、すごいことになっちゃった、え、マジっすか。

 

加藤:北見大演劇祭!

 

松本:どうする、俺らも解散する、来年?(笑)支払い、まだ残っているけど。

 

加藤:いや、それはね、客演で呼んでもらうとか。

 

富永:そうそう。まあ、考え方が2つあって、演劇祭ラストですって言ってやるか、まあ終わりは決めないで、また何かのキッカケで出来るかもしれないから、次回いつかは決めないで、休止にしておくことも出来る。

 

加藤:そうだね、これで道東小劇場演劇祭を終わりますと言う必要はない。

 

松本:でも、言った方がお客さんは入りますよね。

 

富永:いや、いや、同じだって。

 

片寄:まあ、我々の中で区切りだって思いを持ってやればいいんだから。

 

富永:そうですね、自分たちの中で一区切りと思ってやればいいんだから。

 

松本:漠然と僕は、演劇祭は続くと思っていたので、次からはうちらだけだと思うと・・・。(笑)すごい寂しくなる。

 

富永:なんでうちらだけなんだよ。(笑)

 

加藤:いや、今度はキャスティングなんかも改めて、やっちゃうってこともあるよ。

 

松本:先生、もう次の次の演劇祭のことになっちゃてますよ。(笑)ちょっと待って下さい。

 

加藤:3つの劇団から一人ずつ出るとかさ、なんかそういう感じでやってもいいと思うよ。これまではなかったけど。

 

松本:企画としては面白いですね。

 

富永:そうですね。

 

松本:で、今回、前田司郎さんでしたっけ、ゲストは。

 

富永:そうです。

 

松本:僕、お会いしたことないんで。いくつくらいの人ですか?

 

片寄:三十・・・五くらいになってるんじゃない。

 

富永:あれ、去年か一昨年、北見に来たじゃない。会ってない?

 

佐藤:会ってないです。

 

松本:そうか、頑張ろっ、演劇祭。

 

(つづく)




座談会その14

やっと秋らしくなって来ました。これからは朝晩、ストーブのお世話になるのでしょうね。
さて、座談会の方は第6回の話に入りました。

fes6-1.jpg5年振りの帯広開催。会場は、前年に団員たちが自分たちの手でリノベーションした「演研・茶館工房」です。


fes6_05.jpg演研は岸田國士作「驟雨」を上演


f06-af3.jpgアフタートーク、ゲストは青森から畑澤聖悟氏に来ていただきました。




第6回演劇祭について

 

松本:そして、6回目と言ったら畑澤さんのアフタートークでしたね。

 

富永:なんとなく流れとして、鈴江さんが京都だったこともあり、東京ではないところで頑張っている人を呼ぼうという流れだった、僕の中では。じゃあ、青森で頑張っている畑澤さんに来て欲しいと思った。

 

片寄:第6回は、工房でやるのが初めてで、それぞれ舞台が違った。北芸さんは、電柱を立てて、雪を降らした。あと、パンチをバックヤードの方まで敷いていた。うちの時は、それをはがして、パネルを立ててと場面転換が結構大変だった。

 

松本:そうでした、そうでした。

 

富永:北芸さんは「この道はいつか来た道」をやりましたね。

 

森田:韓国でやった年ですね。

 

加藤:ああ、韓国の帰りっていうか、韓国の後だったか。

 

富永:そうです。だから北芸のアフタートークは、韓国で賞をもらった話で持ち切りでした。


fes6_06.jpg北芸のセッティングの様子。黒のパンチを敷き詰め、その後は電信柱を立てました。


fes6-4.jpg北芸の「この道はいつか来た道」は、韓国で行われた光州平和演劇祭でグランプリを受賞。演劇祭での公演が、凱旋公演となりました。


松本:畑澤さんはいいアフタートークでしたね。

 

片寄:6回目は一番印象にあるのは、畑澤さんですね。帯広に来て、うちの工房を見た瞬間に、「すごく良い。ここでやりたい!」って言ってくれた。あの人もすぐ泣く人でね、最後に打ち上げで泣いて帰った。(笑)

 

富永:そうですか。

 

片寄:その後に、うちで公演した時(翌2010年に「みなぎる血潮はらっせらー」帯広公演)も泣いて帰った。(笑)

 

松本:演劇祭をずいぶん評価してくれましたね。畑澤さんの言葉で印象的だったのは、大都市に行ってやる意味ということ。つまり作品の質が高いってことを、東京公演をすることで、自分たちはこのレベルを維持しているってことを見せているって、言っていました。そんな考え方をしたことがなかったので、ああ成る程なって思いました。

 

富永:地元の高校の演劇鑑賞などに呼ばれると、「今年は東京ではなく地元で頑張っている・・・」みたいな紹介をされて、どうもワンランク下のイメージで見られるって言ってましたね。

 

松本:そうです。だから、本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。作品に対しても、物書きの目線と演出の目線の両方から話してくれた人だったんで、すごく面白かったです。

 

片寄:それプラス、プロデューサーの目で、演劇祭そのものの評価もしてくれた。

 

中村:地方でやっているってことを評価してくれましたね。

 

松本:そうですね。すごく歴史がある演劇祭ですよね、2001年からやっているわけですから、今年で11年目ですよ。

 

富永:本当であれば、去年、10周年ですってやりたかったんですが、上手くサイクルが合わなかった。(笑)

 

加藤:あの時にずいぶん札幌の連中が来てるんだって、改めて思ったね。

 

富永:はい。北海道文化財団から助成をしていただいているので、その関係で財団の人も来てくれるようになったし。

 

片寄:北見の時も来ていたけど、残ったりしていなかった。帯広の時は、残って話をしたからね。

 

松本:札幌の人たちも結構来てくれるようになりましたよね。

 

富永:そうですね。

 

松本:やっぱり、演劇祭の醍醐味は、最初の話に戻ると、お互いの作品を支えあっているけど、そこに何のストレスもなく、楽しくやれているということですね。それとアフタートーク、僕らもお客さんになって見ちゃっている。で、1回目2回目ほど大変じゃなくて、(笑)すっとやるというか、大した打ち合わせもなく。(笑)

 

富永:まあ、何回もやっているからね。

 

松本:まあ、いいんじゃないかっていう、この。(笑)

 

片寄:だからさっきも言ったけど、北見で演劇祭やった時みたいに、全部やってもらったら、俺たち演劇祭ってもっと色々することあったのに、こんなに何もしなくて物足りないよねって。(笑)

 

松本:だからこの間、6回目、帯広でやった時は、僕らだって、なんかいいのかなって。

 

富永:まあ、4回目までが大変だったんだって。メガストーンで。客席から作ったんだから。

 

片寄:場所を作るってことがね。大変だったけど、結果的にそれが楽しかった。

 

松本:まあ、まあ、そうですね。

 

片寄:盛り上がったというかね。

 

松本:共同作業の必要性がないですものね、今は。あえてしなくても役割分担も出来ていますし。

 

(つづく)


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動物園は、鈴江俊郎書き下ろしの「ホテル山もみじ別館」でした。


座談会その13

はい、この座談会もそろそろ終わりに近づいて来ました。

今週は第5回演劇祭でのお話です。打ち上げの席で飛び出したエピソードが語られています。はい、どうぞ。


fes5-3.jpg演劇祭楽日、動物園の演目は「赤鬼」

fes5_12.jpg動物園のアフタートークの様子です




「ホテル山もみじ別館」書き下ろしの経緯

 

富永:あれ、5回目の打ち上げの時に、僕は都合で先に帰ったんですが、龍さん(演研に客演)が酔っぱらって、書き下ろせって言ったんですか?

 

片寄:僕らは平田オリザに書き下ろしてもらったから、動物園は鈴江さんの作品をこれだけやっているんだから、書き下ろししたらいいんじゃないのって。そうしたら、みんな(道東小劇場ネットワークの3劇団)に書いたらいいんじゃないのって話になって、4場構成にして、それぞれが練習できるようにして、最後の4場だけみんなで集まって稽古するようにするって、なんとなく話がまとまった。その場はそれでお茶を濁した感じだった。

 

松本:そしたら龍さんが、

 

片寄:そうそう、酔っぱらって、俺も出せ!って言って。ベロベロになって「鈴江、お前書け!」って(笑)。鈴江さんしょうがなく、「はい」って言って、あれは言わされたよねって言ってたんですが、本当に書くことになるとは、半信半疑だった。

 

富永:でもそれは、酒の上の話でしょう。

 

松本:そうです。

 

富永:それで、正式に書いて欲しいって、オファーしたんだ。

 

松本:そうですね。それから正式に中村の方からお願いして。もちろんお金のかかる話ですから、それであえばお答えしますって話だった。それで役者のプロフィールを送った。最初は、佐藤と広部の二人芝居を書いてってお願いしたんですよ。

 

佐藤:あれ、3人じゃなかった?


fes5_11.jpg打ち上げの様子。この席で動物園への書き下ろしのきっかけが・・・。
写真左から鈴江氏、1人おいて片寄(演研)、龍昇氏(演研に客演)



松本:いや、歌ちゃん(岡歌織)は転勤があるかもしれないから、入れられないと思った。でも歌ちゃんが、「でも、もし旦那が転勤しても、私はここに残ってやるから」って言うから、じゃあ3人の作品で、広部と菜美ちゃんを中心にして、岡も出る形でって言ったら、鈴江さんの方から「中村さんは面白いキャラなのに、中村さんは出なくてもいいんですか。」って逆に言ってきたんです。

 

富永:はい、はい。

 

松本:作家がそう言うんであれば、じゃあ中村も入れて、4人で書いて下さいってことになった。

 

富永:なるほど。

 

松本:それでああいう本になったんです。

 

中村:お互いに、こっちは頼んでいいんだよねってのと、向こうも書くのはいいけどどうやって書いたらいいの?という感じだった。

 

加藤:観てないのかな、俺は。

 

松本:いや、多分観てます。前回(第6回)の演劇祭でやりましたから。

 

富永:あ、はははは。また加藤先生もとぼけちゃって。(笑)

 

加藤:ああ、俺たちが韓国から帰ってきた時にやったやつかい?

 

富永:はい、そうです。だから5回目の演劇祭を北見でやって、その次の年がちょうど動物園の創立20周年で鈴江さんに書いてもらって、一年あけて2009年に帯広で演劇祭でやったんです。

 

片寄:だから第5回の演劇祭が生んだのは「ホテル山もみじ別館」ですよ。演劇祭がなかったら、あれは書いてもらえなかったわけでしょう。

 

松本:そうですね。

 

(つづく)


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演研は龍昇氏を客演に迎え「隣にいても一人」を上演しました。

座談会その12

劇団動物園の公演も無事終わったようですね。お疲れさまです、動物園の皆さん。

さて、座談会の方は第5回演劇祭の話に入りました。5回目は初めての北見での開催でしたね。
どんなお話が飛び出したでしょうか?

fes5-1.jpg「アトリエ動物園」の前の看板です。すばらしいですね。


第5回演劇祭について

 

中村:第4回が2004年ですか。そして2005年と2006年が空いて、2007年が第5回ですね。

 

松本:5回目は思い出がいっぱいですよ、動物園は。うちのアトリエでやりましたからね。

 

富永:2006年に動物園でアトリエをつくって、で、アトリエが出来たから、北見でやろうって話になったんだよね。

 

松本:そうです。

 

富永:北見だけ、やってなかったからね。で、ゲストの鈴江さん(鈴江俊郎)は・・・。

 

片寄:動物園で、鈴江さんの芝居をやっているから、コンタクトを取れるからって。

 

松本:それで、中村にとってもらって。

 

中村:我々の演目は「赤鬼」で、北芸さんが「棲家」。

 

片寄:僕たちは「隣にいても一人」の龍昇バージョン。

 

富永:07年だから、うちらが演研・茶館工房をつくった年だよね。で、こけら落としで、「隣にいても一人」をやって。その年は、翌年の1月に全国でつくった「隣にいても一人」が集まって、「隣にいても祭り」のようなことをやるので、それでその流れで、うちは「隣にいても一人」をやるということだった。それで兄の義男役は、帯広出身の龍昇さんを客演に招きました。

 

松本:動物園は、気合いが入っていました。北見のお客さんに見せたかったので、演劇祭というものがどういうものか。アフタートークはどんなものかって。それで僕らは燃えていました。

 

富永:うん。



fes5-6.jpg北芸から動物園へバトンタッチ。黒舞台から白舞台へ大転換。


松本:それで実際、自分たちの舞台が「赤鬼」が真っ白な舞台で、他が黒い舞台なので、どうしたものかと考えた。その時に、あの白舞台の中に箱をつくって、黒くすればいいんじゃないかって、阿部(動物園創立メンバーで大工)の協力のもと、つくったんです。で、自分たちの公演の前にそれを取っ払ってやったんです。

 

富永:何で白でなくちゃダメだったの?

 

松本:(外を見て)雪降ってきましたね。(笑)

 

片寄:それは演出の問題だから。

 

富永:それは演出のこだわりで、譲れないところだったんだね。

 

松本:そうです。それと6月の「赤鬼」公演の時に出ていた役者が演劇祭は出られなくて、僕にスイッチしたんです。

 

佐藤:そうだっけ、もういなかったけ。

 

松本:すごく大変だった。そんな感じで・・・。

 

富永:そんな感じ。(笑)

 

松本:あの時もアフタートークの印象は、あまりなかったですね。

 

富永:あ、そう?

 

松本:北芸さんと演研さんは、ちゃんと話していたけど、うちらの時は、「赤鬼」という作品があまり好きじゃなかったのか、のらりくらりとかわされました。

 

富永:あ、そうだった?

 

松本:逆にもっとキツイことを言ってくれるかと思ったんですよ。「君たち、こんな作り方で何を求めているの?」って言ってくれるかと思ったけど、そこにも触って来なかった。

 

富永:いや、まあ、それはさあ、遠慮があるよね。

 

松本:遠慮なしで来てくれるかと思ったんですよ。どこかの演劇祭で鈴江さんの作品をやった時に、アフタートークによばれて、これは違うって言って、ものすごくこき下ろしたというのを聞いていたから。それがあるかと思った。

 

富永:うん、うん。

 

松本:で、それを観た後でうちに作品を書き下ろしてくれましたから。鈴江さんもどうやって書いたらいいんだろうって、思ったんだよね、きっと。(笑)

 

片寄:鈴江さんの時も、平田さんの本についてだった。僕たちは本のことしか言われない。

 

松本:やっぱり作家さんなんでしょうね、鈴江さん。


fes5_07.jpg北芸は太田省吾作「棲家(すみか)」でした。

fes_08.jpg2日目朝早くから北芸の仕込みに入りました。


fes5-2.jpg北芸のアフタートークの様子。



加藤:あの時はあれだな、僕ら自分たちの芝居をあまり満足していなかったんだけど、「歳をとった人がこれだけやっているのは凄い」って言われたね。

 

富永:そうですね。京都では、ある程度歳になると、それで食えるか食えないかを見切りつけて、やめちゃうから、あまり歳の人はいないって言ってましたね。

 

松本:京都の演劇事情を話していましたね。若い連中は売れてなんぼだって。こういう特殊な空間に来るお客さんも凄いし、この歳までやられているもの凄いって言ってましたね。

 

加藤:いや、ただそういうことしか言われなかった気がする。

 

富永:いやいや、そんなことないでしょう(笑)。

 

松本:(笑)違いますよ、そこに感動したんですよ。

 

加藤:そんなこと関係ないんじゃないかと思うけど。

 

片寄:いや、終わってから、鈴江さん、自分のブログに書いてあったのを見たら、たいそう演劇祭で感動したって書いてあった。あ、そうだったんだって思ったね。

 

松本:そうでしたね。この空間にまた来たいって。

 

片寄:この空気をみんなに味あわせたいって、熱く書いてあったよね。

 

(つづく)


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打ち上げの様子、大勢の人が参加してくれました。


座談会その11

9月も中旬になろうとしているのにこの暑さ、今年の北海道は異常です。でも各劇団ともこの暑さに負けず熱い稽古を繰り広げていることと思います。
さて、座談会の方も、熱いトークが繰り広げられています。では、どうぞ!



fes4-3.jpg第4回はゲスト演目として青年団の「ヤルタ会談」が参加しました。

fes4_09.jpgヤルタ、開演の準備中です。



第4回道東小劇場演劇祭について

 

富永:それでは、第4回に行きましょう。4回目は、会場をまた帯広に移しました。毎年やるのは、これで最後でした。で、その前の年に青年団が「団祭り」というのをやっていて、「ヤルタ会談」という芝居をやっていたので、あれ、「団祭り」でしたよね。

 

片寄:「団祭り」だったかは知らないけど、東京公演をした時に、盛り上がって「来て下さいよ」って言っていた。

 

富永:その時に来てもらうように話したんですね。

 

加藤:北芸は何やったんだっけ?

 

片寄:北芸は「受付」ですよ。「受付」と「走りながら眠れ」と「東京物語」。

 

富永:青年団の幕別公演が続いていたので、その時に会場を、平田さんと岩城さん(岩城保氏、青年団の照明担当)と杉山さん(杉山至氏、青年団の舞台美術担当)で一回会場を見てもらったんです。

 

加藤:青年団が「波止場の芝居小屋」でやったのはいつのことになるんだ?

 

富永:あれはその前じゃないですか?

 

加藤:東京へ行く前か。

 

富永:多分そうだったと思います。あれですよね、「暗愚小伝」。

 

加藤:あの時、装置の杉山さんがこの小屋でやるって、随分張り切ったらしいよ。




fes4-1.jpg
劇団動物園は竹内銃一郎作「東京物語」


fes4_07.jpg恒例となったアフタートークはヤルタ俳優陣がでてくれました。



松本:4回目で一旦ストップということでしたね。

 

片寄:そう、それから3年空いたからね。

 

松本:僕らは最後に「東京物語」をやろうと決めていたんですね。考えてみれば、1回目から4回目まで、うちの中村はずっと出ていたんで。

 

富永:ああ、そうか。

 

松本:頑張ってもらって。ものすごく、あの役(「東京物語」のオリーブ、オカマの役)が嫌だったので。

 

富永:ああ、そう。

 

松本:戻れないんで、あの役に入ったら。普段から、こういう感じになっちゃう。何が嫌だって、松本君に唇を奪われるのが一番嫌だったみたいです。

 

富永:意外と良いのにね。(笑)

 

松本:そのくせ、そのシーンになったら、口を半開きにして待ってますからね。(笑)

 

富永:は、は、は。(大笑)

 

松本:おお、俺はその口に突入しなきゃならんのかって。

 

中村:申し訳ないね。

 

松本:こっちこそ覚悟がいりましたよ。忘れられない。(笑)

 

富永:お互いにね。(笑)

 

片寄:4回目の打ち上げは、あそこの会場でやって、それから大通茶館の上でもやったものね。

 

富永:4回目からでしたっけ、あそこの会場で打ち上げしたのは。

 

片寄:違う違う、2回目から。1回目の時にお客さんが参加したそうだったので、2回目から会費を500円もらって、ビールとか出して交流会をやった。だから演劇祭の1日目にやった。2日目は、終わったあと、会場を片付けなければならないから。


 

fes4-4.jpg劇団演研は平田オリザ作「走りながら眠れ」



fes4_06.jpg第4回のアフタートークは、各劇団から演出ではなく役者が舞台に上がり、俳優同士のトークという形になりました。



佐藤:4回目は、ヤルタ会談の島田さんとお話しする時間があったんですが、「皆さん、お仕事しながらやっているんですよね」って、「普段は会社員とか、お勤めなんですよね」「そうです」「いや、僕たちプロなのに恥ずかしいな。皆さん凄い」って、言われた記憶があります。「仕事じゃないのに、こういうことをやれるのは、本当に凄い」って、言われたのが印象的です。

 

加藤:ある意味では、アマチュアでやっている方が、有利だっていうのがあるんだよね。

 

富永:まあ、制約がないですからね。プロだとここの劇場を押さえて、その期限までに何とかつくっちゃわなければならない。

 

加藤:それから、生活するのに苦労することがない。

 

片寄:一番贅沢にちゃんと、根本的に芝居に向き合える。プロというのは向き合っても、仕事にもなっているということがある。

 

加藤:そういう意味では、アマチュアにハンデがあるというのは、逆かもしれない。

 

片寄:大塚さんによく言われたよね。皆さんが一番豊かに芝居をやっているって。

 

加藤:よくアマチュアで、僕らはプロじゃないんだからってという言い方で、多少いい加減でもいいんだというのがあるでしょう。それは違うんじゃないかと思う。

 

中村:それはこの3劇団が共通して思っていますよね。

 

片寄:僕ら、大塚さんが来た時に、アマチュアなので、芝居の向き合い方は同じつもりでいるけど、プロのようなスキルがないからって言ったら、大塚さんに「片寄さんたちをアマチュアだと思ったことはない」っていつも怒られた。「何でそういうことを言うんだ」って。

 

松本:それと似た様なことは、打ち上げで大塚さんに言われましたね。君らの芝居だってねって、いろいろ細かいアドバイスを受けました。根っこの部分では、プロもアマもないんだよ。

 

加藤:仕事だからって、厳しく向き合うこともあるかもしれないけど、逆にこれが終われば、ここと関係がないというのもある。だから同じなんだよ、対等なんだよ。

 

片寄:プロと名乗ると、やりたくない仕事もやらなければならない。僕らやりたくないことやらないからね。(笑)

 

富永:それで、当初、毎年やると各劇団の活動に支障が出ると困るから、3年に一回くらいのペースでって話があったんですが、結局4年連続でやったじゃないですか。これはどうでした?やっぱり苦しかった?

 

松本:大変でした、やっぱり。もちろん、やってよかった。でも、みんなのスケジュールを調整しなければならなかったし、それで出来ない本もあった。いろいろと大変でしたが、でも、やってよかったという手応えはありました。

 

富永:なるほど。

 

松本:演研さんがガンガンと引っ張っていってくれたから出来たんですよ。それでなかったらなかなか。僕らは慎重な集団なので、石橋を叩いて渡らないんで。(笑)

 

(つづく)



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劇団北芸は別役実作「受付」でした。

fes4_08.jpgこちら北芸のアフタートークの様子。



fes4_10.jpgそして会場での打ち上げ。



fes4_05.jpg打ち上げのあと、最後まで残ってくれた皆様と、はい、集合写真です!





座談会その10

さてさて、座談会の方は週1回では終わりそうにもないので、これからは週2回のペースで公開していきますね。
今回は第3回の続きです。


FH020014.jpgこちら、波止場の芝居小屋。雰囲気のある良い小屋でした。


fes3-5.jpg北芸のアフタートーク。木野さんが北芸の芝居を絶賛しました。



第3回演劇祭のつづき

 

富永:そうですね、北芸の芝居は超満員でした。

 

片寄:俺たちは、入り口のところで観ていて、宇佐見が北芸の芝居を初めて観たんだけど、観てね、泣くのよ。

 

松本:俺も前で観てましたけど、泣きましたね。

 

富永:あれね、あの時木野さんは付き人の女の人と2人で観てたんですよ。僕は、2人を客席に案内して、すぐ近くで観てたんですが、芝居が始まって、加藤先生が出てきて、ニット帽をかぶっていたんですが、それを脱いだ時に、髪の毛がペシャってなっていて、それが何ともいえない、なんて言ったらいいのかな、演じているのではなくて、いや、その人がそこにいるんだって気がして、とても衝撃的だったんです。その時、ふっと木野さんを見たら、ビックリした顔をして、隣の女の人に「これ、すごいね」って耳打ちしていたんですよ。

 

森田:座ってね、ゴザに座って佇まいを直すところですね。

 

加藤:ああ、木野花、言っていたね、アフタートークの時に。帽子を脱いで、こうして手で髪をなでた時の、何もしなくても、それだけでいればいいんじゃないかって。

 

富永:とても生活感があって、リアルだったんですよ。

 

加藤:それは、桐谷さん(黒テントの女優)も言ってたよ。「加藤さんって、全く生活感がない人かと思って芝居を観ていたら、全然違うのにビックリした」ってことを桐谷さんが言ってた。あの後、夜遅くに行ったんだよ、黒テントの打ち上げに。

 

富永:ああ、そうですか。

 

加藤:その時に、そんなこと言ってたよ。でも、まあ、喜んでもらえたというのは、何よりだね。

 

富永:いや、木野花、大絶賛でしたからね。

 

片寄:あれは、今まで観た北芸の芝居の中で、一番ですね。「この道はいつか来た道」の中でも、あの時の舞台は最高でしたね。一番泣いたね。

 

松本:いろんな魔法がかかりましたよ。本当に泣いたね、ボロボロ。(笑)

 

片寄:あれを観た時に、これで東京へ行っても大丈夫だなって思った。道東小劇場演劇祭として、恥ずかしくないものをみせられるって。




fes3-4.jpgこちらは動物園のアフタートークの様子。「ホンが破綻しているんだから、あなたたちももっと破綻して!」。歯に衣着せぬトークで会場を沸かせました。


松本:木野花のアフタートークも面白かったですよね。やっぱり見せる、聞かせる、でね。

 

富永:そうですよね。木野花は、この演劇祭を皆にみせたいって言って、本当に東京公演に来たからね。チケットも売ってくれたし。でも、演研の芝居は来なかったけど。(笑)

 

松本:演研、来なかったですか?うちの芝居も来てくれましたよ。

 

片寄:うちだけ来なかった。平田オリザの芝居があまり好きじゃないんだよ。

 

富永:でも、アフタートークの時には、いい評価でしたよ。この芝居、見終わったお客さんが家に帰って、夫婦って何だろうかって考えさせる、そういう小憎たらしい芝居なんだよねって。(笑)

 

松本:うちらは初め台本読んだ時に、どうするの、この本をって。

 

富永:本が破綻しているって言ってたね。

 

松本:それを動物園スタイルでやって、なんとか観られたけど、腹立つわ、あんたたちって言われた。

 

加藤:あの時も作家の人も来たのかい?

 

富永:あれは、東京公演ですね。

 


ag_db1.jpg 劇団動物園「こころゆくまで。」、アゴラでの舞台


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アフタートークゲストは日替わりで。この日は松本修氏。動物園の芝居にかなりのダメだしをしました(^^;)。


松本: 東京公演の時に、僕らのアフタートークは松本さん(松本修)だったんですよ。松本さん厳しいこと言うから、前もって会場に作者がいるからって言っておいた 方がいいんじゃないかって、富永さんに助言もらったんで、言ったら、「聞いててよかった!本のことクソミソに言おうと思ったのに」って。

 

富永:あ、そう。(笑)

 

松本:「いや、良かった良かった。」で、急遽、動物園のことをクソミソに言いました。(笑)

 

富永:いや、あのアフタートークはちょっとね、動物園対松本修って感じで、客席を無視してダメだしをしていたよね。(笑)小さな声で「ここはこうした方が良いよ」とか言って、お客さんから聞こえませんって言われた。(笑)

 

加藤:あれは、東京でやった時は、装置とかは大変だったの?

 

佐藤:いや、極力減らしましたね。

 

松本:畳も用意してもらって。

 

富永:そうそう青年団で用意してくれて、ちゃんと包丁を刺すところも決めてあったんでしょう。ここだけしか刺さりませんよって。

 

松本:そうです。

 

富永:東京は3日間でしたね。1日3本ずつ、順番をかえて3日間。

 

松本:3日もやりましたっけ。

 

富永:3日やったね。1日目のゲストが鐘下辰男、2日目が松本修、3日目が平田オリザ。

 

加藤:鐘下さんの時のあれは、電信柱の話ばっかりしてたね。

 

富永:鐘下は1回目の時と違って、1回目の時はあんなに台本に付箋をつけていたのに、行き当たりばったりトークだったね。(笑)

(※北芸の使っている電信柱は、道に落ちているのを拾ってきたもので、リヤーカーで運んだという話題で盛り上がった。)


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こちら、劇団北芸「この道はいつか来た道」、アゴラでの舞台


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北芸のアフタートークは鐘下辰男氏。話題の中心は電信柱。このトークを聞いた人は、北海道ではみな、木の電信柱を見つけて勝手に切ったり、それをリヤカーで運んだりしていると誤解されそうで、ちょっと不安になりました(^^;)。



片寄:東京公演はトークということでは、あまり印象がなかったね。僕らの時は、平田さんは自分の本だからあまりそういう話も出来なくて。

 

富永:演劇祭全般の話になりましたよね。

 

松本:僕らが嬉しかったのは、ひらたよーこさんが観てくれて、褒めてくれたことですね。よーこさんが「彼らは野獣だね」って言って。(笑)決して褒められた感じはしなかったんですが、嬉しかった。

 

加藤:初めて北海道新聞の加藤さん(加藤浩嗣記者)が、僕らの芝居を観てくれた。

 

松本:え、そうでしたか。

 

加藤:そう。それで「私のベストワン」で、東京で観たものを書いてくれたんだよ。

 

富永:あの時は、ずっとついてくれて取材して、大きく記事にしてくれましたよね。

 

加藤:それから、観てくれるようになった。それまでは北芸を観ていなかったし、私も加藤さんのこと知らなかったんだよ。

 

片寄:加藤さん、打ち上げで酔いつぶれて帰ったんだけど、外で寝てて大変だったよ。

 

富永:は、ははは。(笑)

 

片寄:東京公演も三日間で、四日泊まったわけでしょう。みんな交代で、一日は必ずアゴラの上で泊まったでしょう、順番で。

 

松本:はい、はい、そうでした。

 

中村:あれ、何月でしたっけ?

 

片寄:10月。

 

中村:湿度がすごく高くって。Tシャツが稽古でグショグショになって、本番の時までに乾かなかった。これが東京の湿度かって思った。

 

加藤:あの時にハーモニカを吹いたのが、三橋って言う作曲家なんだけど、釧路で吹いてもらって、東京に行かないかって言ったら、行くって言うから、吹いてもらった。アゴラでは、どこで吹くかって考えたんだよ。

 

富永:ああ、そう、舞台の上のギャラリーのようなところで吹きましたよね。

 

加藤:青年団の人に、あそこの上で吹いていて、違和感がありそうなんだけど、なんか成立していたって、言われたのが印象にあるね。

 

松本:お祭りでしたね、第三回も。

 

片寄:第三回はその後もあったでしょう。年明けてから。

 

松本:え、

 

片寄:阿寒へ行ったでしょう。

 

松本:あー、あー。

 

片寄:打ち上げと反省会、そして今後どうするか、話し合いをしましょうって。

 

松本:あ、そっか。

 

富永:そしてうちの団員が大喧嘩をしてね、誰か忘れたけど。(笑)

 

(つづく)



ag_en1.jpg劇団演研「隣にいても一人」、アゴラでの舞台

ag_en2.jpg演研のアフタートークは、平田さんの司会で三劇団の代表が舞台に。平田さんは「東京だけが演劇の中心ではないと観客に知ってもらうことは、東京で劇場を経営する人間の社会的役割だ」と言って、道東小劇場演劇祭inアゴラを締めくくってくれました。

座談会その9

9月に入りました。演劇祭まであと一ヶ月。今月は動物園の公演がありますね。松本さんの稽古日誌も快調なので、芝居の仕上がりも期待出来ます。
動物園の皆さん、頑張って下さい!

さて、座談会の方は第3回演劇祭に入りました。

FH020022.jpgこちら、会場となった今はなき「波止場の芝居小屋」です。
さてさて、どんなお話が飛び出したでしょうか?


fes3-1.jpg受付の様子です。ここから階段を上がって、2階が劇場でした。う〜ん、懐かしいです。



第3回演劇祭について

 

富永:さて、どんどんいきたいと思います。3回目は会場が帯広ではなく、釧路になったんですが、あれはどうして釧路になったんでしたっけ?

 

加藤:「波止場の芝居小屋」があるんだから、ここでやったらいいんじゃないかって、なったんじゃなかったか。

 

松本:あれで(波止場の芝居小屋が)サヨナラですよね。

 

富永:いや、違いますよね。

 

加藤:いや、サヨナラではないんだけども、サヨナラかも知れないって、言われたんだよ。

 

富永:ああ、そうか、それがあったのか。もしかしたら、もう芝居小屋が無くなるかもしれないから、「演劇祭」をやりましょうってことになったのか。

 

森田:1998年に出来て、5年ですからね。

 

松本:まだ動物園は持ち小屋なかったので、持ち回りってことで言えば、北見は無理なので、釧路でって。

 

中村:その時点で、東京公演は決まっていたんですか?

 

富永:はい、平田さんから「道東小劇場演劇祭」を東京でやらないかって言われて。

 

中村:最初から釧路と東京でやることになっていた。

 

富永:そうですね。セットでやることになっていた。

 

松本:それで木野花が来たんですね。

 

片寄:まあ、第3回はとにかく地震ですよ。

 

松本:本当にそうですね。

 

富永:地震で中止とか、頭になかったですよね。釧路まで行ければ、出来ると思っていた。冷静に考えれば、あんなに大きな地震があったんだから、演劇祭やっている場合ではなかったかもしれないけど。自粛しようという様な感覚が全然なかったじゃないですか。

 

松本:いや、無かったですね。

 

加藤:いや偶然かもしれないけど、何も小屋に影響がなったんだよ、あの地震は。機材一つ壊れてなかった。

 

松本:あの近辺、結構すごかったよね。

 

富永:そうそう、港のそばだから津波がくるとか言ってって、のりちゃんに出来るの?ってメールしたら、今警戒区域になっていて立ち入ることが出来ないって返事が来た。

 

加藤:うん、最初はね。

 

中村:周りの家の壁が崩れてましたよね、芝居小屋の近くの。

 

富永:いや、国道も、途中の道路で路肩が崩れてったよ。前の日に釧路入りした大久保(アフタートークの司会)は、国道が通行止めになっていて、ぐるっと迂回して行ったからね。

 

中村:苫小牧では、コンビナートで火災があったし。

 

富永:へー。リハの時も、ぐらぐら揺れたもね。何回も余震があって。

 

片寄:揺れた、揺れた。

 

富永:よく本番中、揺れなかったよね。

 

松本:いや、動物園のとき揺れましたよ。

 

富永:あ、そう。アフタートークの時に、ぐらっと来た記憶はあるけど。

 

片寄:いや、動物園の芝居で「地震が来たら」ってセリフがあって。

 

松本:そうです。その時に、「地震来たら、俺は一番最初に好きなもの食べるタイプです」、「いや、俺は最後までとっておくんだ」って後のシーンでぐらっと来たんですよ。それで、全然関係ないシーンでお客さんがどっと笑って、僕らは一瞬固まって。

 

富永:あ、そう。(笑)

 

松本:これは参ったというのを、覚えてますよ。



fes3-2.jpg木野花さんを囲んで。このとき皆、一緒に写真を撮ってもらいましたね(^^)。



加藤:あの時に、木野花がすごく構えてたね。

 

松本:そう、構えてましたね。

 

富永:まあ、知らないところに来るんだからね。

 

加藤:いや、別役実をやるって言った時にね、「これ、観たあとに何を言えばいいの」って。

 

松本:一番最初に言ってましたよね、打ち合わせの時に。最初に、「あの、どこまで話したらいいの?アフタートークで」って。

 

富永:そう、そう「みんな楽しい雰囲気でやっている時に、厳しいことを言っても場違いだから、どのスタンスで言ったらいいの?」って。

 

松本:で、片寄さんが「思ったことを言って下さい。何でも結構です」って。(笑)

 

加藤:特に別役実をやるってことになっていたから、別役さんの芝居なんか、

 

松本:別役の芝居は失敗すると思ってたんでしょうね。

 

加藤:別役の芝居をやるのを見たってしょうがないんじゃないかっていう気があったんじゃないかな。それが印象に残っている。

 

富永:ああ、そうでしたか。

 

加藤:だから、僕も茶化ながらじゃないけど、「今日やらなきゃいけないから、じゃあセリフを覚えます」って。(笑)

 

松本:わははは。(大笑)ここ、使えますよ!

 

中村:それがトリでしたものね。それと黒テントの人たちも(黒テントの釧路公演を)終わって、来てましたよね。

 

富永:そうです、そうです。満員だったもの、超満員でしたね。

 

森田:ご苦労かけましたね。

 

片寄:あのね、一応、舞台監督を僕がやっていたでしょう。客席どれくらいつくるかって聞いた時に、北見や帯広と同じくらいだって言うから、そんなことないでしょって、これが小屋の最後かもしれないって言ってるわけだから、そんなわけないでしょう、いくら地震でもお客さんもっと来るんじゃないのって言ったら、森田さんが、「いやいや、大丈夫、大丈夫、来ないから」って言って、そうしたらお客さんどんどん来るし。それでも俺あの時に、もしかしたらお客さん来て、座布団足りなくなったら困るから、みんな自分の車から座布団を持ってきてって、言っておいたんだよ。それが正解で、桟敷席を一列足して、また一列足してで、ぎゅうぎゅう詰めだったんだよ。

 

松本:僕最前列で観ました。もしかしたら観られないかもしれないって言われて。

 

佐藤:私は立ち見で、それも物陰で声しか聞こえない位置で観てました。


(つづく)

 


fes3-3.jpg初日、打ち上げの様子。


座談会その8

はい、金曜日です。座談会、どんどん行きたいと思います。
今回も第2回演劇祭のお話です。演研の演目は「隣にいても一人」、青年団から大塚さんが客演してくれました。
その時の話が続きます。では、どうぞ!



fes2-5.jpg演研のアフタートークは大塚さんもステージへ。


第2回演劇祭のつづき

 

加藤:あの時、端から見ていて、大塚さんが来てくれて、なんて言うのかな、役者の幅が広がったんじゃないかな。見ててはそんな感じがしたね。

 

富永:ああ、それはありますね。

 

加藤:僕らなんか、その頃も言ってたんだけど、片寄さんの言う通りばっかりやんなくてもいいじゃないかってね。

 

富永:ああ。

 

加藤:陰で。(笑)

 

富永:そうですね。どちらかというと役者同士の関係性というよりも、演出にどうみせるかを主眼に置いていた感じがありましたね。大塚さんに来てもらって、役者稽古の時などに、大塚さんから、こっち見て芝居をしなさいとか言われました。(笑)

 

加藤:役者同士の関係の中で、柔らかくなったというか、広がった感じを受けたの、あの芝居を観て思いましたね。

 

片寄:それは全くその通りで、皆は僕に向かって芝居をするから、そうじゃないんだ、役者同志なんだって言ってるけど、どうしてもこっちを向いて芝居をする。大塚さんとやるとそうじゃない。あれで随分、役者の幅が広がった気がするね。

 

加藤:それから言葉がすごく当たるようになったんだよ、役者同士で。その辺が随分広がったような気がした。

 

片寄:うちの芝居をずっと観てくれている人は、僕の演出の芝居を観てるっていう感じだったけど、あれ以降、役者の芝居が観られるようになったって言ってましたね。

 

加藤:僕らは、森田なんかとよく言ってたのは、帯広の芝居は片寄さんのきっちり演出するところがすごいなって言っていたわけ。そのすごさ、丁寧さは大事なんだけれども、役者がもっと伸び伸びしていないといけないんじゃないかっていうのを感じてた。こっちは、というか私なんかは、まるっきりその辺りがダメで、演出する時に。

 

富永:でも、(役者で)出ているとしょうがないですよね。

 

加藤:いや、それだけじゃなくて。やっている最中に、いろいろ言われるとムッとくる。(笑)僕なんかは、舞台の上で変わってくるというような考え方をしているから、もっとお前らやれよってけしかけていた時もあった。それがあの芝居で、随分柔らかくなった。


 

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メガストーンの楽屋で、終演後。


片寄: あの時に芝居が変わった一日というのがあった。動物園の芝居があるから、それを観に行って稽古しないという日があったんだけど、役者たちは、折角大塚さんが来ているから稽古しますって言って、役者4人だけ帯広に残って、稽古をした日があった。で、観て帰ってきて、稽古場に顔を出したら、ちょっと空気がね、入っていけないような空気が4人の中にあって、これなんかあったなって思った。それで、次の稽古の時にはコロッと変わっていた。うちの役者3人が劇的に変わったという瞬間があったね。

 

富永: あれは、大塚さんが稽古を始める前に、ちょっと集中しようと言って、ワークショップ的なことをやったんですよ、確か。「まず、目をつぶって下さい。今、あなたは通りの真ん中で真っ裸で座っています。皆に見られて恥ずかしい。それを想像して下さい」って言って。「恥ずかしい、皆に見られて。真っ裸で恥ずかしい。だけど、あなたのからだの中に、小さは明かりが灯った。そして、その明かりがだんだんだんだん大きくなっていく。その明かりが身体から溢れ出てくる。今度はそれを見た人たちが、喜んでいる。その明かりが見ている人たちを包み込んでいって、みんなを幸せにする。」で、最後に「それが役者だ」って言ったんだよね。

 

中村:う〜ん。

 

富永:今、大分端折って言いましたが、こういうことを段階を踏んでやったんですよ。役者って言うのは、見ている人を幸せにするんだということを教えてもらった。

 

加藤:どうしたらいいのかは分からないが、役者同士のやり取りが深まる瞬間というのがあるね、やっていると。

 

片寄:大塚さんのお陰で、うちの役者たちは本当、良くなったね。


(つづく)


fes2-8.jpg演劇祭、終了後の集合写真です。何故かゲストの坂手さんが一番後ろの目立たない所に(^^;)。


座談会その7

今日はちょっと涼しかったですが、ここ何日か暑かったですね、北海道!
はい、第2回目の続きからです。下の写真、動物園のアフタートークは全員出てたんですね(^^)。

fes2-6.jpg劇団動物園上演後のアフタートークの様子。ゲストは燐光群主宰、坂手洋二氏です。

 



第2回演劇祭のつづき

 

富永:それで、動物園は、何か思い出があります?

 

松本:動物園は、菜美ちゃんが演劇祭で女優をやりました。(笑)何か楽しいことありました?

 

佐藤:楽しいこと?

 

富永:菜美ちゃんは、いつ動物園に入ったんだっけ?

 

佐藤:入ったのは、96年です。

 

富永:じゃあ、この時は6年経っていたんですね。で、それまでに舞台は何回くらい立っていたの?

 

佐藤:1回ですね。

 

富永:あ、「グリーンルーム」だ。そうか、6年いて、2回目の舞台だったんだ。

 

加藤:何やったんだっけ?

 

佐藤:「東京大仏心中」です。

 

富永:竹内さん(竹内銃一郎)のね。それ、竹内さんが演出して、佐野史郎と中川安奈の2人でやったのを、坂手さんが観たって言ってましたね。

 

松本:そう、素直につくったらこんなにいい話だったのねって。(笑)

 

富永:竹内さんはわざと分かり難く、分かり難くつくるからって、言ってましたね。

 

佐藤:一回目の時はスタッフだったので支える側だったんですが、それが一転して舞台に立つ側になって、すごく緊張もしたんですが、お客さんの空気をどーんとストレートにもらって、これかって感じはすごく覚えています。

 

富永:なるほど。

 

佐藤:お客さんが助けてくれるっていう感じを実感しました。

 

松本:うちは北見で初めてやって、それを片寄さんに観てもらって、アドバイスをもらって、つくり直して、それでお客さんに観てもらって、また変わっていって、随分自分たちの中でも変わっていったという印象のある作品でした。

 

加藤:帯広は何やったんだっけ?

 

富永:「隣にいても一人」です。僕らは、話すと長くなりますよ。(笑)

先ほど第一回目をやる時に、青年団の舞台上舞台の作り方を教えてもらったって言いましたが、青年団の幕別公演の時に、佐久間さんが亡くなって「隣にいても一人」が出来なくなったことを話したんです。その時に、あれは、平田さんが言ってくれたんですよね、青年団の役者を使ってやったらいいんじゃないかって。

 

片寄:打ち上げの席で平田さんが、やりたい人って言ったら、結構手を挙げてくれて。俺はその時、うちの団員はやりたがっていたけど、俺は、そんなプロの役者を素人が使うなんてことは考えられなかった。ありがとうございますって言ったけど、やる気はしていなかった。

 

富永:まあ、ちょっと考えられないですものね。

 

松本:今でも考えられないですよ。

 

片寄:ただ、富永たちがやりたいって言ったんだよ。



fes2-5.jpg演研のアフタートークは客演の大塚さんも参加しました。


松本:すごいよね。うちで言えば、僕がイヤだって言うのにこの2人(中村、佐藤)がやりたいって言うことでしょう。すごいよね、きみら。(笑)

 

富永:でも、来てくれるって言うんだから。そんなこと有り得ないでしょう。

 

松本:有り得ない!

 

富永:でしょ。それを、来てくれるって言うのを断るのはおかしいじゃない。

 

松本:でも、勇気あるよね。

 

片寄:それは役者だからだよ。役者と演出の立場は違って、

 

富永:ああ、それはそうですね。

 

片寄:演出は、役者がどんなに上の人でも、それ以上に、上にいて作品を創っていかなければならないんだから。これは・・・と思って。大変だったね。

 

富永:それで大塚さんに来てもらって。

 

加藤:大塚さんの前に、やっているよね。

 

片寄:はい、それは初演ですね、佐久間がやったの。演研芝居小屋で。

 

加藤:俺、それを観てるね。

 

片寄:はい、観に来ています。

 

富永:それで、大塚さんはちょうど佐久間さんと同じ歳だったんですよね。だから、大塚さんに来てもらいましょうって、言ったのを覚えています。まあ、何せ二回目は大塚さんに来てもらったということが、大きかったです。最初に読み合わせした時に、なんて言うかな、その・・・

 

松本:プロだなって感じ?

 

富永:まあ、あまりプロ、アマって言うのもあれだけど、それを生業にしている人としていない人の覚悟の違いっていうのは、すごいなって思った。最初の読み合わせで、すごくショックを受けた記憶があるもの。

 

加藤:いや、向こうは向こうでやっぱりさ。

 

富永:そうそう、あとで聞いたら、大塚さんもかなり緊張したって言ってましたね。(笑)

 

片寄:それと、青年団の役者さんだから、僕らの感覚だと、青年団風の芝居と思ってたでしょう。その時はよく知らなかったけれど、大塚さんは元々他でやっていて、あとから入った人だったんだよね。

 

富永:安部公房スタジオにいたって言ってましたね。

 

片寄:あまりにも青年団的な芝居じゃないので、どうしようと思って、演出として。あそこまでのレベルに、みんなを上げるというのは無理だし、この、役者のよって立つ土台の違いをどうしていこうかって、途方に暮れて、辛い思いをしましたね、最初は。

 

富永:まあ、それでも、稽古終わったら飲んで、終わったら飲んでを繰り返しているうちに、気心が知れてきて、作品も出来たという感じでしたね。そう言うのって、大事だよね。

 

片寄:二回目は、旭川から松井さん(松井哲朗氏)が観に来て、動物園の芝居を大絶賛だったね。

 

松本:ああ、言われた記憶があります。間違いなく君は片寄くんの子だねって。

 

片寄:僕らは、芝居のことより本の内容のことばかりを言われたね。

 

富永:まあ、平田オリザが書き下ろしてくれたってことで、どうしても本の話になっちゃうんだよね。まあ、坂手洋二は、とにかく本のことを言っていたね。

 

松本:坂手さんは、基本、本のことが多いですね。

 

富永:ああ、そうだった?

 

松本:そうですよ。うちらも本のことを言われました。やっぱり書く人だなって、印象がありましたね。

 

(つづく)


fes2-4.jpg麗しき受付嬢たち+O塚さん、です(^^)



座談会その6

座談会も第1回演劇祭の話も終わり、第2回目の裏話に突入です。
はい、まだまだ続きますよ〜。

fes2-1.jpg第2回演劇祭、開始直前。みんな集まり、最終確認。


第2回演劇祭について

 

富永:では、次に第2回目の話をしていきたいと思います。それで、一回目終わった後、私が、舞台塾のことを佐久間さんのあとを引き継いでやったんだけど、市役所の担当の人にいわれたのは、あと3年続くから毎年やってくれないかって言われたんです。当初は、それぞれの劇団の活動もあるから、3年に一回くらいにしようと言ってたのが、まあお金もらえるのなら、毎年やりましょうかってことになった。

 

片寄:10月17日のうちの稽古日誌によると、「文化課の酒井氏から、今回の演劇祭の成功により、来年度以降も同様の事業を道の方に申請している。三劇団で来年の演劇祭をするかどうか話し合う前に、予算申請をするのは時期早々じゃないか。予算が付いてしまうと演劇祭をやらなくてはいけない状況になってしまうのではないか」という話が出ています。ですから、終わってすぐにまたやってくれって言われたんですね。

 

富永:で、やることになったんですね。

 

片寄:あのとき聞いたのは、第一回目だから札幌から結構観に来たんだけど、実際に道東の三劇団の芝居を観たことがない人たちで、道東でこんなにレベルの高いことをやっているとは知らなかった。道の文化財団の人も、あれはすばらしい企画だったから、来年もやってくれと市の文化課に言ったと聞いています。

 

富永:それでやることになって、アフタートークが目玉だから、ゲストをどうしようかってなったのですが、動物園が札幌で遊戯祭に出たのはいつだっけ?

 

松本:演劇祭は2001年で、その翌年の2月にやったんです。

 

富永:2月にやったんだ。それで坂手洋二さんがその遊戯祭のゲストで来てたんでしょう。

 

松本:そうです。

 

富永:そうするとすぐだったんだ、演劇祭が終わって。

 

片寄:あの時も、道東小劇場演劇祭で札幌の遊戯祭に参加してくれって言われたんだけど、僕らそんなにすぐには出来ないよって断った。動物園は3人だし、若いし、小回りが利くから、代表として動物園を差し向けますって言った。

 

松本:あれは札幌からオファーがあった時に、帯広の片寄さんから動物園の名前が挙がったんですけどって言われたんです。最初は、行きませんよって言ったんですよ、札幌でやることは考えていないのでって。でも、どういうつもりで片寄さんが言ったのか分からなかったので、ちょっと待って下さいって言って、メンバーと話したんですが、スタッフもいないし無理だろうって。

 

富永:そうだよね、スタッフがいなければ無理だよ。

 

松本:いや、いても札幌でやる意味が僕らの中でなかった。で、片寄さんに電話して、こんな話いただいたんですけどもって話した時に、片寄さんが言ってくれたのは、一回やってみるのも勉強じゃないかって。でも、受け入れとかも、帯広でやってくれたようなことは望めないって話したら、まあ一度やってみて、それから、またやるやらないを決めればいいじゃないか、経験としてやってもいいんじゃないかって言葉をもらったので、分かりました、行ってみますということになって、スタッフとかも演研に手伝ってもらったんです。

 

富永:本当にすぐだったんだ、演劇祭が終わって。

 

中村:こっちも嫌々だったんで、いろいろと注文つけさせてもらいました。(笑)

 

松本:そうそう。

 

中村:畳もそっちで用意して、寿司も用意してって、お願いして。

 

松本:全部やりますって言ったものの、結局電話でひっくり返るんですよ。畳はそちらから持って来ることになってましたよねとか、でもそこは強気で、じゃあ行きませんからって。(笑)

 

富永:それは、あそこでやったんだよね、古いコンカリーニョで。

 

中村:そうです、そしてその時のゲストが坂手さんで、親しくお話しさせていただいた。

 

富永:あれだよね、坂手さんの評価が、遊戯祭に参加した中で一番よかったわけでしょう、動物園が。

 

松本:いや、他がとんがった作品ばかりだったんですよ、前衛的と言うか。その中で坂手さんが唯一ホッとしたんだと思いますよ。(笑)

 

富永:まあ、オリジナルで、あまり訳の分からないことをやられてもね。(笑)じゃあ、2月の時点では、坂手さんにゲストで来て下さいって話をしていないのだから、まだ正式に第2回目をやるって決まっていなかったんだね

 

中村:そうですね。

 

富永:それで3月か4月くらいに、いよいよ予算がついたのでやりますかってなって、じゃあ坂手さんと面識があるので、じゃあってオファーしたんだよね。でも、その年の秋なのに、よくスケジュール空いてたね。

 

中村:そうですね。

 

富永:そうそう、でも、OKの返事が来るまで長かったよね。なんか燐光群(坂手氏が主宰する劇団)の中国公演があるとかないとかで、それがはっきりするまで待ってくれと。

 

中村:でも、結局は来てくれましたね。


 

fes2-2.jpg北芸のアフタートークの様子です。



富永:で、二回目は、ゲストに坂手さんに来てもらって、北芸が何でしたっけ?

 

加藤:「いかけしごむ」

 

富永:そうそう、新人の女の子が出ていた。

 

森田:ああ、みっちゃん(福山美智子)。

 

富永:彼女は北芸の劇団員でしたか?

 

森田:そう、劇団員。その前の公演の時に、徳子さん(佐藤徳子)の代役をやってもらった。徳子さんが具合悪くなって、急遽一週間くらいでやってもらったの。

 

富永:へー。

 

森田:全部セリフ覚えてもらって。

 

加藤:それは「カラカラ天気と五人の紳士」だったね。

 

富永:じゃあ、その徳子さんの代役をやったのが初舞台ですか。

 

森田:はい、そうです。

 

富永:じゃあ、「いかけしごむ」が2回目の舞台ですか。それは釧路でやって、その次演劇祭でやったんですか?

 

森田:はい、はい。

 

富永:で、二回目の演劇祭は何か思い出がありますか?

 

森田:あ、あのね、公園でやったんですよ、稽古。

 

富永:へー。

 

片寄:中央公園へ行ってね。なんか練習不足だからって。

 

富永:あ、あ、他の劇団が会場を使っている時に。土曜日に動物園がリハをしている時に、公園に行ったんですか。

 

加藤:幕開きの登場を直前に決めたんだよ、「いかけしごむ」は。最初に客席から登場した。それを、坂手氏は良かったって、言ってくれたんだよ。それと、アフタートークの時に、「この黒い袋の中に何が入っているんだ」って聞かれたから、「イカですよ」って答えたら、苦笑いをされた。(笑)

 

富永:は、は、は。(笑)イカは入っていないでしょう。

 

(つづく)



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客席作りで疲れたのか、皆さんダウンです(^^;)。


座談会その5

オリンピック終わりましたね。史上最多のメダル獲得数、すばらしいです。今回はチームの力を再認識しました。
さて、わが道東小劇場ネットワークもチーム力で、すばらしい演劇祭にしましょう!
ということで、座談会、テンポ上げていきます。


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(劇団動物園、佐藤菜美)

第1回演劇祭のつづき

 

富永:第1回目の演劇祭ですが、他に印象に残っていることはありますか?

 

松本:打ち上げの時に、初めて片寄さんの目の前に座って、2人でウォンウォン泣きながら、語ったのを覚えてますね。

 

富永:それは何で泣いていたの?

 

片寄:いやだから、うちの状況からすると、小屋が無くなって、佐久間が死んで、どうしようかって言う時に、あのまんま立ち直ることが出来なかったのかもしれない、それは。演劇祭をやることに決まっていたから、意地でもやらなきゃならないってやった。そして演劇祭が成功したというか、よかったから、これをやることになっていたお陰だって。忘れもしないけど、大悟と菜美ちゃんがいて、三人だったの。三人で泣いていた。

 

富永:覚えてる?

 

佐藤:なんとなく。で、富永さんが「こいつら泣いてる」って。(笑)

 

富永:ちゃかしてた。(笑)俺、そういうタイプだからね。

 

中村:我々もその時、団員が三人でしたし、自分たちだけでは出来なかったし、帯広公演は。ぞんちゃん(福澤)にも手伝ってもらったし。お互いにスタッフやりあえるというのは、大きな感慨があったと思います。

 

松本:初めてでしたよ、他の集団のスタッフをやるのは。

 

片寄:それはお互いに、全然手伝ってスタッフをやっているつもりではなかったでしょ。三つの劇団で、三つの芝居を創っていた。まるで自分の劇団の公演のように、他の劇団のスタッフをやっていた。それがすごく楽しくって。こうなったのは、やっぱりその前の十年間の交流があったからだと思うし、我々は道東小劇場ネットワークという一つの劇団のような一体感を持てたことが、嬉しかった。それもあって泣いたんだけど、その後は泣いてませんからね。(笑)

 

富永:みんな、大通茶館の2階に泊まったんだよね?

 

片寄:そうそう。

 

富永:そうか、それで、その後大通茶館に帰ってきて、あの大通のど真ん中で「俺はもう死んでもいい」って。大通のど真ん中で大の字になったのか、覚えてます?

 

片寄:覚えてるよ、俺と坪井で。

 

松本:片寄さんだっけ。馬鹿なことしていた人がいたけど、あれ片寄さんか。

 

片寄:そう、大通で大の字に寝た。

 

松本:一回目は大成功でしたよね。

 

富永:なんか一体感があったよね。終わった時に成功だ、という感じがしたものね。



fes1-3.jpg中打ち上げは大通茶館で。確かに人数多いですね(^^)


片寄: さっき言ったけど、我々の立場からすると、ちょっと存続というか、どうなるか分からないなかで、終わった時にいろんなことが去来したし、やっぱりやっていて楽しかった。一番は、鐘下のアフタートークだったと思うね。あれを聞いて、それ以降はアフタートーク楽しみで来るお客さんがすごく多い。鐘下の話はとても面白かったし、特に動物園には具体的にすごくダメだしをして、演出してもらったわけでしょう。(笑)

 

松本:うちは、鐘下さんと大塚さん(青年団の俳優、第2回演劇祭で演研に客演)ですね。お二人の言葉がすごく大きかった。鐘下さんは演劇祭のこれからということも語ってくれましたね。こういう方向性でやった方がいいんじゃないかとかね。

 

片寄: 土台が出来るまでは他は入れないで、自分たちだけでやりたいなって、思っていて、そこに鐘下が「道東小劇場演劇祭に参加するってことが、一つのステータス になるように質を落とさないように、他はしばらく入れないで、三劇団でやった方が良いよ」って言って、我が意を得たりと思った。僕たちは三劇団とも既製の脚本で、きちっとした芝居をやっている。オリジナルをやっているところは、なかなか、

 

加藤:片寄さんが既製できちっとやるって言っていることが、案外理解できないってことがある。それは、オリジナルの方がいいに決まっているじゃないか、という考え方があるからあるからね。

 

松本:結局、作家性か、演出力かって、話になりますよね。

 

加藤:芝居そのものの充実を、オリジナルにせよ、既製にせよ、ちゃんとやろうよということだと思うんだけど。

 

松本:そこですよね、言いたいことは。

 

加藤:それは、僕らは一生懸命やっていたんじゃないかと思う。ただ僕ら、今一回目の時に、お互いのスタッフをやったという話だったけど、北芸は出来ないってこともあって、外回りを。(笑)

 

片寄:寒いのに、外で駐車場の誘導をやってもらった。

 

富永:そうそう、メガストーンの前の駐車場は、使えなくて、ちょっと離れたスーパーの駐車場に止めてもらって、誘導したんだ、お客さんを。

 

加藤:それを一生懸命やったんだよね。

 

片寄:一番、夜の寒いときに、肉体的一番大変なときに、一番歳の集団に・・・(笑)

 

加藤:でも僕らにしてみれば、それしかやることがないし。(笑)そういう意味では一体感があったよね。

 

松本:今度の演劇祭は、なにがしかの負荷がないとダメですね。楽になっちゃているから。

 

富永:今は、客席を作る必要もないわけだしね。

 

(つづく)

fes1-2.jpgバラシが終わった後で、皆で記念撮影。皆さん、お若い!!


座談会その4

8月も中旬になりました。いよいよ演劇祭まで、2ヶ月を切りましたね。
座談会はいよいよ第一回演劇祭についてです。今だから言える話がぽんぽん飛び出しました(^^)。
はい、お楽しみに!


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(劇団北芸、森田啓子)


第1回演劇祭について

 

富永:さて、ここからは、今まで6回の演劇祭のそれぞれの思い出を話してもらいたいんですが、まずは1回目。口火を切りますか、松本さん。

 

松本:楽しかったですよね、純粋に。自分たちが演劇祭をやるんだということが。それで結果、どうなるか着地点が全く分からなかったのですが、まずお客さんが本当にしっかり観てくれたし、アフタートークが面白かったですね。

 

富永:ああ、鐘下(辰男)さん。

 

松本:1回目の鐘下さんは本当に面白かったな。

 

富永:鐘下(十勝出身。後輩なので呼び捨てになってます。失礼)は、多分、里帰りで来るわけじゃない。だからプレッシャーがあったと思う。あらかじめ台本を送っているんですが、それをめちゃくちゃ読み込んでいて、台本に付箋がいっぱい付いてたんですよ。

 

森田:ええ。

 

富永:で、北芸の時には、「このセリフはなかったですが、このセリフは・・・」って、なかったセリフの解説までしていた。(笑)

 

加藤:忘れちゃったんじゃないか。

 

森田:一番好きなセリフだったのにとか言われて。(笑)

 

松本:ああいうアフタートークっていうのは漠然としていて、どのようになるか分からなかったんですが、

 

富永:やったことなかったからね。

 

松本:ええ、それで中央で、第一線で活躍されている方から批評されることは純粋に面白かったですね。そこで、鐘下さんは、僕たちがこれまでやってきたことだとか、この演劇祭にかける思いなんかを、アフタートークで語ってくれたので、本当にありがたかったです。衝撃的でしたね。

 

富永:ああ、なるほど。

 

松本:大体、僕らみたいな若輩者の集団が、こんなおじさんたちの集団(笑)と一緒にやるってことが、肩並べてやるってこと自体どうかなって。まあふた開けてみれば、2集団が僕らに追いついてなかったっていう。(笑)

 

富永:たいしたことなかった。(笑)

 

松本:はい、ここカットですよ。(笑)

 

中村:公演順は、釧路からでしたっけ?

 

富永:いや、動物園から。

 

松本:動物園が一発目にやって、北芸、演研。

 

富永:いや、なんせリハーサル時間が一番とれるのが、土曜日だから、そこは動物園。

 

加藤:日曜の昼だね、僕ら。

 

富永:そうです。

 

松本:僕ら、一番おいしいところをとって、さあ終わった、あとは飲むだけだって。(笑)

 

富永:土曜日にやる劇団はいいんだよね。次の日は何もないからね。

 

片寄:5回目の演劇祭、おれたち一発目だったでしょ。こんな楽していいのかと思った。(笑)

 

富永:森田さん、何かありますか?

 

森田:やっぱりそれですよね。一番の思い出は、セリフを忘れたこと。(笑)紅茶を飲んで、ああおいしいわ、これって思ったら、セリフが出て来なかった。

 

加藤:あれの時は、おれと森田だったっけ。

 

富永:そうですよ、「眠っちゃいけない子守唄」です。

 

森田:この時の舞台が3回目なんですよ。「眠っちゃいけない」は。

 

富永:あ、演劇祭でやったのが。

 

森田:97年が初演で、その後再演をやって、その後だから。3回目。だから、慣れてきて、セリフ忘れたんだわ。(笑)

 

富永:(笑)気が抜けて?

 

森田:あそこは魔の時間なんですよ、ずっと緊張してやっていて、紅茶を入れて「ミルクティーですよ」と言いながら、飲むでしょ。

 

加藤:オレが抜いたのか?

 

森田:いえ、私が抜いたんです。すいません。(笑)

 

加藤:やっぱりね、あそこでやって一番は、その前から演研を観に行ったりして、一番強いのはね、演研がお客さんをね、口幅ったい言い方かもしれないが、育てている、お客さんとの関係をちゃんと作っている。そしてさっきも言ったけど、お客さんがちゃんと観てくれる関係になっているっていうのが、すごいなと思う。3劇団とも同じ感じで観てくれて、しっかり感想を言ってくれるっていうのは、釧路との比較でも全然違うと思う。それが一番嬉しく、やっていても楽しかった。だから次も次もいけるなという気がしたんだ。最初にも言ったけど、シンポジウムで、僕らは観あっていますよって、具体的な交流をしているんだということがあると思う。ネットワークの主体になってくれている演研の考え方、やり方が濃いものだし、ずっと続いていければと思った。

 

富永:はい。

 

加藤:それと、僕ら釧路でやっているんだけど、釧路の他の劇団との関係が出来ていないんですよ。未だにそうだけど。

 

富永:でも釧路は、横のつながりみたいのはあるんじゃないですか。劇団協議会みたいのがあって、

 

加藤:協議会はあるんだけども、ちょっと感想というか批評をしたりすると、反発というか、単純に言われるのが嫌だ、みたいな感じがあるだよ。だからだんだん観に行かなくなる。だから、こういう関係で芝居を創っていくというのが大事なんじゃないかな。


富永:なるほど。中村さんは何かありますか?

 


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(劇団動物園、中村聡)



中村:思い出すのは、打ち上げの時の人数の多さですね。

 

富永:ああ、それはそうだね、三劇団集まっているんだから。

 

加藤:お客さんもずい分残っていたよね。

 

富永:メガストーンでやったんでしたっけ?

 

片寄:やっていない。一回目だけ居酒屋でやったの。

 

富永:その時は、お客さんはいなかったね。

 

片寄:お客さんがいたのは、2回目から。残りたい人もいるだろうからっていって、メガストーンで準備してやった。

 

(つづく)


fes1-1.jpg第一回道東小劇場演劇祭、アフタートークの様子。司会は大久保真氏(札幌)が務めました。
ゲストの鐘下氏を囲んで、各劇団の代表がステージに上がりました。

座談会その3

この前まで連日猛暑が続いていましたが、今日は涼しい一日でした。
さて、稽古の様子が演研の記事だけでちょっと寂しいですが、座談会の方はどんどん行きたいと思います。



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(劇団動物園、松本大悟)


前回に引き続き演劇祭開催の経緯についてです。

 

富永:それで、「道東小劇場演劇祭」をやるということが2月の時点で決まっていたんですが、6月に、予定していた会場(演研芝居小屋)が無くなったんですね。あれは確か、5月ごろに坪井と2人で昼間稽古していたんです、春公演の。そしたら測量の人が来て、ここは更地にするからって言われて。

 

松本:それは衝撃ですね。

 

富永:えっ、僕ら使っているのに何も聞いていませんって。(笑)で、結局6月に取り壊しになったんですね。でも、結構大変じゃないですか。9月に演劇祭をやるって決まっていて、6月に会場が無くなるって。それって、すぐに「メガストーン」があるから大丈夫だってことになったんでしたっけ?

 

松本:結構、探すのが大変だったって聞いた記憶がありますね。

 

加藤:あの小屋は何年使ったの?

 

片寄:11年ですね。90年の3月に開いて、2001年の6月ですから。

 

松本:そんなもんだったんですね、もっと使っているかと思った。

 

加藤:そんなもんだよ。そんなもんだって言うのは、そういうエポックというのは、そんなに長いものではないよ。

 

富永:で、僕らの春の公演は、小屋が無くなったことでお流れになってしまったんですよね。

 

片寄:6月の段階で、「メガストーン」の話は出ています。

 

富永:そうだ。夢幻(当時帯広にあった劇団)の青砥くんたちが稽古場に使っていると聞いていたから、そこを会場に使えないかという話は出ていたよね。

 

片寄:7月1日にメガストーンでどうかって皆で打ち合わせをしているんですね。

 

富永:全然覚えていないな。え、皆っていうのは、北見も釧路も来てるんですか?

 

片寄:ええ、北見からも釧路からも来てます。それで、連絡事項で7月7日に動物園がメガストーンを見学に来ますと。

 

富永:7月に会場を見にきていたんだ。まあ、そうだよね。動物園は慎重に公演を打つから、そんなやったことのない、見たこともない場所で急にやれったって出来ないよね。

 

松本:間口のサイズを測ったりした記憶があります。

 

片寄:その時はもう小屋が無くなって、佐久間が死んだあとだよね。

 

富永:え、あ、佐久間さん亡くなったのいつでしたっけ?

 

片寄:6月27日だもの。

 

富永:ああ、そうか。そこが決まってから、また何かあったと思っていたけど、ああ、そうか。

 

松本:佐久間さんの葬儀に来たとき、初めて(芝居小屋のあった場所の)更地を見たんですもの。

 

富永:あ、そっか。

 

松本:ここが更地になったんだって。

 

富永:じゃあ、結構立ち直りが早いじゃないですか?

 

片寄:(苦笑)いや、立ち直ってないって。やることが決まってたから。

 

富永:ああ、そうか。

 

松本:富永さんが畳み掛けてきたんです、このとき。

 

富永:あ、そう。なんで?

 

片寄:だから、皆こんなになってるし、富永一人で何が何でもやるぞって、やらなきゃダメだって、メガストーンなら出来るからって。

 

松本:皆のケツたたいて。

 

片寄:そんなこと言ったって、あそこの会場どうするの?って言っても、オレがつくるから大丈夫とか言って。

 

富永:本当にですか?

 

片寄:富永一人頑張っていた。

 

松本:あの時の富永さんの勢いすごかったですよ。

 

富永:やらなきゃいけないって思ってたんだよね。

 

松本:だからメガストーンの仕込みの時も、絶対手伝いに行かなきゃと思ったし。

 

富永:ちょうどその頃、青年団が幕別公演をしていて、その年は「カガクするココロ」ですか?

 

片寄:「カガクするココロ」の時はまだ佐久間がいたのね。

 

富永:ああ、そうか。

 

片寄:二回目だから「冒険王」。その時に大塚さんも来ていた。その時に舞台づくりのノウハウを聞けば出来るって。青年団は舞台の上に客席をつくっていたから。

 

富永:そうそう、青年団が客席もつくっていたから、それをちゃんと教えてもらったら、メガストーンにも客席が出来るんじゃないかと思ったんだ。

 

松本:で、作りましたもね。

 

片寄:それで9月2日に会場を下見して、照明は会場にあるものを使えそうだ。客電はスナッチライトを持ってきて、演研仕様にすると。客席は、最前列は畳敷き、次の列はカートン。そして平台を組んでパイプ椅子を使うと。そういうことを決めたんですね。

 

富永:それで開催にこぎ着けたんですね。

 

片寄:そうです。

 

富永:オレ実行委員長だったから、潰しちゃいけないという使命感みたいのがあったんだね。

 

加藤:その頃は、まあ片寄さんは別にして、お前が演研の中心になっていたということだね。

 

富永:佐久間さんがいなくなったんで、書類書くことなんか佐久間さんがやっていた、それは僕がやらなければと思っていたんですね。

 

加藤:その前までは、なんとなく大久保と同級生という認識だったんだけど。

 

富永:ということで、第一回の演劇祭が行われたわけですが。


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(劇団演研、片寄晴則)


 

片寄:はい、では、演劇祭仕込みのタイムテーブルを読み上げたいと思います。

 

富永:何ですか?

 

片寄:8時30分、福澤トラクターから4トン平ボディートラックを借り、富永が坪井宅へ。待機していた片寄、坪井、金田でカートン、コンパネ、スポーツ畳を積み込む。

 

富永:ああ、畳ね。

 

片寄:9時、メガストーン到着。さわやかな秋空のもと、宇佐美はトラックの荷台に腰掛けニコニコしている。稲田の資材置き場へ向かう。平台、材木等を積み込み、室内の畳を積み込もうとしたが、富永が家の鍵を忘れる。(笑)

 

富永:・・・(苦笑)

 

片寄:大通茶館から暗幕、工具、布団などを積み込む。畳を敷いて、座布団の天日干しをする。富永はトラックを返却に。宇佐美はコンパネの穴あけをする。11時20分、釧路勢到着。取りあえず昼食。演研は大通茶館へ。11時40分、北見勢到着。客席づくりをする。1時30分、当日のタイムテーブル、役割分担の説明、富永実行委員長より。演研は昼食をとり、釧路はコーヒータイム。動物園はリハの準備。3時5分、北芸、帰路につくと。

 

富永:え、帰路って何ですか?

 

片寄:だから帰ったの、会場を見て。

 

加藤:前の週じゃないか。

 

富永:ああ、そうか、会場を一週間前から借りていたんだ。これは本番一週間前の日曜日の話ですね。

 

片寄:そう。で、3時15分、十勝毎日新聞の取材。4時から暗幕張り。

 

森田:私たちお昼食べただけじゃない。(笑)

 

富永:いやいや、ちゃんと会場を下見してますから。(笑)

 

片寄:それから照明の仕込み。7時、だいたいの仕込みをして、演研は解散。動物園はリハーサル。福澤は動物園の指名で、スタッフをすることになっていたので残留。それで、次の日24日は祭日だったので、僕たちは照明の仕込みや舞台裏の青球の仕込み、配線処理など。2時から照明合わせ。2時30分稽古開始。途中で道新の取材。5時15分からリハーサル開始、6時30分終了ということです。

 

(つづく)

 


座談会その2

早いものですね、あっという間に一週間が経ちました。ふーっ。
さて早速ですが、座談会のつづきに参ります。


IMG_1631.jpg(劇団北芸、加藤直樹)


富永:それで、三劇団の交流が進む中で「演劇祭」をやるきっかけとなったのは何だったのか、自分の中ではちょっとぼやけているだけども・・・。

 

松本:オマエだよ。(笑)

 

富永:いや、オレが言い出したんじゃないかと思うんだけど。(笑)今日の座談会を開くにあたって、その年(2001年)の演研の稽古日誌を読んだんですが、僕が新年の抱負の中で「演劇祭」をやろうと提案をしているんです。で、そこに「動物園が9月に帯広でやりたいと言うので」ということが書いてあったんですよ。つまり、動物園が帯広で公演をやりたいと言っている。どうせなら三劇団で集まってやろうか?という流れになったと思うんだけども。そのへんのことは覚えてる?

 

松本:あの、かなりいろんなことが重なった年じゃないですか。小屋もそうですし・・・。

 

富永:いや、それは演劇祭をやると決まった後じゃない、大変だったのは。

 

中村:平田オリザさんのワークショップなどがあって、いろいろと学んできた頃ではあったと思います。

 

富永:ああ、そうそう。平田さんとの交流の中で、いろいろな情報が入ってきて助成金ももらえるんだということが分かってきた。で、2000年に平田さんに「隣にいても一人」を書いてもらって、その時に初めて助成金をもらったんです。

 

片寄:そもそも前から、どうせなら皆でなんかやろうって話があって、佐久間もその年の抱負で「道東小劇場フェスティバルの開催」と言っている。で、その前の年に舞台塾をやるという話があって、道の方でも市の文化スポーツ財団を通して、帯広で演劇祭が出来ないかって話を持ってきたのさ、オレのところに。

 

富永:はい、はい。

 

片寄:そういう風に言って来たんだけども、僕たちは大きなところ(劇場)では出来ないからって断った。でも、考えて下さいよということで、まあやるとすれば道東小劇場ネットワークで、小さなところなら出来るのではないかということで、最初の予定では「演研芝居小屋」で、2週にわたってやる事にしていた。

 

富永:ああ、動員の関係で、あの芝居小屋だと1週では無理ですものね。

 

片寄:最初は、行政の方から舞台塾がらみでどうだろうかと話が来たのさ。

 

富永:ああ、そうか。それで第一回目の演劇祭は北海道舞台塾の助成を受けているんですね。それは、佐久間さんがやっていたので、それで僕はあまり記憶になかったんだ。

 

加藤:舞台塾というのは、演劇人会議の流れかい?

 

片寄:いや、あれは、堀知事(当時の北海道知事)の公約で、道立劇場をつくるというのがあって、器だけつくってもダメなので、全道何ヶ所かでそういう事業をやって、盛り上げようという話でした。

 

富永:はい、それで秋に演劇祭をやることになって、でも新年の抱負でまだ決定していないんだよね。

 

松本:そうですね、かなり急に決まった感じがありましたね。

 

片寄:まだ決めてなくて、新年会を兼ねて1月13日に集まっているんですね。北芸は都合が付かなかったのですが、動物園は中村君と菜美ちゃん(佐藤菜美)が参加しているけど、そこで演劇祭について話し合いをしたんです。

 

富永:それは覚えてる?

 

佐藤:いや、覚えてないです。(笑)

 

片寄:1月の13日に集まって話しているんです。内容については、(ファイルを出して)えっと、「日程は動物園に合わせ、9月下旬から10月上旬にする。三都市の劇団が帯広で公演を行う。イベントを行う。これはメジャーな人を呼んで、ワークショップをやってもらうなど。イベントは自分たちが楽しめることをする。」ということを決めている。

 

富永:北芸がでていないけど、北芸はもう参加するという前提なんですね。それは覚えています?

 

加藤:いや、いや、覚えていない。まあ、その時は北芸のスタンスは、そっちの方には興味を持っているから、みんながやるならやるというスタンスでした。

 

片寄:それで、2月に北海道舞台塾帯広委員会に助成金の要望書を提出してるんです。

 

富永:ということは、1月13日にはもうやるということになって、2月に助成金の申請をして、だから北芸にはこっちで決めたようにやるという確約をとっていたんですね。

 

片寄:そういう意味では、一番フットワークが軽いのは北芸ですから。(笑)

 

森田:はい。(笑)

 

片寄:一番うるさくいうのは、我々とか動物園だから、こっちはリハーサルがどうのこうのとか、なんか難しいことをいってくる。その点、北芸はやりまーすって言ったら来るから。

 

加藤:参加し始めた頃から、いや今でもそうだけど、リハーサルなんて、僕らやらなくてもいいんだよ、というスタンスだった。(笑)

 

富永:ということは、やっぱり北見が一番腰が重いでしょ。(笑)はい、いいですよってことにならないじゃない。

 

松本:これの1、2年前にはお互いに芝居観たら、いつかこういうことをやりたいねって話は出ていた。あとはこっち(お金)の問題だよねってことになっていた。

 

片寄:だからその前の年に「こころゆくまで。」をやって、あれ面白いからうちの小屋でやりなさいよってことになって、で、それに合わせて(演劇祭を)やろう。僕たちも「隣にいても一人」の再演をやろうっていうことになっていた。

 

富永:そうそう、ちょうど平田さんに書いてもらった次の年で、再演することになっていた。

 

中村:そもそも、「こころゆくまで。」の前まで2年ブランクがあって、持って来れるものがなかったんですよ。

 

富永:あー、2年間何もやってなかったんだ。

 

松本:「こころゆくまで。」に2年かかったんで。

 

富永:あ、つくるのにね。

 

松本:そうです。

 

加藤:その頃、おれたち「メリーさんの羊」かい?

 

片寄:えっと、これ(ファイル)では2月の段階では「魔女物語」になってますね、未定になってますけど。それで、事業形態は北海道舞台塾イン十勝の帯広実行委員会から公的助成をもらう、トークゲストの鐘下も9月29日30日ならOKということで内諾はもらっている。今後の進め方は、市の文化課の酒井係長と文化スポーツ振興財団の事務局との折衝は、佐久間が担当する。その時点で他の2劇団へ、鐘下の招聘と公的助成をもらうということを連絡するのは富永の担当ということになってます。

 

加藤:鐘下さんが来たということは、我々は「眠っちゃいけない」か?

 

富永:そうです。「眠っちゃいけない子守唄」をやってますね。

 

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         (今回進行役、劇団演研の富永浩至)


(つづく)



座談会その1

今年の春に道東小劇場ネットワークの面々が釧路に集まり、これまでの演劇祭を振り返って、座談会を行いました。
その様子を毎週公開していこうと思います。

では、まず第1回目です。

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参加メンバーは、写真左から松本大悟(動物園)、加藤直樹(北芸)、中村聡(動物園)、佐藤菜美(動物園)、そしてこの写真には写っていませんが、片寄晴則(演研)、森田啓子(北芸)、進行役富永浩至(演研)です。場所はジス・イズの二階をお借りしました。

では、始めます。


富永
:皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。今回の演劇祭が第7回目になります。一応、一区切りということで、今日は今までのことを振り返っていたいと思います。

 まずは道東小劇場ネットワークが出来た経緯から話していきたいと思いますが。


片寄
:最初は・・・、北芸の「駅前通り芝居小屋」、あれが出来たのはいつでしたっけ?


加藤:19・・・86年くらいだと思うね。


片寄
: そうですね。それで刺激されて、僕らも作りたいねってことで、僕らの小屋(演研芝居小屋)が出来たのは1990年です。それが出来たことで、お互いに交流が盛んになったっ て言うことです。対外的にネットワークということを言ったのは、北芸の「波止場の芝居小屋」が出来た時にやったシンポジウムだと思います。

富永:そのシンポジウムは何年ですか?

森田:えっと、多分10年くらい前だと思います。

加藤:いや、もっと前じゃないか。地震があったんだよ。その地震でかなり「駅前通り芝居小屋」がボロボロになって、大家にここまだ使えるのかって言われて探したんだよ。それで「波止場の芝居小屋」を作った。平成4年かな・・・。

森田:いや、私その頃東京にいましたから、私が帰ってきたあと、平成10年(1998年)ですね。

富永:そのシンポジウムはどういうものだったんですか?

加藤:うち(北芸)にいた大久保が言い出して、こんなのやったらどうって。

森田:倉本(聰)さんも来て、

松本:僕らも、中村も佐藤も出ました。

片寄:他にもいろいろ、札幌からも来て、

富永:ああ、北海道中から来たんですね。私は出ていませんが、その時に我々はネットワークを作っていると対外的に言ったわけですね。それが1998年ですか、でもその前から交流はありましたよね。

片寄: 北芸とうちらの付き合いは、北山樵兵さん(北芸の元代表)が帯広で「審判」をやった時に受け入れをして、あれは僕が大通茶館を開いてから3年後くらいだから1983年だと思います。その後から我々は釧路に観に行くようになった。だから「出口なし」とか観に行きましたよ。あれはどこでしたっけ、公会堂?

加藤:いや、公民館ですね。

富永:ああ。その頃から北芸と演研は交流があったんですね。

片寄:まあ、一番は大久保(学生時代から演研と交流があった)が釧路に転勤になって北芸に入ったのが大きいかな。その前、北芸が最初に観に来てくれたのは「かごの鳥」(1987年、大通茶館で公演)ですね。

富永:釧路と帯広とは昔から交流があって、北見とは、動物園が帯広に演研の芝居を観に来たのがきっかけですね。その頃は劇団が出来たばかりだったの?

松本:1988年ですね。立ち上げたのは。

中村:「かごの鳥」をもし観ていれば、うちらも同じ時期に交流が出来たんですけど、観られなくて。

富永:え、帯広まで観に来たの?それはどこで情報を知ったの?

中村:いや、バイクで帯広に遊びに来たら、たまたまポスターが張ってあって、大通茶館へ行ったらもう終わりましたと。(笑)それで我々が初めて観たのが、芝居小屋でやった「栄養映画館」です。

片寄:それは「演研芝居小屋」が出来た年だから、1990年だね。

富永:「かごの鳥」のあとも大通茶館で公演はやってるけど、観に来なかったのは?

中村:それは情報が入ってこなかったからです。

松本:それで、初めは僕が一人で来たんですが、大通茶館でやっていると思って行ったんです。そうしたら村上さん(演研の創立メンバー)が出てきてが、ここじゃないよって言って、「演研芝居小屋」の場所を教えてくれたんです。

富永:え?それは、どこでやっているかを知らずに観に来たんだ。

中村:いや、僕が最初に来た時に大通茶館でやっていたから、そこに行けと言ったんです。

富永:ああ、でもどこでやっているのか分からずによく来たね(笑)。

松本: そう、それで教わった通りに行って「芝居小屋」の戸を開けたら、裸で立っている富永さんがいて(笑)、リハーサル中だったんです。で、ワーすごいところ来ちゃたなと思ったら、あと何分かしたら本番だからって言われて、一旦外に出て、それから本番を観たんです。で、その当時僕、あんまり分かってなくて、もう 一回観る時は一旦外に出て、チケット買ってから観るってことが分からなくて、観たあと放心状態でずっと客席にいたんです。それで、ぼくがなかなか帰らないから、取りあえずカレーでも食うかいって言われて、カレー食べて、そのまま二回目も観て、帰ってきたんです。

富永:ああ、二回目はただで観たんだ。(笑)

松本:はい。(笑)そして、次の週にみんなを連れて観に来たんです。

富永:僕が記憶にあるのは、打ち上げで高校生ですって自己紹介した人がいたこと。あれは次の週だったんだ。

中村:そうですね。

加藤
:それは、裸って言うのは?

富永:「栄養映画館」っていう芝居で、席を取るために自分の服を脱いで行くっていう芝居なんですよ(笑)。

中村:その時は芝居小屋が出来たばっかりだったって事は、北芸さんは、まだ帯広では公演をやってなかったんですね。

片寄:その次の年じゃない?北芸が公演をしたのは。

加藤:「メリーさんの羊」をやった。

片寄:それで、その次の年に僕らが「ラブレターズ」で釧路へ行きました。

富永:だから90年に「演研芝居小屋」が出来たあたりで、帯広絡みで三つの劇団がリンクしたんですね。

中村:我々が「東京物語」で帯広公演をやらせてもらったのが94年ですね。

富永:はい。それで道東小劇場ネットワークと言い出したのは、その先ほど出たシンポジウムからですか?

松本: そのシンポジウムは、これからの北海道の演劇をどうしていったらいいのかという流れになって、ちゃんと鑑賞に堪えられるものをつくっていかなければならないし、交流っていうものがないよね、札幌ではお互いに観たりしないねって言った時に、何言ってるんだお前らってなったんです。

片寄: せっかくこのように集まったんだから全道のネットワークをつくろうって話が出たから、そんなの形だけつくったってダメで、僕らはこうやってお互いの芝居を観あって交流があるところでやっている。そんなネットワークをつくると言う前に、僕たちも札幌へ芝居を観に行ってるんだから、札幌の連中も道東に観に来ることを始めないと。どんな芝居をやっているかも知らないでネットワークなんて、そんなもの冗談でないと言ったんですよ。いや、これ、シラフで言ったんだよ(笑)。

松本:道東小劇場ネットワークって言葉を使ったのは富永さんですよね。

富永:え、おれ?

松本:三劇団でやってることを外部に言う時になんかいいネーミングがないかって話した時に、道東小劇場ネットワークって言ったのは、富永さんですよ。

富永:全然記憶がないな。(笑)そうですか。

(つづく)


2015年7月

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